https://diamond.jp/articles/-/174256
せめて勤勉であるという印象だけでも残しておきたい気もするが、もっともだ。
残業させるために「日本人は勤勉」を刷り込んだというのもあるとは思うが、それ以上に日本人の能力や結果よりも過程を重視する精神性がそう思い込ませた気がする。
例えばサッカー日本チームへの技術的・戦術的批判が少ないのは、“ゴミ拾い”によってカバーされている。
私は常に、「技術とかスコアも大切だけど、こういうの大事だよね」(で話題をそらす)という日本人ぽいメッセージを感じる。
がもし、ブラジルやフランス、イングランドなど優勝候補チームが最初にゴミ拾いを始めたら当然に日本人は埋もれてしまうし、何か他のことを始めたんじゃないかと思う。
「ゴミ拾いも大切だけど、●●も重要だよね」という具合に。
よくいる意識高い系合戦で、注意深く見てみると実力を伴わない的な。
「日本人は勤勉」も同じで、実際に今の日本が直面している「一人当たりの生産性の低さ」がソレを物語っており、個々の能力や才能、仕事ぶりを直接的に評価されたくない(すなわち精神論に傾く)という意識(自信のなさ?)が見え隠れする。
例えば女性にある男性の話を振った際、「●●さんってイイ人ですよね。勤勉で」と言う時、どうひいき目に見ても「好き」ではなく、異性として特筆すべき点がないから、社会人としての全体像を褒めているに過ぎない。
「日本人は勤勉」は全くもってソレと同じ気がする。
↓この結果を見る限り、日本人は自覚している。
「勤勉」と「見栄っ張り」が同時に半数を超えるとは、プライドやテリトリーを保つための勤勉さパフォーマンスであると言えるんじゃなかろうか。
が海外との接触がが増え、下記の通り自分達が思っているほど外国人から「勤勉」だとは思われていないことを知った頃(2000年以降)には、「勤勉さ」は取り下げて「礼儀正しい」をウリにするようになったように思える。
日本人は何も考えてない純粋なフリしてわかってて(狙って)やってるところがある。サッカーのゴミ拾いが定番化したのは、海外でやると褒められるから気をよくしているのであって、ハロウィンの渋谷はゴミの山になるという表裏がある。
私の周囲の日系企業の海外支部で働く外国人達に印象を聞くと、「日本人はよく人を集める(ミーティングとか飲み会とか)が仕事はしない」で一致している。
1901年(明治34年)に唄われたという下の歌の内容です。
交渉は 日がな一日 ゆっくりあわてず 「すぐに」が一週間のことをさす 独特の のんびり、のん気な日本流 時計の動きは てんでんばらばら 報時の響はそろわない
詠み人は明らかになっていませんが、タイトルもズバリ、「大ざっぱな時間の国」とされています。
田舎は今も昔も世界共通じゃなかろうか。日本がストイックに“前進”するようになったのは開けた(すなわち都会になった)戦後であって、外敵の居ない島国はマイペースかつ自分時間だ。
社会人になって勉強しないのは、 日本人は25才以降結晶性知能が伸びないことで証明されていると言っていいだろう。
実際に25才から途端に疲れ、諦め、卑屈さ、偏屈さが強く出て、他人にケチを付ける割には本人は大したことないという人が非常に多い。
大学で燃え尽き、25才で峠を迎えるというのがリアルな日本人だと私は感じている。









