[いよいよ最終日〜ブロムシュテット+ウィーンフィル、そしてダニエル・バレンボイム2日目]
コンサートだけに集中できない理由があった2017年のザルツブルク音楽祭。しかし、考えてみると、プログラムのセレクトも滞在期間も公演数も、過去で一番、後悔のないものだった気がする。もう二度とこんなプログラムは聴けないかも、と思った公演もいくつかあった。ひたすら、無理をしてでもこうして来られたことに感謝したいと思っている。
そして迎えた最終日も、バチが当たりそうなほど贅沢なものだった。
ウィーンフィル・シリーズも今年はコンスタントに4週連続で聴いている。全5回のうち、来週末のバレンボイム以外は全て聴けたことになる。
4週目の本日は、ヘルベルト・ブロムシュテットのブルックナーである。前半はリヒャルト・シュトラウスの23の独奏弦楽器のための習作、いわゆる「メタモルフォーゼン」、後半がメインのブルックナー7番。 音楽祭も開幕してほぼ一ヶ月、かなりタイトにコンサートに通い、途中、(今年はあまりまじめには参加できなかったが)フェスティバル・フレンズのイベントなどもあって、なんだかウィーンフィルとずっと一緒にいるような妄想的感覚に陥ってしまうが、そもそもウィーンでは音楽シーンはいまはシーズンオフ、演奏家にとっては夏休みであるべき時期に音楽祭をやっているわけで、ウィーンフィルメンバーも交代で夏季休暇を取っている。なので、舞台を見渡すと、少しずつオケメンの顔ぶれが違っている。父上に不幸があって辛かっただろうクラリネットのオッテンザマーは今回からオフらしく、他方、コンマスのフォルクハルト・シュトイデの姿は今回の音楽祭ではじめて目にした。ただし、コンマス席はライナー・ホネックなので、シュトイデは今日はフォアシュピーラーである。
今日のウィーンフィルの演奏会、テーマは「追悼とモニュメント」。リヒャルト・シュトラウスは1945年、連合軍の空襲によってドレスデンのゲーテの家が、さらにミュンヘンの歌劇場が全壊させられたニュースを知り、この上ない衝撃を受け、そして「ミュンヘンへの追悼」と称して憑かれたように筆をとり、この「メタモルフォーゼン」を書き上げたといわれる。破壊されていくドイツ文化を目の前にして、わずかながらでも古き良き伝統文化の名残を残しておきたかったのか。シュトラウスは基本的にナチス体制迎合派の音楽家だったから、その心中はどのようなものだったのだろう。
一方、交響曲第7番はブルックナー生前にポジティヴな評価を受け得た唯一のシンフォニーだが、作曲中にリヒャルト・ワーグナーが危篤となり、当時のウィーンの楽壇のトレンドに逆行してワーグナーを称賛した作曲家は、第二楽章の中にワーグナーに捧げる葬送行進曲を埋め込んだ。 今日のドイツ音楽で固めたプログラムには一応こんなストーリーがあるらしい。
前半のメタモルフォーゼンはバイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスだけによる演奏だが、改めて、このオケの弦のすごさをしっかりと思い知らせてくれるような演奏だった。リヒャルト・シュトラウスならではの甘美なメロディーが、各弦楽器の独奏的な演奏によって織り成されていくが、どのように重なり合っても、その根底には、このオケならではの気品がある。
そしてこれを聴いたあとだったからなのか、それとも、今日の座席が一段上がった場所だったからなのか、後半ブルックナーでまず感じたのは、とにかく弦の壁の厚さである。ブルックナーの交響曲の中でも4番、8番と並んで人気の高い作品だが、7番はとくに、1、2楽章が弦で推移することも、もちろんある。しかし、3楽章に移行してそろそろと金管がブルックナーらしく咆哮をはじめても、まるでそれをディフェンスするかのように、ビロードのような弦の壁があるのだ。そこから時としてホネックの、シュトイデの音が飛び出すことがあるが、その力強い美しさにまた絶句、である。…そして、オケ全体としては、金管が弾け、吠えながらこの壁に「当たる」ときになんとも言えないハーモニーを生み出していく。そのバランス感がもうすごい。もちろん、この絶妙さは、長年、ブルックナーにしっかりと向き合ってきた巨匠ブロムシュテットがしかけたマジックの結果でもあるだろう。
ブロムシュテットは今年の7月に90歳になった。さすがに指揮台に据えられた椅子に腰掛けてのタクトだった。じっくりとテンポを研究し、おそらくリハーサルでは拍感についての徹底的な打ち合わせを経ているのだろう。自身はおそらく、ほとんど指揮のビジュアル面は意識していないと思う。いつもながらのもの静かな、いかにもジェントルマンな雰囲気で、指揮棒は使わず、形のいい、あの大きな手をひらひらとさせるだけでキューを出していく。あんなに物静かな指揮から、どうしてあのようにパワフルな力強い音楽が生まれ出るのだろうかと思うほどである。
ラストで第一楽章の主題に戻っていよいよフィナーレで終曲したとき、ブロムシュテットが体の前から左側に大きく振り上げた両手が降りるまで、だいぶしばらく静謐があった。巨匠が作り上げたあまりにも完璧な音の世界は、フライングブラヴォーすらもいなしてしまったらしい。これも、これまでの経緯から見るに、やはりすごいことである。
会場はほどなく総立ちに。何度も呼び出されては、オケメンの間を行き来してねぎらうブロムシュテット。すると、ふと、舞台の左袖に女性の姿が。見ると、音楽祭総理事のラブル・シュタドラーである。マイクと大きな花束を持って舞台に立つと、会場に静粛を求め、サプライズでスピーチがあった。要は、一ヶ月少し遅れのお誕生祝いである。「親愛なるヘルベルト、音楽が仕事ではなく、人生そのものとなったあなたの生き方に敬意を表します」とお祝い。ラブル・シュタドラー女史は、音楽祭創設100周年記念イヤーとなる2020年まで、現職にとどまることが決まっている。「ヘルベルト、ずっと元気でいてくださいね。2020年、100周年のお祝いに、私たちはどうしてもあなたが必要なんですよ」。この言葉に総立ちの客席がさらに沸いた。花束を渡されたブロムシュテットも、本当に嬉しそうだ。
***
さて、一度帰宅してから、本日は17時から2本目のコンサート。ダニエル・バレンボイムとウェスト・イースタン・デヴァンの2日目の日程である。そして、このコンサートをもって、私の今年のザルツブルク音楽祭がいよいよおしまいを迎えることになる。
本日のウェスト・イースタンは、「ショスタコーヴィチ」プログラムの一環に入っている。シュトラウスとチャイコフスキーを聴かせた一夜目とは打って変わって、超モダンなプログラムである。そして、本日はピアノ界のわがまま女神様?、マルタ・アルゲリッチの出演が予定されていた。アルゲリッチはバレンボイムと交友が深い。バレンボイムはもともとピアニストとしてスタートしているから、過去に連弾のアルバムもある。今日はダニエルの指揮、アルゲリッチのピアノで、ショスタコーヴィチの「ピアノとトランペットのための協奏曲」を演奏予定だったが、気分屋でわがまま放題のアルゲリッチ、本当に出演するのかどうかは当日にならないとわからない。昨年は、どうやら当日キャンセルとなったらしく、プログラムにはさみ込むチラシの印刷ですら間に合い兼ねた様子だった。しかし、今年は特に何のニュースも入ってきていない。わずかに遅めに会場に着いたら、桟敷のお隣の席の、ミュンヘンから来たというドイツ人の女性が、興奮気味に、「今日はアルゲリッチが出演すると聞いたから、朝急いで支度して出てきた」と言っていた。普通はそんなにイージーにチケットは取れないはずなのだが(しかも良席)、ギリギリだとかえってキャンセル分があったりするのか。それとも、いわゆる「ダフ屋」経由なのかもしれない。…どうやら冗談じゃなく、今日は出演するようだ。
スタートはラヴェルの「クープランの墓」。この組曲全体で第一次大戦の戦死者の追悼になっているが、改めて、今年のウェスト・イースタンはすごい。とにかく音がクリアで美しく、また、自分たちでもこのパワーアップは十分意識していて、自負に溢れた部分も多いと感じた。 その次の曲として控えていたのが、いよいよショスタコーヴィチの協奏曲である。ピアノが運び込まれて、さすがにグレーに変わったシンボルのロングヘアをなびかせながらアルゲリッチ、女王の風格でほんとうに(笑)登場。諧謔味に満ちたこの曲を、バレンポイム、そしてトランペットのバッサン・ムサッドと息を合わせてみごとに弾ききった。アルゲリッチ、いろいろあるだろうけどやはり実際にうまいのだ。いろいろな表情を見せながらめまぐるしく変化するソロパートを、表情豊かに聴かせて、少しも飽きさせない。そして、音が力強くて鋭いこと。転げてまろぶような最初のテーマなど、ショスタコーヴィチがしかけた「遊び」の部分も、いかにも面白く再現するので、聞いていて笑みがこぼれるような場面もたくさんあった。曲の巧みな仕掛けとアルゲリッチの超絶技巧に、終曲とともに、会場は「おおーっ」と声が上がった。 もともと短い曲ではあるが、こんなに面白く聞かされると、あっという間である。そしてスターの好演に、会場はもうお決まりの大ブラヴォーに。老年になっても仲良しの二人、何度か呼び出されたあと、舞台係がひょいと、ピアノ用の椅子を持ってきた。…おお! 連弾か!! コンマスの青年が即席譜めくりになって、アンコールは、同じくショスタコーヴィチの二手のための協奏曲。呼吸がピッタリで、何より二人とも楽しそうで、…23日に予定されている連弾コンサート、残念ながら聴くことはできないが、きっと素晴らしいものになるだろう。
後半は、ラヴェルの「マ・メール・ロワ」、そしてアルバン・ベルクの「管弦楽のための三つの小品」。アルバン・ベルクの作品は、シェーンベルクに捧げられたもので、厳密には無調ではないが、聴きなれない耳で聴くとまるで無調音楽のように聴こえる難解な作品だ、しかし、そこはもうオケの若いエネルギーで客席をぐいぐい引っ張っていく。一昨日からこのオケ、百発百中の演奏をしてきて、そしてだんだん自信もついて、それがまたポジティヴな方向につながっているのだろう。アルバン・ベルクのような難曲の世界に、聴衆を引っ張ってリードしていくというのは、考えてみればやはりすごいことだ。 一昨日からこのオケのティンパニーの巧さに聴き惚れているが、ベルク作品では、パーカッション・パートにマリンバや銅羅なども加わり、一気に増強、7人メンズ体勢である。ティンパニーが二本になるパートでは、舞台の最後部を奏者がドラムのところから走って移動していたりしていて、なんか別の意味でかっこいい。そして、一昨日のティンパニストは、ますますノリノリで、そのダイナミックな音に改めて聴き入った。これだけ聴かせるパーカッションというのも、いつもあることではないと思う。ほんとうにいいオケである。
ダニエル・バレンボイム、ウェスト・イースタンのアプローズではけっして指揮台に上がらず、各パートの奏者を立たせて、客席の拍手をうながしている。ダニエルが個人的に一番推したいこのオケ、今年は大絶賛の好演で、聴き手としても気持ちが良かった。ブラヴォー。
桟敷で少しグスグズしていたら、終演後にオケメンたちがもどってきて、舞台の上で記念撮影を始めていた。キャーキャーはしゃいで、演奏から下りたらごく普通の若い子たちである。…宗派や国籍を問わず、いろいろな国のいろいろな人種の若者たちが、ともに音楽を奏でることのできる世界であってほしいという、バレンボイムの願いに心を合わせたい。








