セミナー「文学における市民」について
本稿は二〇一四年一月一二日に、タイ王国の首都バンコクの独立系書店Candide Booksで行われたタイの作家集団「セーン・サムヌック(意識の光)」のセミナー『文学における市民』の模様を撮影したビデオクリップの音声をタイ語原稿に書き起こし、それを日本語に翻訳したものである。 作家集団セーン・サムヌックは、もともとタイ王国の刑法第一一二条、いわゆる「王室不敬罪」の改正を要求する作家たちが結成した団体である。クーデターによりタクシン元首相が政権を退き政治対立が激化した二〇〇六年以降、不敬罪の恣意的ともとれる濫用が増加しているとの認識から、作家たちは表現の自由、人間の尊厳の危機を訴え始めた。二〇一一年に作家たちの中で署名運動を起こしたのを皮切りに、二〇一二年に入るとその他の不敬罪改正を目指す団体とも協力を始め、大規模な展開を目指そうとした。 しかし彼らの活動への賛同者が多く見られた一方で、彼らの行動そのものがすでに「不敬」である、などといった大規模かつ非常に強い批判を世論やマスメディアから浴びることとなり、表立った活動の規模は縮小していった。だが、タイ国内で不安定な政治状況が続く中で、彼らは不敬罪改正問題だけに留まらない広い論点に関して発言をおこなうようになった。Facebook上における声明の発表や、公開討論の実施はその例だろう。 二〇一三年の後半には、政権与党が成立を目指して提出した恩赦法案に反対する野党および野党支持者によって反政府デモが発生した。野党民主党の元幹事長ステープを中心に組織されたPDRC(国王を元首に戴く完全な民主主義にタイを変革するための人民委員会)のデモ隊はインラック首相による議会解散、二〇一四年二月二日の総選挙実施が決定した後もその活動を縮小させることはなかった。「選挙の前に改革」「人民議会の設置」を訴えるPDRCは二〇一四年一月一三日からの「バンコク・シャットダウン」を掲げ、バンコク都内の主要七カ所の道路・交差点を封鎖した。 そのためセーン・サムヌックは、PDRCによるバンコク封鎖の始まる前日のセミナー開催を決定し、文学の意義・役割をめぐった作家たちによる討論およびポエトリーリーディングがおこなわれた。本稿ではそのうちの討論の部分のみを日本語に翻訳している。 討論に参加したのは、司会進行役のワート・ラウィー、プラープダー・ユン、ウティット・ヘーマムーン、サカーリーヤー・アマタヤー、ウォーラポット・パンポンの五人に、セーン・サムヌックのメンバーではなく、ゲストとして参加したピアンカム・プラダップクワームを加えた計六人の作家たちだ。みなおよそ同世代の、現在進行形で精力的な活動を続ける作家たちである。このうちの三人はかつて東南アジア文学賞を受賞している。 その一方でこの討論からは、それぞれの作家たちが作家の役割、文学の力といった論点に対してかなり異なる思想信条を持っていることが容易に見てとれる。「リベラル」であることを貫こうとするプラープダー、創作者として「物語」と真摯に向きあうウティット、タイでは数少ないムスリムとして「内なる他者」の視線を投げかけるサカーリーヤー、「情報」を扱うマスメディアの人間としての警鐘を鳴らすウォーラポット、自らの信じる社会的正義と作家の責務に忠実であろうとするピアンカム。普段であればPDRCに対して最も辛辣な意見を述べるであろうワートは、名編集者の手腕を発揮して、討論全体に統一性を与えようと注力している。 そのため本稿は、現代のタイ文学界の空気を感じとる上でも興味深いのではないだろうか。その一方で真剣なテーマ設定と裏腹に会場には和やかな空気が流れ、程よく笑いも生まれるようなセミナーであったこともここに付記しておく。 なお、その後二月二日の総選挙は実施されたが、PDRCのデモ隊による妨害が各地で発生し、最終的に憲法裁判所による選挙の無効判決が出された。インラック首相の失職後もPDRCによるデモは勢力を弱めつつ継続されていたが、本セミナーから約四ヶ月後の二〇一四年五月二二日に、軍部によるクーデターが発生した。(福冨渉・東京外国語大学大学院博士後期課程) (ダウンロード)













