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今後は下記で更新していきますので、よろしくお願いします。
ウエアハウス広報です。

Origami Around

Product Placement
Cosimo Galluzzi
Monterey Bay Aquarium

Andulka
PUT YOUR BEARD IN MY MOUTH
No title available
cherry valley forever
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trying on a metaphor
🪼
"I'm Dorothy Gale from Kansas"
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Mike Driver
sheepfilms

shark vs the universe
let's talk about Bridgerton tea, my ask is open
DEAR READER
2025 on Tumblr: Trends That Defined the Year
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ウエアハウス広報です。
3人の上級生が
ビールスーツのエンブレムを発表
ベイトジャー、カリー、ゴーマンの3名が
「人生は40歳で始まる」を主要モチーフに
デザインを完成。
「人生は'40年から始まる」がプリンストン大学卒業生用ビールスーツ背面に施される精巧かつ深い意義を持つデザインのモチーフとなる。春の季節が十分に進み卒業生が伝統衣装を身にまとう時期を待って披露される。
E・ブルース・ベイトジャー・ジュニア
'40、グラント・カリー・ジュニア
'40、トーマス・Y・ゴーマン
'40の3名によって考案された本デザインは
背景に『ライフ』誌の意匠を採用。
1940年卒業生同様、同誌も1940年に創刊され
名声の頂点に立った。Y.ゴーマン('40)によるこのデザインは、背景に『ライフ』誌を配している。同誌は1940年卒業生同様、1936年に創刊され脚光を浴びた。
シニアたちが数々の実験の的となってきたことを示すため、試験管から疲れ切った虎が這い出る様子が描かれている。虎は言うまでもなく
おバカさんの帽子をかぶっている。
疲れ果てた虎のもう一つの特徴は、
翼が生えていることだ。これはプリンストン大学におけるCAA(航空訓練)の創設を記念している。デザイン全体を囲むように大きな「40」が配置され、「0」の部分にはアドルフ・ヒトラーの写真が収められている。
しかし、ある特定の細部はまさに巨匠の筆致と言える。それは割れた丸太で、少なくとも知る者にとっては、今年のパイネ賞を二つの上級生が争ったことを象徴している。さらに難解な象徴もデザインに組み込まれている。
カジュアルウェアの源流「BEER JACKET」
ヴィンテージ古着が好きな方ならば、一度はご覧になったことがあるだろう、白いカバーオールの背面、肩部分に描かれたステンシルワークのトラの絵を。
*1948年のBEER JACKET
それはアイビーリーグの名門中の名門といわれる「プリンストン大学」の「BEER JACKET」と呼ばれるものだ。「BEER JACKET」はプリンストン大学で第一次世界大戦以前の1912年に始まったといわれている。
*1940年の学生
1912年卒業の4年生たちが、「ナッソー・イン」という伝統的なホテルにあるBARのテーブルを囲んでビールを飲んでいたときのこと。彼らはビールを飲めば飲むほど、カップからどんどん泡がこぼれ、衣料にシミが付いていくことに不満を感じていた。当時は今と違い、Tシャツや短パンなどの簡易的服装ではなく、学生は折り目正しいスラックスを穿き、ジャケットを着用していた。もちろんシャツにはネクタイをして...だから学生達にとっては高価な衣料である。やがて、酔った学生の一人がアイデアを提案した。「ビールを飲むためだけに皆でオーバーを着たらどうだ?」
*1926年の学生
こうして、彼らはまずデニムのカバーオールとオーバーオールに目を付けた。安価でありながら、アウターとして、インナーをカバーしてくれる存在として、これらのワークウェアは最適だったはずだ。
*シニアジャケットとも呼ばれるBEER JACKETを試着する学生
大切なスーツをビールの泡から護るため、彼らはデニムのオーバーオールにカバーオールジャケットを羽織るという「フルスーツ」を着るようになった。1914年には、デニムはインディゴから白いキャンバス生地に変わった。理由は諸説あるが、BARという食堂におけるカラーとしてインディゴよりも白が好まれたこと、さらにはもっと単純に白いキャンバスが安価であったことがあげられる。プリンストン大学のあるニュージャージー州には、大学があるプリンストン市に隣接するトレントン市にLEEの工場があったことも追い風になったという。
偶然かどうかは不明だが、この「白いキャンバス」がBEER JACKETのメモリアルアートともいえるステンシルを生んだことは間違いない。
ステンシルのデザインは多岐に渡るが、禁酒法時代、世界恐慌からのニューディール政策、さらにはキャンパス内で起きた些細な出来事や事件までをも風刺したユニークなデザインは、それぞれの時代を生きた学生の歴史を写している。
*禁酒法時代の1922年のBEER JACKET
「BEER JACKET」は第二次世界大戦に入ると軍隊への配慮によりオーバーオールは廃止され、ジャケットのみに簡略化された。
一般的に、「第二次世界大戦後、それまで作業着であったジーンズが、学生たちによって着用されるようになり、カジュアルウエアとして定着した」といわれるが、プリンストン大学が生んだ「ビアスーツ」は、作業着をもっと早い時代「第一次世界大戦以前」に取り入れていたといえる。公式Webサイトからも閲覧できるプリンストン大学にあるライブラリーでは、各年代のBEER JACKETとリユニオンジャケットが展示されているが、1961年のモデルが圧巻だ。
一見オーソドックスなLEEのチョアジャケット(カバーオール)がベースとなっており、ボタンもLEEであるが、フロントポケットに「BROOKSBROTHERS」の織ネームがついているのだ。
「BEER JACKET」という、プリンストン大学の伝統的な慣習が、老舗ブランドを動かすきっかけになった事実は、まさにドレスカジュアルの源流といえるだろう。
*Class of 1948
歴史と知性、そして文化とフアッションが融合した「BEER JACKET」は、ただのヴィンテージではなく服飾の歴史に名を刻む存在といえる。
■ビリケンはどこから来たのか?
ビリケンと聞いて、まず思い浮かべるのは大阪の通天閣など、「和」のイメージではないでしょうか。
しかし、その発祥は意外にも20世紀初頭のアメリカ。しかも、あらゆる「キャラクター」の元祖であることはあまり知られていません。
-1908年に誕生したビリケン-
1908年当時のアメリカに、「クラフトマンズギルド」というイギリスのヴィクトリア王朝時代の反動で、「手作り回顧主義」が起こり、「アーツ&クラフト運動」がアメリカにも影響を及ぼしたことによって生まれた職人の組合があった。
この組合が主催のコンテストに出展しようとしていたミズーリに住む女性彫刻家、フローレンスプリッツは、作品のアイデアが浮かばず、悩んでいた。しかし、ある日に不思議な「赤毛のとんがり頭」の夢を見たという。夢に現れた「とんがり頭」は「私の足の裏を掻けば、全ての憂鬱が吹き飛び、その人に幸運をもたらそう。」と告げたのである。
彼女は、この不思議な、腹がぽってりとして、足をそろえて座る、赤毛のとんがり頭の彫刻をコンテストに出展し、デザインを同年10月に商標登録した。これこそが「ビリケン」の元祖と言われている。
この作品に目をつけたアメリカ商人は、彼女からライセンスを買った。そして間もなく商人は、シカゴに「ビリケンカンパニー」を立ち上げ、チョークウエア(石膏)の台座に鎮座する、赤毛のとんがり頭のキャラクターを販売したところ、瞬く間に20万体が売れたという。
■アメリカで大ブームとなった「ビリケン」
ではなぜ、「ビリケン」という言葉が拡がったのか?
それは時の大統領選挙に由来する。
1908年、国民的英雄であったセオドア・ルーズベルト大統領の後任候補は、ルーズベルト推薦の共和党候補「ウイリアム・ハワード・タフト」と民主党候補「ウィリアム・ジェニングズ・ブライアン」の選挙となった。ルーズベルトはこの選挙戦を両者の「ウィリアム」をとって、一般的なアメリカ人の愛称でいう「ウィリアム=ビリー」より(アメリカ人は一般的にウィリアム=ビリー、セオドア=テディと呼ぶ)このように喩えた。
「合衆国には二種類のビリーがいる、ひとつは成し遂げるビリー BILLY-CAN 、もうひとつは成し遂げられないビリーBILLY-CAN’Tだ」と。
この結果、ルーズベルトの思惑通り、推薦するウイリアム・ハワード・タフトが勝利し、第27代合衆国大統領となったのである。
推察に過ぎないが、この時の言葉「BILLY-CAN」が第27代大統領を指すラッキーアイコンとして「BILLIKEN」というネーミングにつながったのではないか。「AMERICAN」=「メリケン」という言葉でもわかるとおり、「ビリケン」は日本語として非常に呼びやすく、親しみやすい言葉である。
周知の通り、テディベアのテディはセオドア・ルーズベルトの「セオドア=テディ」からとられており、大統領在任中から熱狂的な人気を博していた。
このため、ホースマン社はビリケンカンパニーのライセンスを受けて、1909年、同じスタイルで顔だけがコンポジットの「ビリケンベア」を発売した。これがたちまち大ヒットし、実に50万体も売ったという。
■世界に拡がった「幸運を呼ぶ神・ビリケン」
ビリケンは「幸運を呼ぶ神」として様々なものに使われ、世界中に広がっていった。
1910年には「BILLIKEN MAN」という歌謡曲がヒット。1923年にはフランス、あのカルチェのミステリークロックにも使われ、イギリスにおいてはウエッジウッドにも施されている。ビリケンカンパニーもシカゴからニューヨークに移って、第二次世界大戦まで続いた。1930年代の後半まで、アメリカのラッキーチャームといえば、馬の蹄、シャムロックの葉、ネイティブアメリカンの卍、ビリケンとされ、4大アイテムの一つとしてアクセサリーや食器などに好んで用いられた。第一次世界大戦を描いた映画「哀愁」(1940年・米国)では戦地に赴く恋人に「ビビアン・リー」が幸運のお守りとしてビリケンのチャームを渡す姿が話題となり、実際に空軍兵士のお守りとしての役目も果たした。
日本への伝来はとても早く、誕生の翌年の1909年ごろには、当時の卸問屋「神田屋田村駒」は古来の七福神にビリケンを迎え入れて「八福神」としたものを販売している。1912年、日本で大阪内国博覧会が開かれた跡地に「ルナパーク」が建設され、同時に「通天閣」が建立。この頃に「ビリケン堂」が設けられたため、通天閣のビリケンというイメージが定着した。
DENIMEのXXシリーズに特化したパンフレットを製作しました。茶綿が生み出す褐色のインディゴは、裏地の茶色みが効いており「裏地まで再現」といっても過言ではないかもしれません。
バナーから解体した緯糸から、経年した茶色みを差し引いた色が、この茶綿混です。ムラ糸の節の長さまで再現してつくられた糸は、タテ落ちも驚くほど自然な表情に。2024年にの初回ロットを着用されている方は、そろそろ実感できる頃ですね!
We have produced a brochure dedicated to DENIME's XX series. The brownish indigo produced by brown cotton is so effective that it may be no exaggeration to say that the brownish color of the lining is "reproduced down to the lining.
The color of this brown-cotton blend is obtained by subtracting the aged brownish color from the weft yarn dismantled from the banner. If you have worn the first lot in 2024, you should be able to feel it by now!
2025年1月「MOTHERのBAZAAAAR!!」で先行販売する、お宝アイテムを徹底紹介!
1月に開催されたリアルイベントで発売されたMOTHERの別注スウエット(403 セットインフリーダム)が、MOTHERのWebサイトで販売開始しています。定番型の403です。定番からのサイズ変更はありません。
サイズはMとXLの2サイズ。1930年代のヴィンテージのかたちは、 からだにフィットしていて、いま流行りのビックシルエットの スウェットに比べて細身です。ふだん、ユニセックスのS〜Mサイズを着ている方は「M」を。M以上のサイズを着ている方は「XL」をおすすめします。写真のモデルは、どちらもXLを着用していて、 男性の身長は176cm、女性の身長は161cmです。
WAREHOUSE ×『MOTHER』!! SWEAT
1930年代のヴィンテージスウェットを忠実に復刻したウエアハウスの 定番スウェットとコラボしました。「ONETT」はオネット市役所がモチーフ。カレッジスウェット風に仕上げました。 「TESSIE」は「タッシー・ウォッチング隊」がモチーフです。
素材 コットン100%
サイズ M(40):着丈66cm 肩幅49cm 身幅55cm 袖丈60cm XL(44):着丈70cm 肩幅53cm 身幅62cm 袖丈63cm
カタログ表2には文章は記載しなかったので…
2024 年、ウエアハウス秘蔵のアーカイブがベールをぬいだ。1874 年にパテントが登録されたグリーンバウムプラザーズ。パテント取得から 150 年という、極めて古いこのブランドは ワークウエアの黎明期に西海岸にあったその他のブランドとは 一線を画している。デニム生地から縫製の仕様、ディテールま で、リーバイスの「5ポケット」とは似て非なるものであるのだ。 その理由を知るためにはグリーンバウムプラザーズのプロフイー ルを知る必要がある。
1848 年、ドイツでは革命が鎮圧さ れ、行き場を失った自由主義的な 人たちの一部がアメリカに移住し た。彼らのようなドイツ系移民を 1848 年革命にひつかけて「48ers」 (フォーテイエイターズ)と呼ぶが、 彼らはもともとドイツ人入植者の多かった地域に多くが移住し、やがてそれぞれの都市の中流住民になっ た。このような激動の時代に、ドイツ移民のユダヤ人であるグリーン バウムー家も「約束の地を目指した。 ドイツのミュンヒヴァイラー(当時はカイザースラウテルン)に住 んでいたグリーンバウムー家は、まずミシシッピ、フィラデルフィアを経てシカゴに行き、乾物や衣料品、靴作りに携わった。シカゴの荒涼とした開拓時代に短期間滞在した後、末っ子のハンナとサラの2人の女 の子はフィラデルフィアで、一家の友人であったマーカスとべラカウフマン夫妻のもとで育てられることに なった。
そして、1949 年。西部での金鉱発見に端を発した熱 狂は、グリーンバウム兄弟を奮い立たせ、一攫千金を求める数千人の仲間入りをさせたが、彼らは 慎重に「商人」としてのキャリアを続けることを決意 した。兄弟のうち、ハーマンーグリーンバウムはサンノゼで商店を開けたのち、サクラメントへ。彼と彼の兄弟モ一ゼス、ジェイコブ、アブラハムはサクラメン トで企業家として成功した。サクラメントの名簿には 「国内衣料品の輸入販売業者」として登録されているが、これが「GREENEBAUM BOROTHERS」である。
数年間、グリーンバウムの兄弟のビジネスはサクラメントで順当に推移したが、妹のサラはルイス.スロ-スの花嫁として 1855 年にサクラメントに 到着し、ハンナはルイス.ガースルと結婚して 1858 年に到着した。グリーンバウムにとって義理の弟となる「スロースとガースル」は、のちにアラ スカ商業会社を設立し大成功を遂げる。
そして、ハーマン、ジェイコブ、モーゼスのグリーンバウム兄弟は サンフランシスコとニューヨークに移り住み、乾物、衣料品、男性用家具、後には毛布やタオルなどを中心に事業を拡張している。
生地や素材は輸入したものを東海岸につけ、そこで縫製されたものがサクラメントに届けられ、流通させたと考えられる。 1868 年、ロシアからアラスカが割譲されると、すぐにスロスとガースルらは Alaska Commercial Company (アラスカ商業会社)を設立した。そして1870 年にはアザラシを捕獲する20 年間の租借権を獲得した。 当時アラスカの村の商店では、原住民が金、魚、毛皮を乾物と交換していた。 アラスカ商業会社は、アラスカの田舎の人々に食品や雑貨を提供した最初の「小売店」であり、長い伝統を150 年にわたり培っている。1868 年から 特に1900年代初頭のアラスカのゴールドラッシュの時代には、わな猟師、探検家、金の探求 者に食料品や衣料雑貨を提供した。グリーンバウムプラザーズにとって義理の兄弟となるルイスとスロースの「アラスカ商業会社」には、彼らの多くの衣料が卸売されていたことが想像できる。
リベットの特許が取得されたのは 1873年、その一年後に、グリーンバウム兄弟は奇想天外なアイデアで 労動着のストレスがかかる箇所を「外装」した。「サージドニーム」のようなヨーロッパから来る資材を入手 し、東海岸で縫い上げ、船と鉄道を駆使してサンフランシスコまで届けた。 それ故に、当時西海岸に存在したライバルメーカーとは、デニムから縫製に至るまでが全く違うのだ。
特徴のひとつは、コインポケットが付いていないこと。1880 年 11 月 13 日に配布さ れたウェストバージニア州の新聞「ニュード ミニオン紙」に「Leather Bounded Overal (革で外装されたオーバーオール)という 記載がある。 既に東海岸でも神士用品店にこのメ一カ一のパンツの広告が見られるのだ。
北は アラスカ、そして東海岸へと、早くから販売 網を広げることができたグリーンバウムブラザーズのワークウエア。奇跡的にそろったシャツ、ブラウス、ウエストオーバーオールとセールスマンサンプルが、長い時を経てウエア ハウスの手で蘇る。
憧れのフェルトレタースウェット
記憶に新しいパリオリンピック。いまから101年前の1924年にも、同じパリでオリンピックが開催されました。
その際にアメリカ代表ははじめてコットンのスウエットを着用したといわれています。オリンピックでアスリートが着用するユニフォームは、その国を代表するスポーツウェアメーカーが威信をかけて手掛けるもの。それは2024年のパリはもちろん、100年前のオリンピックでも同じでした。当時、コットン素材は肌着となるTシャツは着用されていたものの、他国がまだウールセーターを着用するなかで、アメリカ代表は誇らしげにコットンのスウエットスーツで登場したといわれています。
実在するオリジナルスウエットは、1920年代に作られたと思われるものでした。その理由は裏側の素材です。裏起毛部分がウール素材になっていました。1930年代頃まで、コットンとウールの裏地は共存していました。やがて伸縮性や速乾性が考慮され、カラーを染める必要性も生まれてウールバックといわれる仕様は無くなっていきました。
今回製作したスウェットベースはビームスプラスの専用型です。
ウールバックではなくオールコットンですが、「フリースのような裏地」と当時評された裏起毛がしっかりとかけられています。
さらには前後差のないネックラインや、フライスとボディの縫合も最初期の1920年代のもののため、時代の整合性も損ないません。
そして、特筆すべきはやはりその圧倒的存在感のシニールパッチです。
厚みのあるフェルトに打ち込まれたアップリケは、後にレターマンセーターやジャケットに付けられるもの以上の迫力があります。1924年は、まだオリンピックアメリカ代表のロゴにも五輪は描かれていませんでした。五輪の部分には13州をあらわす星が描かれたのです。下記は1932年ロサンゼルスオリンピックのもので、そのスウェットシャツを着た代表選手の画像です。
五輪が描かれているのが分かります。
この度製作したこちらのパッチには星の代わりにクロス(十字)が描かれていますが、これは1920年代のフェルトレタリング技術では、★型をステッチすることは困難であったからと考えられます。奇しくもこの代用がビームス+のアイコンであることも、不思議な縁を感じるのは私だけではないはずです。
当時のアメリカ代表チームをオマージュしたデザインか、もしくは輝かしい代表のフェルトパッチを目指した、アスリートのユニフォームの可能性もあります。
スウエット(トレーナー)がその後に世界中でスタンダードとなる、その最初の舞台を目指した者達によって着用された、シンボリックなスウエットをお届けします。
ビームスプラスの「ユニフォーム」ともいえるネイビーブレザーにもこのように驚くほどマッチするのは、やはり1920年代のクラシックゆえか・・・
1月11日(土)リリース
お取扱い店
ビームスプラス原宿
ビームスプラス丸の内
ビームス辻堂
ビームス神戸
PENDLETON × YUSUKE HANAI Custom Blanket Robe & Muchacho
FW2024 PWM Yusuke Hanai Custom Blanket 発売に関して
アーティストの花井祐介氏とペンドルトンの 2 度目のコラボレーションが実現!WAREHOUSE直営店でもお取り扱いさせていただきます。
今回は ペンドルトンと花井さんの2 度目のコラボレーションということで、ネイティブアメリカンとカウボーイの交流拠点であり、花井さんはPENDLETON のルーツであるオレゴン州ペンドルトンへ旅をしました。『PENDLETONRound-Up』は全米三大ロデオの一つであり、ネイティブアメリカンとカウボーイの交流の歴史をたどる最大のイベントです。そこで目にしたこと、感じたことが今回のブランケットのデザインに反映されています。
花井氏の感性が表現され、最高級の PENDLETON ウールで織られた逸品です。ブランケットローブ、ムチャチョブランケット共に、限定数で作られた価値あるアイテムとなっています。
販売日:2024/10/25 AM10:00 - (発売開始)※先行予約販売無し
商品情報 :
Blanket Robe 上代 121,000 (税込)
Composition : 毛 82% 綿 18%
Size : 163×203cm
Napped (起毛)
Edge : Whipstitch (ブランケットステッチ(wool 100%))
原産国 : Made in USA
※Numbering Card あり 限定 120 – 125 pcs (生産によって変動あり)
※Blanket Robe Box 入り
Muchacho Blanket 上代 49,500 (税込)
Composition : 毛 82% 綿 18%
Size : 81×112cm
Napped (起毛)
Edge : Whipstitch (ブランケットステッチ(wool 100%))
原産国 : Made in USA
※Numbering Card あり 限定 220 – 230 pcs (生産によって変動あり)
販売先:
WAREHOUSE東京店
WAREHOUSE阪急メンズ東京
WAREHOUSE名古屋店
WAREHOUSE大阪店
WAREHOUSE福岡店
花井さんコメント
二度目のペンドルトンとのコラボということで、今回はペンドルトンが誕生した町『ペンドルトン』へ行きラウンドアップというロデオを観に行きました。そこにはネイティブアメリカンとカウボーイとの交流の歴史がありました。今回のブランケットはそこからインスピレーションを受けて絵を描いたものです。
US NAVYのセーラーならではのアレンジ
「神は細部に宿る」とはよく言ったもので、このミニボストンに付くジッパーに付いているプルレザーも「取って付けた」モノではないのです。
編み方が特殊であることから、ジョングラッコーにこれを尋ねてみると、まさに海のように深い歴史があることを教えてくれました。
「それはSailors Macrameといって、船乗り特有の編み方なんだ。うちの近所に住むおばさんもそれを編めるけれど、海軍に入る前にはいろんなknot(編みかた)を覚えるんだ。船内で実際に使うことがあるから」
私物を運んだと思われる水兵のミニボストンは、自身が習得したマクラメ編みの技術でジッパーの引き手に付けたのでしょう。
海という広い世界を航海したこの鞄。ぜひ開ける度にそんなストーリーにも思いを馳せたいものです。
以下は専門紙より
「Macrame Creative Knot-Tying Sunset Craft Book Beginner & Childrens Projects 1974」
マクラメ編みの歴史は米海軍よりも古く、民俗芸術の伝統として、編み込みのロープワーク、ウールワーク刺繍は、19世紀の大型船と捕鯨船の時代に生まれました。船員たちは、船上での暇つぶしや退職後の趣味として、こうした工芸品(鯨骨の細工や船員の貝殻細工など)を取り入れました。彼らが作った品々は、故郷の妻や恋人への贈り物として作られることが多かったほか、船員たちによって船上や港で売られたり物々交換されたりもしました。事実、裁縫は、帆船の帆布を作ったり修理したりするのに欠かせない技術でした。ロンドンの国立海洋博物館によると、多くの船員がこれらの技術を芸術作品にも応用していました。19 世紀後半には、国旗や海軍艦艇のウール刺繍を制作する流行もあり、20 世紀まで続きました。
船上でさまざまな目的のためにさまざまな結び目や編みロープ (マクラメ) を作る能力も、不可欠なスキルでした。編みロープを組み込んだものもある結び板は、装飾品としてだけでなく、船員のスキルを披露し、他の人が洗練された航海結びを識別して結び方を学ぶための例を提供することで、船員によって手作りされました。スクエア ノット、ヒッチ、チェーン ステッチなど、マクラメの結び目は数十種類あります。船員は、マクラメでベル プル、ランヤード、ロープ ラダー、ロープ ハンドルなどの実用的な航海用品、ナイフやボトルなどのケース、履物、ベルト、ブレスレット、帽子などを作りました。結び目を作る技術と結び板の工芸は今日も続いています。ロンドンの国立海洋博物館には、1977 年にエリザベス 2 世女王に敬意を表して制作された、女王のコレクションから借り受けた比較的新しい作品が展示されています。
レザー製マスコットドール
ウエアハウスから十数年ぶりにキャラクタードールが発売です。こちらはフェルトで作られたカレッジマスコットドールのかわいらしさと、富裕層のハンティングウェアを製造していた時代のアバクロに置かれた、イギリス製レザーフットツールの高級感を兼ね備えたもの・・・
アーミー、ネービー、マリンコ、エアフォースとくれば自然にそのマスコットキャラクターが浮かぶ方も多いと思います。大学のマスコットキャラクターと一緒に、ペナントやバナーと同じ同素材で作られ、芯にはコルクが詰められたフェルトドールは、ヴィンテージ雑貨のコレクターだけでなく、アイビーリーグ好きやカレッジスタイル愛好家にも大変人気のあるアイテム。その愛嬌のあるマスコットたちを、剛健なレザーで再現しました。
ドールの素材には過去に皮革製品を生産するにあたり、発生したウエアハウス製レザーの余剰資材を使用しています。中綿にも同様の革端材を主成分に入れた、重量感が魅力なハンドメイドレザードールです。
(製造の工程上、革の種類や色に関してはすべて異なります。ご指定はお受けできませんのでご了承下さい。)
Collegiate Mfg. Co.は地元のアイオワ州立大学をはじめとして、フェルトのペナントやバナーなど、大学関連のノベルティを製造する国内最大手の企業でした。
Collegiate Mfg. Co. を企業にした功績はおそらくアイオワ州立大学のものでしょう。同大学のペナントをはじめとするフェルトノベルティは全学生から人気を得たことから、そのフィーバーは全米の大学に広まったのです。20 世紀初頭から1980年代まで、フェルトペナントはノベルティアイテムとして特に大学生の間で人気がありました。
戦後にCMC が販売して大成功を収めたフェルト製品のひとつがパーソナリティペットです。これが日本製で有名な「ドリームペット」に酷似していることは興味深いですが、フェルトの中身はおがくずではなくコルクを砕いて詰められたそうです。フェルト製の大学マスコットの動物として製造され、それぞれの大学のスクールカラーで作られました。この4体のミリタリーカデットスクールのマスコットドールは、それらのほんの一例です。
Lot 5243 GENUINE LEATHER MASCOT DOLL
#Usma
#Usna
#Usafa
#Usmc
DENIMEのバナーデニムとは その3
クラボウと開発したDENIMEのバナーデニムとは その3
この糸は前述のとお り、それぞれ違う工程 に進む。経糸はインデ ィゴのロープ染色とな るが、ここでも特殊な 作業があることを忘れ てはならない。ウェア ハウスのデニムでお馴染みのナチュラル精練による糸の「中白ナカジロ」だ。これによって、着用したときにインディゴ部分と白く抜ける部分のメリ ハリが効いたデニムが生まれるのだ。
宮:通常インディゴのローブ染色の 前は、浸透をよくするためと不純物 を除くために糸に「精線という 工程が入りますが、通常これはお湯で行います。ここで糸の中心部までインデ ィゴが漫透するかどうかが決まるのですが、これをお湯から常温の水にすることで糸の中白部分が太くな ったのです。経料の糸の準備が整った後は、生地に織るための織機です。
ここでも丁寧に工程を踏んで再現したムラ糸の風合いを損なわないよう に、相応しい「GL3織機が必要でした。他の織機では速さや張力によって、せっかく再現できた糸の風合いが生地に出ないのです。この「GL3織機」を調整することで「バナーデニムに近いザラついた触感と、ムラのある織り目が再現 でてきたという。
経糸のテンションを調整して緯糸を打ち込んでいったテ スト繊りのデニムでは、その違いが明らかに出た。
宮:テスト織りの裏側を見ると、ムラ感が分かリやすいと思います。織機に張る経糸のテンション張力を緩めることで、この風合いになるんです。これには織機を管理する工員の経験と技術が必要。その感覚はやはり人の手によるものが大きいです。
最新のデータ分析があればすべてが解決するというものではない。経験が生み出す感覚が、あらゆる工程で大切な要素になっているというこ とがとても関味深い。
宮:データはあくまでも目安であるということ。そこから触感や目でみた風合いなど、あらゆる工程においてその判断に不自然なものはあり得ないのです。経糸をインディゴに染めずに、そのまま続り上げたマザーコツトンを見てもらえればよく分 かろでしょう。茶綿とムラ糸の雰囲気を見たら「この風合い、本当に良く出せたな…」と自画自賛して しまいます(笑)
こうして生まれたDENIMEの 「XXシリーズ」 1988年当時は 経6番x緯6番だったが、今回の新生XXデニムは、経7,3番x緯7 .3番、打ち込み本数は68x43本で、 1washするとちょうど14 オンス。
惜しみなく数値を公開するその姿からは、追随を許さないというクラポウのプライドが垣間見える。
Developed with KURABOU
What is DENIME banner denim?
As mentioned above, each of these yarns goes through a different process. The warp yarn is rope-dyed indigo, but we must not forget that there is a special process here as well. This is the "Nakashira Nakajiro" yarn, a natural scouring process familiar to Warehouse denim. This process produces a denim that has a good balance between the indigo and white portions when worn.
Miya: Normally, before indigo robe dyeing, the yarn undergoes a process called "scouring" to improve penetration and remove impurities, which is usually done in hot water. This process determines whether or not the indigo penetrates to the center of the yarn, and by changing from hot water to room temperature water, the medium-white portion of the yarn becomes thicker. After the warp threads are ready, the loom is used to weave them into fabric.
DENIMEのバナーデニムとは その2
クラボウと開発した
DENIMEのバナーデニムとは その2
もとにしたリーバイスのデニムバ ナーは、1920年年代にアメ リカで織られたオリジナルの原反 であり、そこからは裁断されていな い糸を抽出することができる。クラ ボウでは、まずこのバナーから、裁 断されていない状態の「緯糸」を取 リ出した。そこでまず着目したのが糸の茶色みがかった色だったという。
宮:バナーから解いた糸が板に巻か れている状態を見るとわかりますが、 他の糸と比べても明らかに茶色が強いです。この糸が100年の時を経過していることを差し引いても、これは当時のアメリカのコットンを採取する環境によるものが大きいと 思ったのですが、原線商さんに聞くと、昔はデニムの緯糸は、経糸であるインディゴ糸に隠れるため、きれ いな白い糸である必要はなく、入手 しやすい茶色のコットンをよく使用 していたとのこと。これは意外な回答でした。そこで、今回は原始的な 「茶綿」を10%入れることで、当時らしい適度な茶色みを再現したんです。
茶綿を何%入れるかで、塩谷さん兄弟と結構悩みましたが、できた糸の色を見たときは丁度良かったと みんなで喜びました。
デニムは経糸にインディゴ、緯糸 に白糸を打つ綾織物だ。このデニムを作ったアメリカの生地メーカーは、経緯ともに同じ糸を使用していたが、経糸はロープ染色されることで 撚リがやや強くなり、緯糸はシャトルによって打ち込まれるために撚り がやや緩くなる傾向にある。
宮崎さんは、そのような「経緯」もふまえて、糸の撚り回転数を決めた という。
宮:糸を作るに当たっては、クラボ ウ安城工場の様々な測定装置を駆使 し、その燃り回数とムラ糸の形状が 明らかになりました。私も25年以上 デニムの開発に関わってきましたが、このように100年前の原反といえ る「バナー」を再現することは初めてです。クラボウの持つ最新の分析 力と塩谷さんが持つ経験と知識が交わり、ムラの形状から撚り、そして色に至るまで、驚くほど忠実な糸を 作ることができました。
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What is DENIME's banner denim?
The original Levi's denim banner was woven in the U.S. in the 1920s, and uncut threads can be extracted from it. From the banner, we first extracted the uncut weft yarns. The first thing that caught his attention was the brownish color of the threads.
Miya: As you can see when you look at the thread unraveled from the banner and wrapped around the board, it is clearly more brownish than the other threads. I thought that this was due to the environment in which cotton was harvested in the U.S. at that time, even if we subtracted the fact that this yarn is 100 years old.In the old days, the weft threads of denim were often made of brown cotton, which was easier to find. This was a surprising answer. We decided to use 10% primitive "brown cotton" to reproduce the moderate brownish color that was typical of that time.
The Shioya brothers and I agonized over what percentage of brown cotton to use, but when we saw the color of the finished yarn, we were all happy that it was just right