世界は関係性で紡がれた一枚の布である。
ただし、われわれはその織物の美しさのほんの一部だけしか見て感じることが出来ない。それでも世界がわれわれを魅了し続けるのはその文様が見る度に変化し、目を凝らせば凝らすほどその解像度が増して高精細に映るからである。われわれは世界の関係性がこれまで見えなかったのではなく、薄々感じていた“この感触”があらかじめどこか別の場所にあったという事実に驚くのである。全く知り得ない事象を突然理解したというより、なぜ今までそのことに気付かなかったのだと自らの不明を責めるような体験なのである。無論すべての人間は恋もしたこともないのに関わらず、恋に焦がれ、恋に出会ってのち、これが恋なのかと嘆息するのである。その恋が不覚にも終わりを告げた時、お前は何も知らなかったのだと自らを苛み、打ちひしがれる。そして、われわれは誰に言われたからでもなく、その想いを物語として紡ぎ、音楽や映像にする。いつのまにか自らも世界へ彩りを与えていることに気付かないのである。このようにして重複のない文様の一枚の織物の断片が世界としてわれわれの目の前に現れ、自分と繋がるのである。ただし、いつどこでわれわれが世界の一部になったかを知ることはない。どうすれば世界の一部になれるかも知ることはない。ただ言えるのは、われわれが世界の始まりでも終わりでもない歴史の過渡的な瞬間に生きていて、何かの理由で自分の中にある特別な脈略をそこに記すかどうかの選択肢を与えられているという事実に他ならない。そして、その脈略が目に見えて明らかな自分だけの関係性として表現出来たとき、自分が生まれたその理由を知るのである。それほど感動を誘う体験があるだろうか。世界は自分の一部となり、自らもまた世界の一部となるからである。







