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@cinnamoncloveand
共闘したがる人に、ろくなやつはいない。
2025年7月12日
2024年7月12日
いい年してフリーターで、お金も全然なくて、でも周りの厚意でなんとか生活は出来ていて、しかも家には愛する猫が2匹もいて、考えてみれば夢のような生活をしている。
“今月も「まあいっか どうせいつか死ぬし」の気持ちですべてを乗り切ろうと思う”
— (19) 密か on X: “今月も「まあいっか どうせいつか死ぬし」の気持ちですべてを乗り切ろうと思う” / X
“犬を亡くして10年経つけど今でも私は『犬が死んだ後の人生』の中にいる これからもずっと、犬の不在を思うたびに、逆にそれが彼がいたことの証明だと思って生きる 犬を亡くしてから初めて散歩ルートを歩いた時、空の広さに驚いた ずっと犬ばっかり見て歩いてたから もう会えないけどずっと愛してる”
— Xユーザーのすいようび👻さん (via pudknocker)
“中島らもは、「人生は選択の連続であり、人はその時その状況で、自分にできる最高の選択をしてきている。”あの時ああすればよかった”というのはおかしな話で、”あの時”の選択は自分にとって常にベストであり、あとはその結果を受け入れて生きていくしかないのだ。」と言っている。”
— Astrogator.net blog: 庭先の蝶が羽を動かし、僕は途方に暮れた (via astrogator)
「世の中、息苦しくなっている」といった話を聞いて、枠の外へ出ればいいのではないかと答えた覚えがある。
会社辞めるとか直接的な行動を起こさずとも、意識して生活するだけで、いつだって枠の外へ出ること出来る。そして、その枠自体、自分で作ったものかもしれないことに気がついたりする。
「人生のじぶんでこしらえた部分、非現実的なところだけが好きなんだ。ぼくらにはいろんなことが起きるー病気とか誕生とか、ゼルダのプランジャン入院とかパトリックのサナトリウムとか義父ウィボーグの死とか。それらが現実だ、どうにも手の出しようがない」すると、スコットが、そういうものは無視するってことかい、と聞いてきた。だからこう答えた。「無視はしないが、過大視したくない。大事なのは、なにをするかではなくて、なににこころを傾けるかだとおもっているから、人生のじぶんでつくりあげた部分しか、ぼくには意味がないんだよ」
カルヴィン・トムキンズ「優雅な生活が最高の復讐である」より
“夜中に目が覚めた。外を見ると、街灯が目やにで滲み、美しい模様に見えた。これを写真に撮り人に見せたい、Tumblrにポストしたいと思ったが、できないことに気がついた。皆がバラバラに感動し、それを伝えられぬまま死ぬのだ。”
— caramel*tumblr (via taizooo, printui) (via gkojay) (via reretlet) (via zzz4) (via takaakik) (via sei-884-blog)
2023年8月25日
クローブの命日。忘れたことはない、囚われていないだけ。
2022年7月12日。
いかなる行動も明確な理由なくやっていると迷いが出る。
感性や感情に重きを置く人の中には「理解や共感できる範囲での」と云う括弧付き人と、すべての感性や感情を大切にする人の2種が存在する。
前者と後者は似ているようで、全く違う。
2022年3月14日午後三時。雨と沈丁花の香りが春の訪れを告げている。
2022年3月11日。11年前に、FREE FANZINE THE BONOBOSへ寄稿した文。あれから11年しか経っていないのか、11年も経ってしまったのか。
駐車場へ送る道の途中「日曜日の夜はいつも、世界の終りのように淋しいね」と私が言うと、君は半分に欠けた月を見上げながら「それだと毎週、世界の終わりが来るね」と言った。それから、私たちは泣きながら笑って、手を振って別れた。
その日の夕食は、いつもと同じに二人で話し合い「かにと豆腐の塩味あん」を作ることにした。二週間前に買ったオレンジページの「豆腐でごはん」をめくりながら決めた十四ページに載っているレシピ。三ページに後ろの「豆腐のキムチチゲ」とも迷ったのだけれど、家に紅ずわいかに缶があったのが決め手となった。うっすらと埃をかぶっていたそれは、昨年末に勤め先に送られてきたお歳暮を一缶だけ貰って来たものだ。今思うと、その日はその缶詰の蓋を開ける丁度良いタイミングだった。私はそれを逃さなかったことを嬉しく思う。
必要な材料を確認し、近所のスーパーマーケットへ出かけた。最初に絹ごし豆腐をカゴに入れる。豆腐の横に陳列してある厚揚もメニューに加えることにした。白ネギは青い部分が比較的短いものを選んだ。鶏ガラスープの素は希望のものが売り切れていたけれど、二人ともさほどこだわりがなかったので今後使われる機会が少ないことを考慮して容量の一番小さいものにした。今日は私の好きな惣菜のカニ風味サラダは買わないでおいた。三月半ばの外気温とスーパーマーケットの室温はあまり大差なく感じられた。きっと五度以上違うと思うが、どちらとも想像していたよりも寒いという印象は同じだ。
帰ってきてからまず、米を研ぎ炊飯器にしかけた。「かにと豆腐の塩味あん」は彼女が作ってくれた。豆腐をキッチンペーパーの上に置き、適当に選んだ小皿をその上にのせて水切りをした。白ネギと生姜はみじん切りにし、サラダ油で炒めた。その間、私は厚揚げを切り、薬味用の生姜を擦った。どちらが決めるともなく分担して料理するのはとても楽しかった。
彼女が選んでくれた一枚百九十八円する厚揚は噛めば噛むほど大豆の味が滲みでて、とても美味しかった。私が二日前に作った大根と揚げとわかめの味噌汁を彼女は美味しいと言って食べてくれた。かにと豆腐の塩味あんは「優しい味だね」と言いながら、二人とも少し物足りなくて醤油を落とした。
食器を洗い終わった後、換気扇の下で煙草を吸いながら、いつ向こうに発つのか、新しく調理器具は買ったのかなどと、今後のことを話した。
先週と同じようでいて、決定的に違う日曜日。
遠く離れた場所で起こった出来事は、私(たち)の目に見えない部分までも一変させた。
それでも私は、今夜もまたいつもと同じに米を炊き、味噌を溶く。ささやかなる抵抗と祈りを込めて。
私は自分が住んでいる土地がとても好きです。アパートはちょっと古くて台風が来ると雨漏りがしたりしますけれど、日当たりがよかったりベランダが広かったりと良いところがたくさんあって、とても気に入っています。大家さんも優しいです。近所のスーパーマーケットは深夜零時まで開いていて、仕事帰りに寄るのが楽しみのひとつです。店員さんはいいひとばかり。十分ほど歩くと一級河川が流れています。春にはその土手沿いに立派な桜が咲き、私はそこで毎年花見をします。政治に対してそれなりに興味があったのですが、今では殆どありません。昨年末あたりから興味が薄れきて、震災以降はその感が加速しています。「信用・信頼出来ないから」とは違う感じです。良くても悪くてもどちらでもいいのです。若かりし頃に憧れた無政府主義者に少し近づけたかもしれません。私は愛すべき土地に住み、愛すべき猫達と愛すべき家族と愛すべき隣人がいてくれたらそれでいいのです。最後に誰かの言葉をお借して終わりとします。「ありがとう、生きていたら、いつかまた何処かで」
自分は何故この様な行動をとっているのか、何故この様な感情を抱くのかを常に意識していないと、生活が形骸化して味気のないドーナツみたいになってしまうよ。そして、往々にしてその原因を外界に求めるようになるんだ。