アートとは生き方
私の知人に、飯を食うためではなくて、「自分として生きる」ために、絵を描き続けている人がいます。 また、飯を食うためではなくて、「自分として生きる」ために、女装をし続ける人も知っています。 自分から漏れ出てくるものを結晶化せざるを得ない人生。 それをしなければ、魂が飢えてしまう。 アーティストとは、職業ではなく、生き方であると、僕も思います。 宮島達男『「プロのアーティスト=絵で飯を喰う人」という幻想』
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アートとは生き方
私の知人に、飯を食うためではなくて、「自分として生きる」ために、絵を描き続けている人がいます。 また、飯を食うためではなくて、「自分として生きる」ために、女装をし続ける人も知っています。 自分から漏れ出てくるものを結晶化せざるを得ない人生。 それをしなければ、魂が飢えてしまう。 アーティストとは、職業ではなく、生き方であると、僕も思います。 宮島達男『「プロのアーティスト=絵で飯を喰う人」という幻想』
新しいロゴ
現在、ブリリアンスの新しいロゴを制作しています。 やっぱりプロの方に頼むと違いますね! 私の思いをよく汲み取って下さり、今までのロゴの良さを生かしながら、新しい息吹を吹き込んで下さいました。 それに伴って、今、色々なものを「すっきり」させるべく、動き始めています。 新しく生まれ変わるブリリアンス、お楽しみに^_^
タイトル
A:テスト
B:テスト2
タイトル
A:テスト
B:テスト
テスト画像
テスト
本文
できることを積み重ねる
人は今自分ができることしかできません。 でも、今自分ができることを積み重ねていくことで、 できなかったことが、できるようになります!
心情はパターン化できるか?
昨日は、ある生徒からこんな相談を受けました。 ”国語の物語文で、主人公の気持ちを書く問題がなかなか正解できません。 例えば、「悔しい気持ち」と答えるべきところを「ねたましい気持ち」と答えてしまって、×になってしまいます。 その悩みを学校の国語の先生に相談したところ、先生からは 「問題をたくさん解きなさい。主人公の心情はパターン化できるから。」 と言われました。 でも、パターン化って、どうすればできるんでしょうか?” 私はこの話を聞いて、悲しい気持ちになりました。 たしかに、高校入試の国語の問題で出てくる主人公の心情というのは、特殊なものは少なく、ある程度類型化されるでしょう。 そのパターンを把握していれば、減点されにくい答えを思いつきやすくなるのも事実です。 しかし、そのような視点で国語を勉強するのは非常に悲しいことだと私は思うのです。 人間の心情は、究極的にはパターン化などできないと私は思います。 似たような心情であっても、それぞれが生きてきた文脈は違うし、思考回路も違うから、必ず微妙な差異があるはずです。 血液型みたいにA型、B型、O型、AB型と分けらるはずがない。 もし、そういうパターン化で事が済ませられるなら、心情を表現するための日本語は四個で済んでしまう。 それほど人間の心はスカスカなものではないし、日本語もスカスカなものではない。 逆に、微妙な差異をもつ様々な人間の心情を表現するために、長い時間をかけて、日本語はたくさんの言葉を生んできたはずです。 だけど、どんなに言葉を生み出しても、どんなに言葉を尽くしても、人間の心情を完全に評することはできないでしょう。 どんなに言葉を身につけても、完全に心情を説明することはできないという、「足りなさ」を身に刻むこと。 その上で、その人の心情に「より近い」適切な言葉を探し抜くために、たくさんの言葉を深く身につけていくこと。 国語で物語文を学ぶ心構えとはそのようなものではないかと私は思っています。 そこで、私は以上のような前置きをした後に、生徒にこう伝えました。 ”問題をたくさん解くというのは僕も賛成です。 でもそれは心情をパターン化するためではなく、人間の心情を表現するための様々な言葉を、より多く自分に仕入れるために行うべきだと思うよ。 ある人間の心情を表現したい時に、一個しか表現が思いつかないか、似たような表現を幾つか思いつくかでは随分違います。 一個しか思いつかなければ、それを書くしかないけど、幾つかの似たような表現を思いつければ、どれが一番適切か吟味することができます。 言葉をたくさん仕入れて、「言葉の吟味」ができる能力を高めていくことが、国語を学ぶ大きな目的のひとつだと僕は思うし、それができれば物語文の成績もきっと上がるよ”と。 その生徒は、よく頷きながら聞いてくれていました。 僕は国語指導の専門家ではないですし、「言うは易い」のも認めます。 でもせっかく人生で一番勉強するであろう受験期ですから、どういう心構えで勉強するかによって、成績ではなく、その後の生徒の「モノの観方」に大きな差が生まれてくると思うのです。 僕が国語の先生ならば、生徒達には受験のために国語を勉強するのではなくて、受験を利用して、国語に対する眼差しを深めていく勉強をしてほしいです。 そのささやかな副産物として、先生のおっしゃる「パターン化」の意味するところも分かってくるでしょう。
夢中になっているとき
「人が夢中になっているときは 苦しそうに見えるもんや。」 ~ドラマ「カーネーション」より
信じるものを伝える努力
先日、ダウンタウンの松ちゃんが出演している「ワイドナショー」という番組で、視聴者からこんな質問がありました。 「努力すれば夢は叶う、ということを、たけしさん、タモリさん、さんまさんは皆否定していますが、松本さんはどう思われますか?」 これに対して、松ちゃんは、お笑いの世界は、努力をすれば単純にレベルアップしていけるような世界ではないと前置きした上で、 「僕にとってお笑いは、努力をして山の頂上を目指す、というものではなくて、 自分が山の頂上にいることを、いかに多くの人に知ってもらうか、でした。」 と答えていました。 僕はこの答えに唸らされました。 やはり、ひとつの世界に大きな足跡を残した人は、普通の人と思考の出発点が違うんですね。 彼は、最初から、自分の立っている場所の価値を信じ抜いていました。 そして、そのことを伝えるべき人達の顔を最初から見据えていた。 駆け出しの時から、自分が信ずる物をたくさんの人に届けようとしてきた松ちゃんの言葉は、今の私の胸に深く突き刺さりました。 「今の自分が面白いと思うものを、多くの人に知ってもらうことに力を尽くす」 彼の生き様に、大きな勇気をもらった気がします。 もちろん自分を高めていく努力も必要だと思います。 でも、今の自分の信ずるものを伝える努力というのも、叶えたい夢の種類によっては、とても大切な努力なんですね。
マジックナンバー7
マジックナンバー7ってお聞きになったことがありますか? 人間が一度に短期記憶に保存できる事柄は7個まで、という説のことです。 最近の研究では、4個までが正しいとも言われているようですが、 大事なことは、何かを覚える時に、一度にたくさんの事柄を詰め込もうとせず、幾つかの固まりに区切ってインプットした方がうまくいくということです。 例えば、昨夜のある生徒との授業では、こんなことがありました。 生徒が持ってきた、学校の化学の先生から配布されたプリントに、覚えるべき酸化剤が10個以上列挙してありました。 多くの生徒は、これを一気に覚えようとして失敗するか、数の多さに辟易して覚える気力をなくすかの、どちらかになってしまうのではないかと思います。 そこで私はマジックナンバー7の話をし、まずその中でも大事な6個の酸化剤だけをピックアップして、覚えた方が絶対に頭に残るよ、と伝えました。 生徒もこれだと覚えやすかったようです。(ただ、これは短期記憶に保存されただけの状態ですので、これを長期記憶に変えていくには、その後の反復と工夫が必要です。) 化学に限らず、英単語や古語、歴代の首相などを覚えるときも、幾つかの固まりに区切って覚えよう!という意識を持つと、勉強が捗るのではないかと思います!
おきおつけて
【以下の文章は、2010年5月に自主発行した、私の教育活動に関するエッセイ集「英気に溢れる」より抜粋したものです】 彼は、私の教室でただ1人、自ら電話をかけて入ってきた生徒でした。 中1の3月に、友達から私の教室のことを聞き、自分の携帯から、体験授業に来てもいいですか?という電話をかけてきたのです。 彼は、入ってきた当初、学年でほぼ最下位の成績でした。 学校には毎日通っていて、授業にもちゃんと参加しているのです。 その子が私の教室に来た理由は、ただひとつ「勉強ができるようになりたい」という一念でした。 幼少からの生活を聞いても、何の理由で学業が振るわなくなってしまったのかは未だにはっきり分かりません。 しかしながら、彼は他の中学生をはるかに凌駕するものを持っていました。 それは、すさまじい「情熱」と「大人力」でした。 当時私は、基本的に宿題は自分で決めて欲しい、と言うのをひとつの方針にしていました。 しかし彼は、宿題を出さないと寂しそうな顔をして、「宿題はないんですか?」と言うのです。 しかも試しに出した宿題はしっかりやってくるし、これもひとつの自主性の現れだなあと思って、それから彼に対してはかなりの量の宿題を出すようになりました。 だんだんとプリントが山のようになってきて、そろそろファイルを準備するように言おうかなと思っていた矢先、彼は誰に言われた訳でもなく、ホームセンターで大きなB4のファイルを買い、5教科分5ファイルに分けて、プリントにパンチで穴を空けファイリングしてきたのです。 しかも、それぞれのファイルに、自らエクセルで作成した課題チェック表を貼りつけて。 私は、ここまで整理力と実行力がある子が、なぜ学校の勉強ができないんだろうと不可解に思いました。 それだけでなく、彼は、私にもご両親にも言われたわけでもないのに、毎回、定期テストの範囲や、部活動の日程表をコピーして、重要日程を蛍光ペンでマークして、提出してくれるのです。 元気のない友達には自ら声を掛け、部活動では、先輩と同学年との間で連絡役として上手く立ち回り、出かけ先でお世話になった先生を見かけたら、自らさっと挨拶に行く子です。 もし社会人力を測る指標があるならば、偏差値70を超えるでしょう。 社会に出るならすぐにでも採用したい人材です。 しかしながら、学校の成績は振るわなかったのです。 彼は、英語に関してはローマ字の読み書きから始め、少しずつ少しずつ器を広げていきました。 彼は、連絡もまめで、自分が遅刻する時も必ずメールで「10分遅れます。すみません」と伝えてくるのですが、ある日、逆に私の方が、遠方に出張授業をしていて、アクシデントからどうしても教室の到着に遅れる時がありました。 とても申し訳ない思いで、その子に遅れる旨をメールしたところ、「了解しました!くれぐれもおきおつけて」という返信が返ってきました。 「おきおつけて」と間違うところが微笑ましかったのですが、間違いを指摘はせず、その子の温かさを有り難く受け取りました。 月日は流れ、彼は中学3年生になり、公立高受験の前日になりました。 最後の授業で私は、彼に各教科の作戦と心得を書いてもらったのですが、彼は「時間配分にきおつける」と書いていました。 私は「きおつける」の正しい書き方を教える時は今日だったか、と思い、「き」は空気、気持ち、やる気の「気」。「つける」は「付ける」。だから「気」を「付ける」。「お」は「を」になるんだよ、ということを教えました。 彼は「気を付ける」という言葉の仕組みを知らずに使っていたことが分かりました。 このような色々な言葉の仕組みを元々知っていたら、同じ努力でもっと成果があっただろうに…。 しかし、後になって私は思いました。 彼は由来や仕組みは知らなくても、「おきおつけて」をいつ、どんな場合に、どんな気持ちを添えて使えばよいか、誰よりも知っているんだと。 そのような言葉の本質は、決して授業で身につけられることではありません。 彼は人生の中で、「おきおつけて」の本質を体得していたのです。 彼は、その日教室を出る時、私にこう言ってくれました。 「短い間でしたが、英語を始めとして平均点以上取れるようになったのは本当に先生のおかげです。今までありがとうございました。」 彼は、教室に通い始めてからの2年間、一度も落ちることなく、成績を伸ばしてきました。 英語は、偏差値で言えば30も上がり、80点を取れる教科も出てきました。 本当に素晴らしい飛躍です。 また、地域の広報誌で中学3年生から小学6年生に贈る言葉に、自ら英語で書きたいと申し出たり、彼が合格して教室を卒業していく時、英語で謝辞をくれたりもしました。 学んだことを生かしたいという、彼の熱意と勇気にとても感動しました。 ある時、真剣な顔で語ってくれた「僕は小学校の時も頭が悪くて、中学校でもダメで、だから、がんばれば、成績の悪い人でも○○高校に行けるんだということを見せたいんです」という彼の炎のような情熱と、たぐいまれなる大人力が生かされることで、彼の学力の器は広がっていったのだと思います。 持って生まれた気質と才能を生かしていくことで、学ぶ力も生き生きと育まれていくのです。
どうしても受けたかった授業
【以下の文章は、2010年5月に自主発行した、私の教育活動に関するエッセイ集「英気に溢れる」のまえがきより抜粋したものです】 2007年3月、私は京都で4年ほど勤めていた大手の進学塾の講師を辞め、再スタートをするつもりでいました。 その年、4年間一貫して算数と理科を受け持った生徒達が、私立中入試で難関~中堅校(鹿児島ではラ・サール~志學館に相当)に多数合格するという、大変素晴らしい結果を残してくれました。 規模としては小さいその校舎が開校して以来の、異例の出来事でした。 それは私を含めた講師の力だけではなく、生徒達の努力や、講師間で何度も何度もアイデア出しを繰り返したことの賜物であったと思います。 当時の私は、他の学年も大切にしながら、とりわけその学年を送り出すことに全霊を傾けていました。 そして、その子達を送り出した後は、力を使い果たしている自分に気づきました。 これから先も、大きな組織の柔軟性に乏しいシステムの中で、同じような成果を目指し、指導をしていくイメージが描けないでいました。 当時私は映像制作も並行してやっておりましたので、教育を主として続けるか、映像を主として続けるか、それから先の自分の人生に見通しがまったく立たない状態でした。 夜明け前の、世界が最も暗い時間を過ごしていました。そこに、私がその先の道を決める、決定的な出来事が起こりました。 一筋の光明でした。 もたらしてくれたのは教え子でした。 その日は私は、受験学年へと上がる小学5年生の理科の授業を行なうことになっていました。 理科の授業の中で、生徒達が一番興味津々となる、「ヒトの生命の誕生」がテーマでした。 毎年、恥ずかしさと好奇心が入り混じった気持ちの中、生徒達の目が大きく見開かれる単元です。 当日、私は校長から次のような申し送りを受けていました。 「普段は習い事の都合で、理科を受講していない生徒が、今日はたまたま習い事がないため、是非理科の授業を受けたいという申し出がありました。しかし、その分の授業料を頂いておらず、他の生徒と不公平になるため、受講は許可できないとの旨を、その子にも保護者にもお伝えしてあります」と。 その子は、それまで理科の授業を受けていませんでしたが、テキストを読んで、自学自習していました。 私は、その子のために、休み時間など時間を見つけては、質問に答えたり、各単元のエッセンスなどをできる限り伝えていました。 せっかくの機会でしたが、校長からの指示に従い、少し残念な気持ちを抱えたまま、私は授業に向かいました。 一時間目の授業は、予想通り大変に盛り上がりました。 顔を赤らめ伏し目がちに黒板を凝視する子、普段と違って妙に神妙な顔をしている子、お茶らけることで恥ずかしさを克服しようとする子、態度は実に様々です。 しかし、どの子の身体からも、本能的な好奇心が力強く発せられ、それが津波のように私の所に向かってくるのです。 一時間目の授業が終わろうとする頃、私はふと、教室のドアが少しだけ開いていることに気づきました。 その暗いすき間をよく見てみると、ふたつの目がじっとこちらを見ています。 私は直感し、ドアを開けに行きました。 すると、理科の授業を受けたいと申し出ていた子が、地べたに座り込んで、テキストとノートを広げ、じっと授業を覗き込んでいるではありませんか。 私の内に込み上げてくるものがありました。 小学5年生が、ここまでして何かを学びたいと思うものなのでしょうか。 独りで息を潜めながら、私の授業を聞いていたであろうその子を思うと、感動と申し訳なさが胸に溢れてきました。 私は何も言わずに、その子を教室に入れ、独断でしたが、一時間目の授業の残りと、二時間目を受けてもらいました。 授業後、私はその子と二人で話をしました。 その子は、私が辞めるということを密かに知っていて、そのことも、何としても授業を受けたいという気持ちの後押しになったようでした。 対話の中で、その子の目から涙がこぼれ落ちた時、私は、人が何かを学びたいと思う心の尊さに打ちのめされた気持ちになりました。 「普段は眠っていることも多いが、人間の魂の底には、学びへの強い渇望があるのだ。私は子ども達の『学びたい』という魂にただ応えたい」 そのような思いとエネルギーが、私の内に湧き上がってきました。 そして、その子との出来事を反芻するうちに、他の子ども達からも、寄せ書きなどで多くの感謝と激励の言葉を頂くうちに、私の次の道が固まっていきました。 「私は、もっと自由に私自身の教育観を深め、実践したい。そして、それを多くの人に伝えていきたい」と決意したのです。
中秋の名月
今夜は中秋の名月。 新月は新しいことを始めたり、願い事をするのに適していて、 満月は古いものを捨て去ったり、願いが叶ったかを確認するのに適した日だと言います。 中秋の名月を見ながら、これまでの自分の歩みを振り返ってみると、私が七年間ずっと思い続けた願いが、確かに叶っていることに気づきました。 私はこの七年ずっと、このWEB上で、私の思いを形にしたいと思ってきました。 そして、その思いを汲み取り、専門的な観点と知識を持って形にして下さる方を探していました。 その願いが叶ったのです。 縁に縁を重ねて知り合えた、あるWEBの専門家の方と、この夏から、ブリリアンスの新しいサイトを創るプロジェクトをスタートさせました。 今日は、その方から、新しいサイトの詳しいご提案を頂く日でした。 私は、その方がまとめて下さった、何枚にも渡る分厚い提案書を読んで、その方が、この一ヶ月どれほどの心と知恵と労力を割いて、このブリリアンスのことを考えてきて下さったかを知り、胸が熱くなりました。 この方と出会えて、この方に仕事を頼んで本当に良かったと思いました。 そして、その提案書には、先週アンケートに答えて下さった生徒の皆さん、保護者の皆様の思いも、しっかりと盛り込まれています。 御協力を頂いた皆様、本当にありがとうございました。 その方との新サイトのプロジェクトは今後五年に渡ります。 五年後の中秋の名月に、どれほど願いが叶っているか、とても楽しみです。 皆様、新しいサイトプロジェクト、ご期待下さい!
Don't stop me now
今日は、生徒が実行委員をしているということもあって、某私立高校の文化祭に行ってきました! タイミングが悪くて、観れなかった企画もありましたが、生徒や保護者の方とも少しお話しできてよかったです。 ラストは3年生による合唱でしたが、ものすごいパワーで鳥肌が立ちました!(◎_◎;) ドラムやエレキギター、バイオリンなどのバンドをバックに、若さ溢れる素晴らしいパフォーマンスでした! (この学校は、音楽の授業で、みんなバンドを組むんです。軽音が盛んな学校なんですね♪) 一曲目は僕の好きなQUEENの"Don't stop me now"。 「今私を止めないで」 彼、彼女達の歌には、そんな思いが溢れていて、私も忘れかけていた「青春の疾走感」を思い出せた気がします。 生徒のみなさんお疲れ様でした! 素晴らしい文化祭をありがとう!
若い力
生徒の応援も兼ねて、今日は久しぶりに、母校の体育祭に行ってきました! 放送部で実況を頑張っていた子、美術部で体育祭の看板を作った子、徒競走で最高の走りを見せた子、仮装行列で輝いていた子。 生徒達が母校の体育祭を盛り上げている姿を見て、胸が熱くなりました! 「若い力と~感激に~ 燃え~よ若人、胸を張れ~♪」 という体育祭でよく歌われる歌が、私は好きなのですが、 若い力というものは本当に凄まじいものですね! これだけの力と情熱があれば、何でもできそうな気になる。 私もエネルギーをもらいました! 明日は、某高校の文化祭に行ってから、授業の予定です。楽しみです。
トラブルは素晴らしいチャンス
トラブルが起きた時は、「あ~もうどうしよう?」とパニックにもなりますが、 心を落ちつけて解決していくうちに、 前の状況よりも良くなることがあります! 「心を折らずに最善を尽くすこと」が大事ですね。