鎌倉時代初期、源頼朝の重臣であった「加藤景廉」の息子「遠山景朝」が築城した。その後戦国時代まで遠山氏の本城でもあった城で日本一の標高717メートルに本丸がある山城
登城口の藩主屋敷跡にある歴史資料館に大きな無料駐車場あり。
此処には平成二年に木造復元された見事な太鼓櫓が聳え立つ
最初の難関「藤坂」 大手の登城道のうち、藩主邸から一の門まで続く急坂で加藤景廉の妻重の井が輿入れの際に、生まれ育った紀州藤城村から持参した種から育てたと伝える、フジの大木があったことが由来。上から見下ろすとそのキツさがよくわかる
直線的に伸びる登城坂でこの部分だけが、行く手を遮るように釣の手に大きく曲げられている。
有事の際にはここに臨時の門を構えて通行を遮断するようになっていたため「初門」と呼んだという。岩村城の最初の関門
岩村遠山軍が土岐氏を破りその城門をここに移したという伝説から土岐門と呼ばれている。土岐門は廃城の際に岩村町飯羽間にある徳祥寺へ山門として移されて、今も徳祥寺にこの土岐門が岩村城の貴重な遺構として現存しています。
大手門へ行く為に渡らなければならなかった空堀にかかる畳橋。今の通路がかっての空堀であった😅
畳橋とは敵が来ると板橋を取り外し、堀にすることからこう呼ばれていた。
大手門の前には枡形があり、空掘りにのぞんで三重櫓が威容を誇り、城下町から見ると天守の様に見えたという。
この辺りが最も要害堅固な場所であり、絶壁に望んで美しい勾配を描く石垣を見る事ができる。
岩村城では野面積み、打ち込み、切り込み、三種類の積みかたを一度に見ることでき、大変珍しい。 石垣の総延長は1.7kmで、石垣に使われている石の数は約4万個にものぼる。
城内には井戸が17ヶ所もあり、長期の籠城に対応できた。
ここの霧ガ井は岩村城の別名「霧ヶ城」の由来となった井戸。敵が攻めてきたとき、城内秘蔵の蛇骨をこの井戸に投じると、たちまち霧ガわいて城を守ったという。免骨は二の丸の宝蔵に収蔵されており、虫干しした記録が残されている。
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標高717メートルに立つ日本一も山城。大手門を抜けて八幡曲輪に
岩村城創築者 加藤景廉 を配神した八幡神社があったことから八幡曲輪と呼ばれる。西方と北方の物見台として二層の遠見櫓が建っていた。
石垣と土塁で何段にも積み重なったかな
💬 0 🔁 0 ❤️ 0 · 岩村城3
天守や櫓などの建造物は無いが幾重にも築かれた石垣が往時の姿を彷彿とさせる山城第三弾
前回の続きで本丸長局曲輪から
本丸は上下二段の曲輪からなっていて下の段の長局曲輪から上の段には三つの門があった。右の一段上が本丸上段で、建築物が昇
💬 0 🔁 0 ❤️ 0 · 岩村醸造
織田信長の叔母である「おつやの方」が城主を務めた岩村城の城下町で1787年創業の酒蔵
社名が酒造ではなく醸造なのは創業時に酒以外に味噌と醤油も造っていた為だが現在は酒造りのみ
店内も良い感じ👍
有料なので気兼ねなく店内の椅子に座
💬 0 🔁 0 ❤️ 1 · 岩村城跡/城下町観光マップ - stroly.com · 岩村城おまけ
案内&紹介板
岐阜県恵那市岩村町は、八百年余年の歴史を持つ三万石の城下町として、今も城山に本丸をはじめとする石垣を残す日本百名城のひとつ岩村城跡をはじめ、重要伝統的建造物