つまり、神は存在しないから、自分の行動を正当化する理由や逃げ口上として、神を呼び出すことはできない。価値を決定するのは神でも何でもなく、自分ひとりでしかない。そのことを「刑に処されている」と表現しているのです。
海老坂武『サルトル 実存主義とは何か』 - 第2章 人間は自由の刑に処されている
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つまり、神は存在しないから、自分の行動を正当化する理由や逃げ口上として、神を呼び出すことはできない。価値を決定するのは神でも何でもなく、自分ひとりでしかない。そのことを「刑に処されている」と表現しているのです。
海老坂武『サルトル 実存主義とは何か』 - 第2章 人間は自由の刑に処されている
知識と想像力だ。 知識と想像力が不幸を遠ざける。 人生を豊かにする。
安田佳澄『フールナイト』第58話 知識
哲学者カール・マルクスも、後に、「大陸封鎖による砂糖とコーヒーの不足が、ドイツの人々をナポレオン打倒に駆り立てた」と記しています。
旦部幸博『珈琲の世界史』p.120
世界的な保険取引所「ロイズ」も元は貿易商や船員が集まるコーヒーハウスで、そこに目を付けた証券ブローカーたちが、沈没や海賊被害で積荷を失ったときなどのリスク補償をもちかけたのが、現在の保険業のはじまりだと言われています。
旦部幸博『珈琲の世界史』p.88
ジャコウネコの体を通過したからと言って、別に麝香や霊猫香の匂いがつくわけではありません。ただし、ジャコウネコの腸内微生物による発酵が独特の香味を生むと言われています。商品ごとのばらつきが大きくて一概には言えないのですが、全体として苦みが少なく、浅煎りで飲まれることが多く、柔らかな酸味とオレンジのような香り、そして生のナッツを思わせる、少しクセのある香りがあります。深煎りにするとこれらの特徴は薄れ、カカオのような香味に変化します。ただ、いずれも果肉を強めに発酵させるタイプの珈琲にはときどき見られる香味なので、どこまでコピ・ルアクだけに固有の特徴と言っていいか、よくわからないのが本音です。
旦部幸博『珈琲の世界史』p.29
どの時代にも「昔のモカはもっと素晴らしかった」と評する人がいる
旦部幸博『珈琲の世界史』p.3
肉や魚は炭火でおいしく焼けると言われますが、これは「遠赤外線が内部に浸透する」からではありません。遠赤外線は熱に変わりやすいため、物体に当たるとすぐに吸収され、物体内部に浸透する距離はわずか0.1〜0.2mmにすぎず、実際には物体の表面だけを強く加熱します。肉や魚がおいしくなるのは、この強い火力で高温になった表面でピラジン類などの香ばしい香りが生じるとともに、表面が焼き固められて中に肉汁などが閉じ込められ「外はぱりっと、中はしっとり」焼き上がるからだと言われています。
旦部幸博『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』p.236
コーヒーに含まれるフェノール類には、もう一つ興味深い成分が入っています。バニラの香り成分であるバニリンです。バニリンは「正露丸の匂い」のグアヤコールにアルデヒド基(−CHO)が一つ付いただけの構造です。このたったの一ヵ所の違いで、全く異なるバニラの甘い香りに感じるのですから、つくづく人の嗅覚とは不思議なものです。
旦部幸博『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』p.162
日本人の誰もが知っている「高級なコーヒー」と言えば、おそらくブルーマウンテンではないでしょうか。ジャマイカのブルーマウンテン山脈で作られたコーヒーのなかでも、標高の高い特定エリアのものだけを指し、日本には1936年に「英国王室御用達」という触れ込みで輸入開始されました。 (中略) じつは「英国王室御用達」というのは、当時の日本の輸入商が勝手に付けた宣伝文句です。「根拠はないが、ジャマイカはイギリス植民地だから王室にも献上されていただろう」とか、「英国王室から文句も来ないから大丈夫」とか、今ならネットで炎上しそうないい加減な話ですが、当時はのんびりしていたようです。
旦部幸博『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』p.137
もともと唾液腺で作られる唾液の原液はpH7.5程度の弱アルカリ性ですが、平静時には途中でナトリウムイオンが再吸収され、口内pHと同じ弱酸性になって分泌されます。ところが大量に分泌されると再吸収が間に合わず、弱アルカリ性のまま分泌されるため、酸味を強く感じたときほど効率よく中和されるという、じつに良く出来た仕組みになっているのです。
旦部幸博『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』p.124
アメリカのコーヒー関係者は、一般消費者が真っ先に用いる「苦い」という言葉を避ける傾向が見られます。アメリカ人にとって「bitter」という響きは、日本人にとっての「苦い」以上にネガティブに聞こえるらしく、イメージダウンを嫌って使いたがらないようです。
旦部幸博『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』p.115
じつは「香ばしい」という言葉は日本と韓国にある(香ばしい=グスハン)程度で、大半の言語にはぴったり当てはまる語訳がありません。その分、欧米では特にコーヒーの香りをいろいろなものに喩える表現が増えるようです。逆に言えば、日本語では「香ばしい」の一言で伝えられるから、それ以外の表現が少ないのかもしれません。
旦部幸博『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』p.111
ナポレオン失脚後の1819年、ドイツの化学者フリードリヒ・ルンゲが、文豪ゲーテが秘蔵していたモカの豆から覚醒作用の本体の単離に成功します。これがカフェインの発見です。
旦部幸博『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』p.99
第二次大戦がはじまるとコーヒーを取り巻く状況は一変、各国は生豆の入手難に陥ります。当時もっとも入手が容易だったアメリカでもほとんどが前線に送られて、国内は品薄になりました。このとき少量の豆でできるだけたくさん抽出することが推奨されたのが、薄い「アメリカンコーヒー」が広まった最大の理由だと言われます。
旦部幸博『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』p.98
ウォードはこの厄介なカビに対する単純な防除法はないと考え、コーヒーのモノカルチャーをやめて蔓延を食い止めるべきだと進言します。しかしそれに異を唱える農園主などが猛反発したため、彼は本国に帰ってしまい、スリランカは結局コーヒー栽培を断念する結果になりました。なお、その後1890年、放棄されて荒れ果てたコーヒー農園を訪れたトーマス・リプトン卿が紅茶を栽培することを思いつき、スリランカが紅茶の産地になったのは有名な話です。
旦部幸博『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』p.85
だが歴史を振り返ると、人間が技術的に可能なことをあえてしなかったという例はほとんどないとわかる。それはまず、何かが技術的に可能かどうかは実際にやってみるまでわからないからだ。動物のクローンを作ることも、月に行くことも、実際にやってみてはじめて、それが可能だとわかった。ただ、原子爆弾の投下は一つのターニングポイントになったと言えるだろう。今では多くの人がそもそもこの技術は開発すべきではなかったと考えている。
ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー『因果推論の科学』p.558
しかし、子供というのは実験をしたがるものである。単なる遊びとして、親に逆らい、先生に逆らい、そして自らの意図にも逆らって、別のことをしてみようとする。X = xという行動を取るべきなのを十分にわかっていて、あえてふざけてX = x´という行動を取るのだ。それで何が起きるかを観察する。そういうことを繰り返すうちに、自らの「意図生成器」がいかに良いものかを知るようになり、そのことを記憶にとどめる。やがて自らのソフトウェアの調整を始めたときには、自らの行動の道義的責任を取ろうとするようになる。この責任は、神経活動のレベルでは幻想かもしれないが、自己認識ソフトウェアのレベルでは幻想ではない。
ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー『因果推論の科学』p.556