SNSをやる楽しさや喜びを、友達の趣味とかファッションとか行動とか、そういう新しい一面を知ることができるから、と素直に口にできる人たちはすごいなぁ、と思う。結局全部自己満足でしかないよ、私にとっては、他人に興味がないわけじゃないが、基本的にはいつだって、自分が一番。それでいいと思ってる。だから昔、インスタグラムをやっていた頃なんかは、自分のページに顕示的消費が詰まっていた。誰かを知りたいからじゃない、自分を見せたいからやっていた。私にとってはそんな、利己的な動機でしかない。だから私の場合、他人と繋がりたい、という言葉は仮面である。そんな自分にとっての仮面言葉を、まるで本気でそう思っているように口にできる、そういう人たちはすごいなって思うんですよ、ほんとに。なんか偉いな、って思う。
そもそもみんな、人との距離が近すぎるんでない?と思うよ。SNSでの仲良しアピールは、公共的暴力だと思う、自分にとって特別な人は、その人とのやり取りだけで、その特別な気持ちを表せば十分じゃないの?どうしてわざわざ、好き、とか書いて、タグ付けしたり、ツーショット載せたりするんだろう。誰か一人を愛することは、それ以外の人を選ばないということである、それってとても残酷なことじゃないか、誰か一人を愛することが美しいと言われているが、それよりも、誰も愛さないことのほうが周りを傷つけずに済むのではないか、という旨が、最果タヒさんの本に書いてあった。そのとおりだ、と思う。私がSNSで嫌な部分は、まさにこれだ。皆んな結局、自分の縄張りを見せたいだけじゃん。それならそう言えよ、って思う、プロフィール欄にでも、そうやって書けよ、って思う。他人に興味があるふりをして、自分のテリトリーを確かに強めていくの、それが一番気持ち悪い。その時点で虚構の塊、SNSは信じられない。だから、私はインスタグラムをやめた。しんどかったから。目障りだったから。かくいう私も、他人にとっては目障りの一種だったのかもしれないね。でも、無事にいなくなりました。
そんなことを言いつつ、Tumblrには好きな人の話をついつい書いちゃうね。現実世界で惚気話をするのは、あまり好きじゃない。まるで人間関係に、ランクを付けてるみたいだから。もちろん、大事な人に優先順位がついちゃうのは、仕方がないことだと思う。私もあるよ、優先順位。でも、関わる人たちに見え透いてわかる形で、好きな人間の優先順位を匂わせたくない。できれば皆んな、平等な気持ちで接したい。対応に差をつけたくない。それってめちゃくちゃ残酷だもん。狭く深く、っていうのは素敵だとは思うけれど、私は全然、広く浅く、のほうが好きだ。大人になるにつれて思う。
リアルで生きる私を知る人がいないから、ここには書ける。「好き」の形はいろいろあって、その順位は自分の中に、たしかに、ある、けれど、友達の前で「あの子が一番好きー」なんてほざいて、優先順位をわざわざ知らしめて、見せびらかして、とか、そんな生きる凶器みたいな人間になりたくない。愛する誰かに対しては、私が本人に気持ちを伝えれば済むことだ。そっと黙って、自分の心の中で確かめればいいことだ。皆んなの前でその愛を語ることで、選ぶことで、優先順位を見せつけることで、取り巻く人々を不快にさせたくない。
そのために、ここで私は素直になる。自分の思いを飾らずに書いている。これは、自分の欲を満たすためだ。自分語りを決めたいだけだ。Tumblrは私の心だ。私は友達がここにいないから、私の心を曝け出しているよ。どうか私のリアルを知る人間が、この世界に流れてきませんように。心から願っている所存。(できればアイコンも昔のに戻してほしいな…今のパリピみたいだもん)暑い夏の避暑地みたいに、この曖昧な距離感を守り抜いてほしい。