この週末、トランセンドという映画を見に行きました。
ちょっと早い夏休みということで妻と子供が実家に帰省したのでなんせ一人の時間があります。
(なかなか普段は映画を見に行けません)
ジョニー・デップが主演のこの映画、彼が人工知能の世界的研究者という設定で、自分の死後にその脳の中身をコンピュータに移植、
ネットの力や脳をはるかに超える計算力を持つコンピュータの力を使うことで果たしてどうなる・・・!?というもの。
僕も一応大学では計算機工学を専攻し、ネット業界に長くいる身としてテクノロジーやコンピュータの進化が何をもたらすのかという
話題には強い関心を持っています。なのでこの手のテーマの映画は大好物です。
トランセンド、というのは超越するというような意味で使われているのですが、コンピュータが人間を超えるようになるという話題で
思い出すのがやはり未来学者レイ・カーツワイルが提唱するシンギュラリティです。シンギュラリティとは、コンピュータの進化が
人間の進化を超えるようになるという「特異点」が近い将来やってくるぞという話で、この話は日本語でも分厚い本「ポストヒューマン」として
出版されています。
映画中でもこの意味でのシンギュラリティという言葉が出てきます。ジョニー・デップは「シンギュラリティというよりもトランセンドと呼びたい」と言って
おり、レイ・カーツワイルの見解をかなり意識しているんじゃないかと思いましたが、その後の展開を見ているとこの「ポスト・ヒューマン」に書いてある内
容をかなり忠実に映像化しようとしたんじゃないかという気がしてきます。ネタバレしちゃうので映画の話には触れませんが、「ポストヒューマン」にあるシ
ンギュラリティとは、コンピュータが自身を修正することが出来るようになった段階で生物の進化が追いつかなくなり、生物がコンピュータにあっさりと追い
抜いて行かれることになるが、その追い抜かれる時期のことを指しています(確か2045年とかだった気がする)。ポストヒューマンでは、その他にもナノ
テクノロジーの進化で強化人間のような存在が登場することなども書かれていたと思います。
人間を追い抜いたコンピュータがどんな風に振る舞うのか、それに対して人間がどんな風に反応するのか。この映画の見所はその辺りにあるなと思います。レ
イ・カーツワイルはテクノロジーの進化にのみフォーカスを当てた描き方をしますが、周辺の人達、社会は果たしてその「特異点」の結果を受け入れられるの
か・・・?この映画の結末は確かに1つのあり得るシナリオだとは思いますが、テクノロジー楽観主義者の僕としてはもっと良いシナリオがあるんじゃないか
と思う一方、この結末の描き方もかなりテクノロジーを信頼する描き方にはなっていて、言ってみれば「テクノロジーは所詮道具であって、どう使うかは人間
次第だなあ」というありきたりの見方にもなっちゃいそうですが、もう一歩踏み込むと「テクノロジーでも愛情が表現できるのではないか」という結構刺激的
なテーマも見え隠れします。
石黒先生はこの映画、どう見たんだろうか聞いてみたい。石黒先生はよく「愛情なんて人間の幻想だからアンドロイドにその幻想を生み出させることも可能だ
」というようなニュアンスでおっしゃって(というのは僕の解釈なので違っていたらすいません><)いますが、この映画での描き方はテクノロジー(が生み
出した人工知能的なもの)なりの真摯な愛情表現とはなにか、という領域に踏み込んでいる気がします。
ちなみに、ほんの少しだけですがイーロン・マスクも登場してました。
近未来テクノロジーの描き方としてもそんなに大きな違和感を感じる部分はなく、楽しめました。ポストヒューマン読んでワクワクしちゃった人にはかなりオ
ススメです。