玉屋愛好会 @loveloveroute21 - 午前0:35 ・ 2021年12月16日 : https://twitter.com/loveloveroute21/status/1471141949126365190 : https://archive.ph/UxEYa
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玉屋愛好会 @loveloveroute21 - 午前0:35 ・ 2021年12月16日 : https://twitter.com/loveloveroute21/status/1471141949126365190 : https://archive.ph/UxEYa
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【「きみたち日本人は腹が立たないのか」チェ・ゲバラは、広島の原爆資料館で憤った。】 - https://www.huffingtonpost.jp/entry/guevara_jp_5f2b936dc5b6b9cff7ed109b : https://archive.is/jWLlp 2020年08月06日 17時29分 JST | 更新 2020年08月12日 11時19分 JST 安藤健二
妻に宛てた絵はがきで「平和のために断固として闘うには、この地を訪れるのが良い」と広島訪問を勧めていた。
{{ 図版 : エルネスト・チェ・ゲバラの写真 Joseph Scherschel via Getty Images }}
キューバ革命の伝説的英雄として知られる、エルネスト・チェ・ゲバラ。31歳のときに広島を訪問した。革命のわずか半年後、1959年7月25日のことだった。
{{ 【ゲバラ画像集】 : https://www.huffingtonpost.jp/entry/gazowaku_jp_5f2bd515c5b6b9cff7eda1d8?hee : https://archive.is/zWaMv }}
国立銀行総裁として、通商代表団を率いての来日。当初のスケジュールでは、広島訪問の予定はなかった。
しかし、8月6日の原爆投下の日を前に、「他の日程をすべて犠牲にしても、原爆慰霊碑に献花したい」というゲバラらの強い願いから予定は変更。フェルナンデス大尉と駐日キューバ大使の2人だけが随行して、大阪から急きょ広島に向かった。交通機関は、夜行列車で行ったという説と、飛行機を利用したという2説がありはっきりしていない。
■《県庁職員、ゲバラの問いかけに「ぎくっとした」》
ゲバラらが原爆慰霊碑に献花する姿を、中国新聞のカメラマンが撮影している。花を手向けるフェルナンデス大尉の後ろで、戦闘服姿のゲバラはうつむき加減で直立していた。その後、一行は原爆資料館を約1時間かけてじっくりと見学した。
館内のさまざまな原爆被害の陳列品を見る中で、それまで無口だったゲバラが突然、通訳担当の広島県庁職員の見口健蔵氏に英語で問いかけた。
「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」
ゲバラが原爆の惨禍に憤りをみせた瞬間だった。三好徹氏の「チェ・ゲバラ伝 増補版 」(文春文庫)の中で、見口氏は「眼がじつに澄んでいる人だったことが印象的です。そのことをいわれたときも、ぎくっとしたことを覚えています」と回想している。
■《「平和のために断固として闘うには、この地を訪れるのが良い」》
広島訪問時、ゲバラは妻のアレイダに宛てて絵はがきを送っている。毎日新聞によると、そこには以下のように書かれていたという。
============≫ 「私の愛する人。今日は広島、原爆の落とされた街から送ります。原爆慰霊碑には7万8000人の死者の名前があり、合計は18万人と推定されています。平和のために断固として闘うには、この地を訪れるのが良い。抱擁を。チェ」 ≪============
ゲバラは1961年にキューバで工業相に就任したが、やがてキューバを離れた。1967年にボリビアでゲリラ活動中、政府軍に射殺された。39歳だった。
ゲバラが原爆の恐ろしさを伝えたこともあり、キューバでは原爆教育に力を入れるようになった。
2017年の {{ 産経WEST : https://www.sankei.com/west/news/171013/wst1710130001-n2.html : https://archive.is/s4KzD }} は「現在でもキューバでは毎年8月6日と9日に国営放送で特番を組み、初等教育で広島、長崎の原爆投下について教えているという」と報じている。
【河井元法相 起訴内容の大半認める 議員辞職意向も 買収事件で】 - NHKニュース : https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210323/k10012930281000.html : https://archive.is/0RykY 2021年3月23日 17時59分
公職選挙法違反の買収の罪に問われている河井克行元法務大臣は、23日から始まった被告人質問でこれまでの無罪の主張を一転させて、起訴された内容の大半を認め「政治不信を招き、弁解の余地は全く無い」と謝罪しました。 そして議員を辞職する意向を表明しました。 元法務大臣の河井克行被告(58)は、妻の案里元議員(47)が初当選したおととしの参議院選挙で現金を配ったとして公職選挙法違反の買収の罪に問われています。 23日から東京地方裁判所で始まった被告人質問で、河井元大臣は「全般的に選挙買収を争うことはしない。妻の当選を得ようという気持ちがなかったとは言えない」と述べ、これまでの無罪の主張を一転させ、起訴された内容の大半を認めました。 主張を変えた理由について元大臣は「一緒に頑張ってくれたスタッフや支持者、妻の当選に泥を塗るのではないかと思い、潔白を主張してきたが、認めるべきことは認めることが政治家としての責任の取り方だと考えた」と述べました。
そして「愛している自民党の信頼を傷つけてしまって申し訳なく思う。国民や県民の皆さんにも政治不信を招き、民主主義の根幹をなす選挙の信頼を損ない、弁解の余地は全くない」と謝罪しました。
また、弁護士から「議員としての出処進退をどうお考えか」と尋ねられると、15秒ほど沈黙したあと、背筋を伸ばし「衆議院議員を辞することとしました」と述べ、辞職する意向を表明しました。
そのうえで「すべての責任は私のみにあり、いかなる処罰であっても引き受ける覚悟だ」と述べました。
一方で「妻と共謀した事実は一切ありません」と述べたほか、一部の事務所スタッフなど10人に対しての現金の提供については、買収に当たらないなどとして、引き続き争う姿勢を示しました。
■《広島市民からは「辞職は当然」の声が相次ぐ》
河井克行元法務大臣が23日の裁判で、無罪の主張を一転させて起訴された内容の大半を認めたうえ、議員辞職の意向を表明したことについて、広島市の市民からは辞職は当然だとする声が相次ぎました。
この中で、70代の女性は「ここにきて覆すのであれば、最初から説明してほしかったですし、本当に腹立たしいです。議員辞職は当たり前だと思います」と話していました。
また、起訴された内容の大半を一転して認めたことについて、40代の女性は「なぜ今になって変わったのかわからず、最初から素直に認めてほしかったです。不信感しかありません」と話していました。
また、63歳の男性は「政治家のことなので一転して認めたことに驚きはありません。世の中の流れからして方向転換しないといけないという窮地の選択ではないか」と話していました。
■《加藤官房長官「批判 重く受け止めたい」》
加藤官房長官は、午後の記者会見で「個別事案なので、政府としてのコメントは控えたい。河井氏は法務大臣の経験者だが、その経験者についての刑事裁判が行われていることは大変残念であり、国民の政治不信を招いたという批判もあることを重く受け止めたい」と述べました。
また「選挙は民主主義の基本であり、当然ルールにのっとって対応していくことが、法務大臣の経験者であろうとなかろうと、強く求められている。政治家は、その点もしっかり自覚して対応するよう、当然心がけていかなければならない」と述べました。
一方、記者団が「買収に使ったとされる資金の原資に、自民党本部から振り込まれた1億5000万円が使われた可能性についてどう考えているか」と質問したのに対し、加藤官房長官は「公判に向けて、さまざまな調査がなされたものと承知している」と述べました。
■《自民 森山国対委員長「選挙で買収などあってはならず」》
自民党の森山国会対策委員長は、記者団に対し「かつての同僚議員として寂しい気もするが、政治家の責任の取り方として決断したのだろう。裁判の結果がまだ出ていないが、選挙で買収などあってはならず、民主政治の根幹に関わることでもあり、気をつけていかなければならない」と述べました。
■《自民 佐藤総務会長「議員辞職は当然 罪は償うべき」》
自民党の佐藤総務会長は、記者会見で「罪を認めているところもあるということなので、議員辞職は当然ではないか。私は河井元大臣と同期なので、いろいろ複雑な思いはあるが、やはり行ったことに対する罪は償うべきではないか」と述べました。
■《立民 安住国対委員長「遅きに失した 説明責任を果たしていない」》
立憲民主党の安住国会対策委員長は、NHKの取材に対し「遅きに失したと思う。本来であれば説明責任を果たしたうえでの議員辞職であるべきだ。国会でも一切説明をしておらず、こういう辞職のしかたは納得がいかない。自民党総裁としての菅総理大臣にも説明責任が及ぶことになる」と述べました。
■《国民 玉木代表「民主主義の根幹揺らぐ重大な事態」》
国民民主党の玉木代表は記者団に対し「本人はこれまで無罪を主張してきたが、一転、買収を認めた。民主主義の根幹を揺るがす重大な事態だ。自民党にも前代未聞の違法行為の全容を解明し、説明する責任があるので厳しく求めていきたい」と述べました。
中野晃一 Koichi Nakano @knakano1970 - 午後0:32 ・ 2021年3月9日 : https://twitter.com/knakano1970/status/1369128891357351943 : https://archive.vn/RLqWT すごいよなー、山田真貴子広報官ってスガ父子の言うこと何でも聞いて東北新社の外資規制違反をスルーして行政歪めた疑いがあるのに、給与一部自主返納して入院して辞職して後は民間人だから調査できませんって総務省が言っておしまいなんだよ。ほとぼりが冷めたらシレッと天下りするね、必ず。 ≫――――――≪ 吉岡晋太郎 @TTFa9FXevRbj7HT - 午後1:52 ・ 2021年3月9日 : https://twitter.com/TTFa9FXevRbj7HT/status/1369149083546357761 : https://archive.vn/RBMSq 返信先: @knakano1970 @lautream 加計学園のときの首相秘書官柳瀬唯夫は、退職後NTT・東芝の関連会社の役員を経て、今NTT株式会社の副社長だということです。(wikipedia) ≫――――――≪ HMJ05100820 @0510_mmk - 午前1:39 ・ 2021年3月10日 : https://twitter.com/0510_mmk/status/1369326872480387074 : https://archive.vn/t3Mus 返信先: @knakano1970 @kochoshobo 甘利明の例が既にありますネ ≫――――――≪ otto1180(ヒークン) @09211180otto118 - 午後9:07 ・ 2021年3月9日 : https://twitter.com/09211180otto118/status/1369258647692349441 : https://archive.vn/7yq7b 返信先: @knakano1970 退職金満額で五千万? [ふくれ顔] ≫――――――≪ 地球ねこ @chikyuneko - 午後1:47 ・ 2021年3月9日 : https://twitter.com/chikyuneko/status/1369147852341927937 : https://archive.vn/msqlf 返信先: @knakano1970 @GmaMs12 しかも免職でなく辞職だから、山田元広報官 は退職金がたんまり貰えます。さすがです。 ≫――――――≪ 梅都利和 @oHDhCtNj2v4tcxO - 午後2:22 ・ 2021年3月9日 : https://twitter.com/oHDhCtNj2v4tcxO/status/1369156678910758914 : https://archive.vn/Bmpzj 返信先: @knakano1970 @ihsns1 2020年開学した大学 山田 真貴子 超客員教授 {{ 山田 真貴子|情報経営イノベーション専門職大学【iU】|ICTで、まだない幸せをつくる。 : https://www.i-u.ac.jp/academic/people/detail.php?id=284 : https://archive.vn/n1see }} ≫――――――≪
中野晃一 Koichi Nakano @knakano1970 - 午後0:32 ・ 2021年3月9日 : https://twitter.com/knakano1970/status/1369128891357351943 : https://archive.vn/RLqWT
吉岡晋太郎 @TTFa9FXevRbj7HT - 午後1:52 ・ 2021年3月9日 : https://twitter.com/TTFa9FXevRbj7HT/status/1369149083546357761 : https://archive.vn/RBMSq
HMJ05100820 @0510_mmk - 午前1:39 ・ 2021年3月10日 : https://twitter.com/0510_mmk/status/1369326872480387074 : https://archive.vn/t3Mus
otto1180(ヒークン) @09211180otto118 - 午後9:07 ・ 2021年3月9日 : https://twitter.com/09211180otto118/status/1369258647692349441 : https://archive.vn/7yq7b
地球ねこ @chikyuneko - 午後1:47 ・ 2021年3月9日 : https://twitter.com/chikyuneko/status/1369147852341927937 : https://archive.vn/msqlf
梅都利和 @oHDhCtNj2v4tcxO - 午後2:22 ・ 2021年3月9日 : https://twitter.com/oHDhCtNj2v4tcxO/status/1369156678910758914 : https://archive.vn/Bmpzj
山田 真貴子|情報経営イノベーション専門職大学【iU】|ICTで、まだない幸せをつくる。 : https://www.i-u.ac.jp/academic/people/detail.php?id=284 : https://archive.vn/n1see
【C・W・ニコルさん死去 環境保護活動家で作家、79歳】 - 朝日新聞デジタル : https://www.asahi.com/articles/ASN445QZXN44UCVL004.html : https://archive.is/E1mjY 2020年4月4日 18時29分
{{ 図版 1 : C・W・ニコルさん。自分で育てた「アファンの森」を背に=2012年、長野県信濃町 }} {{ 図版 2 : 講演をするC・W・ニコルさん=2019年4月 }} {{ 図版 3 : C・W・ニコルさん=2007年12月、長野県 }} {{ 図版 4 : C・W・ニコルさん=2007年12月、長野県 }} {{ 図版 5 : C・W・ニコルさん=2009年、東京都港区赤坂1丁目 }} {{ 図版 6 : C.W.ニコルさん=2009年12月、長野県信濃町 }} {{ 図版 7 : C・W・ニコルさん=2009年7月、東京都港区赤坂1丁目 }}
環境保護活動で知られる作家のC・W・ニコルさんが3日、直腸がんのため長野市の病院で死去した。79歳だった。葬儀は親族のみで営んだ。喪主は妻真理子さん。後日、お別れの会を開く予定。
英国ウェールズ生まれ。カナダやエチオピアで海洋哺乳類や野生動物の保護に取り組んだ。1962年に空手の修行で初来日、75年の沖縄国際海洋博覧会でカナダ館の副館長を務めた後、80年から長野県信濃町の黒姫に拠点を置いた。荒れ果てた里山を購入し、「アファンの森」と名付けて間伐や除草などによる森の再生活動を始めた。
テレビ出演や全国での講演会などで森づくりの必要性を伝えた。95年に日本国籍を取得、2002年に設立した「C・W・ニコル・アファンの森財団」の理事長に就いた。主な小説に、和歌山・太地の鯨捕りを描いた「勇魚」やファンタジー小説「風を見た少年」などがある。05年に英国の名誉大英勲章を受けた。
【中原敏一さんインタビュー 「面白いモノを届けたい」 "ユーザー上がり"のトライスポーツ代表が宿す、目利きと製品に託す思い】 - cyclowired : https://www.cyclowired.jp/news/node/321980 : https://archive.vn/25TOL 2020/04/09 - 16:34
トライスポーツ代表、中原敏一さんへのインタビューを紹介する。マニアックなブランドを多数取り扱う「目利き」やTNIブランドのこと、ホビートライアスリートから脱サラし、独立したからこそ心に宿すユーザー目線の思いとは。兵庫県神戸市にある本社で話を聞いた。
{{ 図版 1 : トライスポーツ代表を務める中原敏一さん。神戸にある本社で話を聞いた photo:So.Isobe }}
{{ 図版 (省略) : 「面白いモノを届けたい。その思いは30年間変わりません」 photo:So.Isobe }}
兵庫県神戸市の、六甲山を眺める国道2号線沿いにトライスポーツ本社はある。高さのある1階がメイン倉庫で、階段を上がった2階は事務所スペース。もともと材木屋だったという年季の入った5階建ての建物は、どこを歩いても秘密基地感満点でわくわくしてしまう。事務所に通していただくと、代表を務める中原敏一さんが迎えてくれた。
トライスポーツといえば、マニア垂涎の超軽量カーボンパーツやアイディア商品を数多取り扱う、少し変わった代理店。これまでジップ、エンヴィ、スピードプレイ、ファクター、セラミックスピードなどを日本に広めたのはトライスポーツだったし、最近で言えばビッグプーリーをいち早く日本に紹介したのも、鼻に装着する器具「タービン」をヒルクライマーの間に流行らせたのもトライスポーツだ。
「やっぱり面白いモノを届けたいですよね。超軽量のサドルとかハンドルとかはほとんど商売にはなりませんが、話題にはなりますから。竹のフレームとか...。とにかく、楽しかったらいいんちゃいますかね」
と、屈託無い笑顔を浮かべる中原さん。世界を飛び回り、自分で目利きしたものを国内に届けるスタンスは30年前の創業時からずっと変わらない。現在取扱ブランドは90社にものぼり、超ニッチなブランドも少なくない(というかむしろ大半だ)。
「平成元年、42歳の時に脱サラして、新神戸でトライアスロンショップを始めたのがスタートです。でもその時、まだ全然トライアスロンはメジャーじゃなかったのでどこにも製品がない。だったら自分で輸入してしまおうと思ったんです。ジップも全然無名だった頃、アメリカの展示会で見て、これは良い、ぜひ日本に紹介したい、と。でも僕らはまだ小さい会社だから断られちゃって(笑)。でもその後、縁あって向こうから取り扱って欲しいと言われてスタート。選手サポートにも力を入れましたし、それから日本国内でも有名ブランドになりましたよね」。
{{ 図版 2 : 倉庫に置かれているコレクションを見せてもらった。これはマーリンのカーボンフレーム photo:So.Isobe }} {{ 図版 3 : カーボンフレームにチタンの飾りとエンド。非常に凝った作りだ photo:So.Isobe }} {{ 図版 4 : ジップはトライスポーツ創業初期に扱ったビッグブランドの一つ photo:So.Isobe }} {{ 図版 5 : マクマホンサイクルのチタンフレーム(年式不明) photo:So.Isobe }} {{ 図版 6 : 新品のスリングショットを発見 photo:So.Isobe }}
トライアスロンを楽しんでいた中原さんだが、40歳の誕生日には東京?赤穂(最短で620km)を32時間で走破するなど、3種目の中で最も好きなのがバイクだったという。どうしたら速く走れるのかを常日頃考え、その中で機材に対するノウハウも溜まり、優れた商品を見極める力にも繋がった。そして、同社の歴史の中で築いてきたコミュニティも大きく関わっているという。
「例えばエンヴィを(国内で)最初に取り扱ったのは弊社ですが、あそこのトップはもともとポール・リュー(超軽量カーボンホイールで名を馳せたリューレーシング)の下で技術者として働いていたんですよね。リューレーシングを扱っていた時から親交があったので、日本で売るならトライスポーツにお願いしたい、と言ってきたんですよ。そういうのも含めて偶然ですよね。全ては」。
「結局ね、当初は会社も小さかったから、小さなブランドしか扱えなかったわけですよ。最初は金回りが悪くて神経性の下痢になったりしたんですが、コツコツ30年。小さくて面白い製品を扱ってることは、なぜか今も変わりません。これ良いね、って言ってもらえるブランドが多いのは、まぁツイてただけですわ(笑)」。
{{ 図版 7 : サドルやビッグプーリーが人気だというTNI }}
海外ブランドの輸入販売代理店を務める一方、トライスポーツはオウンブランド「TNI」を展開することでも知られている。アルミやカーボンを使ったアイテムはコストパフォーマンスに優れ、そのクォリティは一流ブランド製品に勝るとも劣らない。そしてその第1作となったのがBENTOBOX(ベントーボックス)。今やトライアスリートの必需品となり、バイクパッキングでも欠かせないトップチューブストレージを世界で初めて製品化した人こそ、中原さんだった。
「お弁当も入れられるから、ベントウボックス。こんなんあったらええな、って思って作ったんですよ。で、それをアメリカで売ろうと決めた時にTNIっていうブランドを付けました」と中原さんは言う。
現在サドルやCo2ボンベ、ビッグプーリーなどが好評だというTNIブランド。低価格で販売することの裏側には、自身の経験に基づいた確固たる信念があるという。
「僕のサラリーマン時代はね、給料が安くてとても高い部品は買えなかったんですよ。神戸から自転車走らしてウエムラパーツさんに買いに行ったり、いろいろやってましたね。そういう経験があるから、値段もできるだけ低く設定できるように、例えば通関作業なんかは全部自社でやるよう工夫してます」。
「え、TNIの由来ですか? アメリカでBENTOBOXを売るときに トータル・ニュー・アイディアとかテクノロジー・ニーズ・アイディアとかいう意味付けがあったりもしましたが、、。"トライスポーツ・ニホン・イチ"? 全然違いますよ。ハハハ」。
{{ 図版 8 : 2019年から取り扱い開始となった4iiii }} {{ 図版 9 : ドイツの新興タイヤブランド「ウルフパック」 photo:Makoto.AYANO }} {{ 図版 10 : 「まだまだ頑張りますよ。いいモノを見つけたいと思います」 photo:So.Isobe }}
現在、トライスポーツ取り扱いブランドのうち、パワーメーターの4iiii(フォーアイ)、国内認知度も上がってきた英バイクブランドのファクター、そして新興タイヤブランドのウルフパックの伸びが好調だという。
「中でもウルフパックは良いブランドだと思いますね。いろんな会社のコンパウンドを作ってきた専門家のオウンブランドなので、今すごく注目されてますよ。一般的にタイヤは有名メーカーが強いので新しいブランドは売れないんですが、セールスも好調です。これも何かの縁ですよね。」
平成元年に、42歳で起業してから早30年。73歳になった今でも中原さんの勢いは少しも衰えない。
「コロナ騒動が収束したら、また海外にどんどん行って、いいモノを見つけたいと思います。まだまだやれるとこまでやりますよ」
text&photo:So.Isobe
●リンク {{ トライスポーツ : http://www.trisports.jp/ }}
【谷垣さん、車いすになって見えたもの パラの意義「感動じゃない」】 - 京都新聞 : https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/154444 : https://archive.is/jCYPR : https://archive.is/Uj8XX : https://archive.is/qdrrt 2020年2月14日 10:29
{{ 図版 : 東京パラリンピックを契機とした社会のあり方について語る谷垣さん(東京都世田谷区) }}
2016年夏、趣味の自転車で転倒し頸髄(けいずい)損傷の大けがを負って政界を引退した自民党前幹事長の谷垣禎一さん(74)。障害当事者となった立場から、東京パラリンピックに向けてさまざまなメディアや公の場で思いを発信している。京都新聞社のインタビューに応じ、多様性を尊重する社会のありようや障害者スポーツの意義について語った。
―――自転車の事故に遭った時、何を考えたか。
「直後は集中治療室にいたが、回復してくると、リハビリで少しでも動けるようにということが目標になった」 「自転車に乗るときには余計なことを考えないように、と私は周囲に言ってきた。例えば、消費税の税率をいつ上げようかとか、衆院解散を打つ手があるかどうか、とか。そういうことを考えないようにして、走ることに集中するのがいいとくり返してきた」 「ところが、あの事故の瞬間は、そういう浮き世の心配事を考えたのがいけなかった」 「自転車なんか乗っているからこういうことになる、と言う人はたくさんいる。だがものは考えようだ。脊髄損傷などになった人は、それ以前に運動をしていたのとそうでないのでは回復の度合いが違うと医者に言われた。70歳過ぎまで、暇があれば自転車の遠乗りや峠道に挑んだが、そういう意味で悪いことではなかった」
―――退院して街に出て、新たに見えてきたこと、感じたことは?
「バリアフリーと言われるが、車いすでは移動しにくいのが実情だ。私は政治も引退しているが、もう少し若ければやっぱりできるだけ働きたい。でも、東京都内を地下鉄で移動するのは相当大変。朝はものすごく混んでいる」 「その反面、リハビリ病院や介護に当たる人たちからは、車いすに対する理解はずいぶん進んできたと聞いた。車いすの人の移動を手伝おうと思っている人も多いと思う」 「ただ、車いす利用者に道を譲るときに具体的にどうしたらいいのか、必ずしもみんなが理解しているわけではないだろう。安全に譲ったり譲られたりするためには、限られた公共空間をどのようなルールでシェアしていくかが課題になる。そこまで意識して考えている人はどれぐらいいるのだろうか」
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―――昨年の参院選で重度障害のあるれいわ新選組の候補者2人が当選し、国会もバリアフリー化が進む。政治家の意識が変わるという意味でも大きいことではないか。
「私も入院中は(衆院議員の)バッジをつけていたから、衆院事務局に登院について問い合わせると、どのように着席するかを検討してくれた。れいわの2人についても、階段をなかなか登れないといった部分は解決できつつあるだろう」 「でも、基本的に1人じゃ動けない。介助者は保険制度の範囲内で来てくれるシステムになっている。介助者は他の障害のある人のお手伝いもしていて、時間制限などのルールがある。くるくる予定は変えられない」 「私が政治活動を続けようと思ったら、やっぱり専属で介護する人が常に付き添ってくれないと難しい。保険であらゆることをまかなおうとすれば、保険財政が持つのかという話にもなる」
―――パラリンピックでは、障害のあるアスリートが驚くような能力を発揮する。さまざまな人が輝ける場所が社会にあることを伝えるショーケースになる。
「けがをしてからパラスポーツの方とお会いする機会が増えた。パラサイクリングで世界チャンピオンになった杉浦佳子さんは脳機能障害や三半規管障害がある。三半規管障害を持った人がどうやって曲がるのか、と思い杉浦さんに聞いたことがある」 「自転車はハンドルを曲げて曲がるのではなく体を傾けて曲がるものだが、杉浦さんは、最初は前を走っている人の動きを見て曲がっていたそうだ。一般の人も彼女の努力に感動すると思う」 「一方で、パラスポーツの意義は、よく鍛えたなと感動することじゃなくて、むしろ障害を持った人が楽しみを見出してやっていけることにあり、人が見て感動するかなんてどうでもいいことじゃないか、とも思います」
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―――パラリンピックは社会を変革する重要な契機になるとも言われる。何が変わると思うか。
「パラリンピックの場合は障害者に光やスポットを当てる。世の中は健常者だけで成り立ってるわけじゃない。障害者がどういうふうに個性を生かしていくかという機会の一つです」 「多摩川の河原で車いすマラソンの練習している人をよく見かけます。使っている機材はすごく高価。(自転車の経験から)オールカーボンでオーダーメードだと1台100万円を下らないように見える。あるいは、もっと高いかもしれない。パラスポーツはいろいろお金がかかるだろうし、場所を探すのもなかなか大変だと思う」 「健常者のスポーツも、ラグビーが盛り上がり、プロリーグ化して発展させていこうとしている。スポーツの発展段階はいろいろ。昔は学校スポーツが中心だったが、今盛んなスポーツはみんなプロ化につながっている」 「トップアスリートは前よりも競技に集中できるようになった。1964年の東京五輪は、当時のIOC(国際オリンピック委員会)会長は徹底的なアマチュアリズムでした。それからガラッと変わった。要するにスポーツはみんな産業化している。なぜ8月に暑い東京でやるのかという問題は、五輪もスポーツという人間活動を産業の一環としていく流れがあるからこそ、その金を集めるためにスポンサーがつかなきゃいけない。いいか悪いかは議論もあると思うが、少なくとも産業化することによってより多くのスポーツで、より多くの能力のある人が能力を発揮しうる状況はできている」 「パラスポーツが産業化しうるものになるのかはわからない。優秀な人は企業がバックアップしている。東京大会の後、そういう動きがどうなるか、というのがまず第一の試練だろう。東京大会の盛り上がりがそのままに、というのは難しいかもしれない。でも、ある程度は維持していくことができるか。それが当面の課題じゃないかなと思う」
ホーボージュン @hobojun - 午前0:53 ・ 2020年1月31日 : https://twitter.com/hobojun/status/1222910626059571200 : https://archive.ph/82lg3
【訃報】今朝(1月30日朝)、作家の田渕義雄さんが永眠された。病気をされて自宅で療養されていたそうだ。僕は『OutdoorEquipment』誌の駆け出しライター時代、何度も川上村のご自宅を訪れ、焚き火の熾し方から管理社会からの外れ方まで、アウトドアの真髄を学ばせていただいた。ただただショックだ。 ≫――――――≪
ホーボージュン @hobojun - 午前1:01 ・ 2020年1月31日 : https://twitter.com/hobojun/status/1222912720544006145 : https://archive.ph/AKZHN
毎月川上村(田渕さんはその地を“寒山の森”と呼んでいた)の工房から編集部に届く原稿はとても詩的で美しく、しかし反骨精神と皮肉が込められ、僕らは書き手として嫉妬し、そして憧れていた。 ≫――――――≪
ホーボージュン @hobojun - 午前1:03 ・ 2020年1月31日 : https://twitter.com/hobojun/status/1222913187240017920 : https://archive.ph/3wi9e
あの頃、僕らアウトドアライターが(といっても当時はそんな言葉すらなかったが)憧れていた巨星のひとりが田渕さんだった。 ≫――――――≪
ホーボージュン @hobojun - 午前1:08 ・ 2020年1月31日 : https://twitter.com/hobojun/status/1222914600758169600 : https://archive.ph/whCAF
当時の田渕さんはソローに傾倒し、俗世に背を向けて寒山の森でひたすらストイックに生きることを目指していた。求めるのは詩と犬とフライフィッシングのみ。なかでもフライフィッシングへの傾倒は常道を逸脱していて「我、開眼せり!」と叫んだ日は、僕ら若手もドン引きだった。 ≫――――――≪
ホーボージュン @hobojun - 午前1:14 ・ 2020年1月31日 : https://twitter.com/hobojun/status/1222915919267000321 : https://archive.ph/nkSmp
そんなストイックな生き様と対照的だったのが田渕さんが翻訳をした『メイベル男爵のバックパッキング教書~最低の費用で、最高のハイキング、登山、アウトドアを楽しむために』だ。アクティブで、ファニーで、ファンなこの本は、90年代のバックパッキングブームを過ごした者にとってはバイブルだった。 ≫――――――≪
ホーボージュン @hobojun - 午前1:31 ・ 2020年1月31日 : https://twitter.com/hobojun/status/1222920231980421120 : https://archive.ph/yN9t2
1978年のコリン・フレッチャーの『遊歩大全』を芦沢一洋さんが翻訳しなければ、そして1980年に刊行された「Backpacking: Baron Von Mabels」という風刺漫画のようなペーパーバックを田淵義雄さんが『メイベル男爵』に翻訳しなければ、この極東の島国にバックパッキング文化など絶対に芽生えなかった。 ≫――――――≪
ホーボージュン @hobojun - 午前1:38 ・ 2020年1月31日 : https://twitter.com/hobojun/status/1222922094159155201 : https://archive.ph/1zsVt
そんな憧れの人と僕は焚き火を囲む機会を何度も頂いた。傍らには伊藤孝志兄や堀田貴之兄や遠藤昇編集長がいた。みんなにとって田渕さんは憧れの存在だった。いつかなりたい星だった。僕の場合は“詩”だった。泥臭いアウトドアや旅の毎日を田渕さんのように詩に乗せて書きたい、そう思っていた。 ≫――――――≪
ホーボージュン @hobojun - 午前1:43 ・ 2020年1月31日 : https://twitter.com/hobojun/status/1222923195864403970 : https://archive.ph/5J6Yf
いつか美しく、反逆的で、詩のような文章を書いて、田渕さんが教えて下さったOutdoorLifeにご恩を返そうと思っています。 Rest in peace. 安らかにお眠り下さい。 ≫――――――≪
hikersdepot @hikersdepot - 午後7:12 ・ 2020年1月31日 : https://twitter.com/hikersdepot/status/1223187192664621056 : https://archive.ph/zx5qn
田渕義雄さんのご冥福をお祈りいたします。
わたしも学生時代に夢中になって読んだひとりです。いま読み返しても新たに気づかされることがあります。 田渕さんを知らない若い世代の方々にも読んで欲しい一冊。自由に考える、自由にふるまう、その自由を支える自分の掟について考えさせられます。
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hikersdepot @hikersdepot - 午後11:19 ・ 2020年1月31日 : https://twitter.com/hikersdepot/status/1223249446386819072 : https://archive.ph/2joRO
ULというコトバが目新しく注目されたりしたけど、その本質的なことは田渕さんの時代から普遍的にアウトドアで語られていたことに過ぎない。外見を変えただけ。 自然の中で、人力による旅の中で、本当に大事なことにトレンドなんてない。その真ん中にあるものはいつの時代もきっと変わらない。 ≫――――――≪