IMERUAT - TeNiOE
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IMERUAT - TeNiOE
TeNiOE || Imeruat [Propelled Life]
I AM SO EXCITED FOR ANOTHER IMERUAT ALBUM AAAAAAAAA
"Propelled Life" & "HAPPY NEW IMERUAT"顛末記
TeNiOEとMina
"TeNiOE"は気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、これはADHD(注意欠陥多動性障害)であるMinaを主人公にした楽曲です。ADHDについてご存じの方はステージでのMinaを見て、また歌詞を見てピンと来た方もいらっしゃるのではないでしょうか。Minaは今回の「Propelled Life」にライナーとしてこれについて一所懸命書いておりましたが、ついに書けずじまいでした。それもADHDによるものなのか、〆を何度設定しても時間配分ができない、落とす、失くす、エンドレスケアレスミスが続き…です。本当は「おとす、なくす、こぼす」と歌詞にしたかったのですが、入り切りませんでした(Minaはよく飲み物をこぼしたり、ぶっかけたりするので)。私の周りにはやたらとADHDの人が多いです。しかし彼らは決して劣っているというわけではなく、社会システムのほうが時間や契約や計画や貯蔵や物に溢れる部屋といったような、太古の昔はさほど重要とされてなかった概念に埋め尽くされることによって、それに性質が合致しなくなっただけとも感じられます。一説に狩猟民族系の性質でもあるという考え方もあるようですが(このあたり自信ないので信じないでください^^;)、それを鵜呑みにするならば、なるほどMinaはアイヌであり、農耕民族のきっちりとした社会の中ではグズグズになりますが、目の前を通った獲物=事件に対する嗅覚と判断力と瞬発力は、少なくとも私の目にはとまらないほどです。確かに縄文系の知り合いと弥生系の知り合いの顔ぶれを並べると、前者にシッチャカメッチャカ且つ特別な強い才能を持っている人が多いように感じます。また人間は生まれてきて知らない間に社会のルールの中に身を置かれていることに気付き、「なんだ、この明細の、訳のわからない差し引き項目は?」などとブツクサ言いながらも「しょうがない」と納得しているものですが、人類の長い歴史を俯瞰的に見た場合、便利でありながらも非常に小難しいことが全員に課せられてる大変な社会と見ることもできる気もするのです。そう考えると、その中に性質的についてこられない人がいてもおかしなことではないのではないかと。ADHDを語ると時々「それはただの怠け者ではないか?」という顔をする人もいますが、ADHDをわかりやすく論証することは大変ですし、専門医も非常に少ないですし、本当に怠け者の部分「をも」持っている可能性もあるわけで、理解を深めていくのはなかなか難しいことだと思います。私はMinaはそういうところじゃないかと思って怠け者前提で「早よ書かんかい!」と罵ったりもします(ひでぇ~)。いくらADHDの概念と、Minaがそれであると理解をしたところで社会システムの方が直ちにどうこうしてくれるわけでもなく、厳しさの方が手っ取り早いし先人の知恵でもあるのではないか、それに「いいよ、しょうがない」ではIMERUATは進まない、根性論も場合によっては論理的で使える、と「も」思うからです。しかし立ち返って冷静に考えると、地道に理解を深めていく作業というのはやはり本当に必要なことだろうと思います。そしてもちろん理解を求める側のADHDそのものへの理解度も。「TeNiOE」は2013年春のライブのときに「とにかく早く新作を!」ということで作った曲に、Minaが咄嗟に「幸か不幸か手に負えない、Attention Deficit Hyperactivity Disorder」という歌詞を載せたところ、この譜割を私もMinaも気に入ってしまい、ちょっと恐ろしいテーマかもしれないけどこのまま音源化しようということで完成させたものです。人によっては深刻なテーマでもあるものを音楽に反映させるには…というところでしたが、まあ過去にも「Giant」と「Left」という保守革新の両方を揶揄するような曲もやってしまいましたし、せっかくのIMERUATが保身的でどうするんだ?ということで「やってしまおう」と。とは言え、「実はMinaはADHDでもなんでもなくただのアホだった」というオチではさすがに問題なので、彼女は昨夏から専門医に通うようになり、めでたく(めでたいのはこの場合だけですが)ADHDであることの太鼓判を押していただきました。ついでにめでたすぎるというか、同時にアスペルガー症候群の疑いまで持ち帰ってきました。なるほどこの二つを組み合わせるとあんな爆弾のような天才が生まれるのか、とも思いました(または、思うようにしました)。また先生には歌詞やそもそもの楽曲発表についても相談させていただきいただきました。注意したいのは3番の「財布をわすれて駅員さんから切符を借りるのそんなに変?」というところで、「財布を忘れる」のはADHDの典型的な事例として考えられるが、「駅員さんから切符を借りる」という一般的に非常識と思われる行動はADHDというよりアスペルガーの特性であろうということです。これはただの「Minaちゃんのビックリ常識」であるか、アスペルガー症候群によるものなのかはっきりしませんで、それなら歌詞にしないほうが?と思ったのですが、ミュージックビデオを作った高田頌子さんにも「そんなにヘン?」がウケて、我々も変更したくなかったので時折ここについては言及していこうということでそのままいくことにしました。
TeNiOEの音源化とミュージックビデオ化
先述の通り、昨年の春のライブで生まれた「TeNiOE」ですが、リハ30分前に完成したという事情もあって、そのときは歌詞はあくまでフレーズ、造語くらいのものとして採用した感じで、またタイトルもそのときバイオリニストの桑野さんが腰をイわせていたということで「桑野さん腰大丈夫ですか(仮)」としていました。ところがライブでは想像以上にウケがよく、我々も気に入ってしまい「よし音源化!」となり、先述のような色々な問題をクリア、というかなんとかいいように解釈したりしながら制作を進めました。しかし本業(?)とピアノ曲で忙しく、また何より先にやりたかったシアター・イメルアがあったので間が空いてしまい、実際にとりかかれたのは11月(そういえば、シアターの楽曲も音源化しなければ!)。またその11月から年末にかけても仕事が重なりなかなかIMERUATに時間をかけられず。「この秋冬はイメに時間をかけるぞ!」とワクワクしてたのですが…。それでもTeNiOEには力を入れることができたと思います。この曲は色んな音を混ぜたシンセのバランスが絶妙なものになり、これは各方面から「Good!」と言っていただきました。そしてとにかく8ビート感を壊さない、ブロックを積み上げたような古い感触の楽曲にしたかったので、色気を抑えるという自分としては珍しい手法をとったことになったのかもしれません。構造としては3つのフレーズをつなぎ合わせただけですが、ミックスではミキシングエンジニアのウネユタカさん(ダージュオブケルベロスの時からFFXHD、α Clockまでお世話になっている方です)に無理を言って、ステム単位で往「復」して最終的にこちらで混ぜさせていただくなんてことまでしました。ヴォーカルの方は仮収録の時にウポポの部分のピッチがずっと高めで、長女にも「あそこ高いけどわざとそうしてるの?」と訊かれたのですが、これは通常なら録り直すところだったのですが、これがオリエンタリズムのようなものを、あるいは宗教曲における少年コーラスの矢鱈高いピッチに定位置の世界観を飛び出るようなインパクトを与えるような効果をも感じさせ、「そのままいこう」ということになりました。そして何よりミュージックビデオですが…。
ド天然の裏側
ここからが今回の本題の一つでもあるのですが、MinaはライブなどでMCを始めると「ド天然」を炸裂させますが、いざ舞台裏に回るとものすごい洞察力を発揮します。物事の本質、人の考えや創造物の欠陥まで一瞬で見抜く力があり、これによってIMERUATの目標設定なども共有しやすいなどとてもありがたくもあります。またIMERUATのライブはほとんど彼女が仕切っていて、会場のブッキングからリハスタの手配、メンバーとの交渉、会計、物販指揮など全てをやってくれています。ただし計算やスケジュールなどの見通し、また彼女自身にもクリエイトしてもらわなければならないときは、例の才能を遺憾なく発揮し、ものすごく大変なことになるわけです…!1、2度ほど会ったと人には大概「しっかりした人だ」と思われるのですが、知れば知るほど細かな欠点が巨大なそれであること、すなわち「ド天然」であることが解るようになります。かと思うと、何年も彼女と深いつきあいをしてるような「知り尽くした」人たちからは今度はまた「すごく色んなことが見えている人」と尊敬されたりもしています。「天然行動をとりつつもその実は」というような芸術家みたいな感じでしょうか。もちろんMinaには芸術家の蓄積などないのですが、得がたい才能であることは間違いないと思います。と、売っておきます。
ミュージックビデオ “TeNiOE”
さてMinaのこういったところと、ADHDの本来の問題とのバランス、そしてそれらについての制作者としての見解と言ったものをどうやって表すのか。例えばいじめにしても、いくら「いじめ撲滅」とがんばってくれる人たちがいても、切羽詰まっている人は今すぐなんとかしてほしいと思っているし、そこまでなかなか届かない。そしてそもそもどんな理由があれいじめる側が抑えられなかったことこそがという問題をスルーして、いじめられている自分が悪いと思ったりもします。一体全体構造がどうなってるかさえもよく理解できない、教えてもらえない状態ということです。ADHDも「注意力が散漫です」「もう少し努力しましょう」と子供の頃から言われるし、診断なんかまず受けられないし、概念さえまだまだ知られていないことなので、本人が「自分の努力が足りない」「自分が悪い」と自責しだしたりもする。また何かと一言目に「自己責任」が問われる社会傾向によってそれらはより加速する可能性もある。さらには、たとえ自分がADHDであることを認識できたとしても、では一体その人の努力不足と思われていた部分のどこからどこまでが診断の範囲内なのかもはっきりしない。こんなものをどうやって表現するか。そもそも答えがはっきり出しようのない問題であり、しかし終着点を見いだそうと目算すると相当遠い未来でありそうでもあるわけです。いや、あくまでMina本人を主人公にしたMVなので、他のあらゆる可能性を待つことはないのではないか、考えすぎては何もできないのではないか…よし、とにかく動こう!…なんてのもどうも好かない(笑)。Minaが映像の中で「ADHDでも成功するのだ!」なんて演出にしてしまうのもどうかと思う。そうであったら「誰もがそんな上手くいくかいや!」と自分もツッコむところでしょう。では最早どうしようもないのか、むむむ…と、これを直ちに映像化するのは至難の業だと思いました。ただ、ADHDを知ることに意味はどうやらありそうだし、その未来は決して暗いものであってはいけない、少なくともそうであってほしくないし、苦難の道程ではあるものの、何らかの輪郭が見えてくることによってほんのりと希望が感じられるようにはしたい、Minaは決して映像の中で成功まではしないものの…と、こんなところかと。さてこれを再現する映像作家をどうやって探すのか。「その人」を発見した経緯が何故か全く思い出せないのですが、彼女の作品を見てピン!と来たのは憶えています。イラストレーターであり漫画家であり、自ら楽曲製作もされる先述の高田頌子さんでした。我々は彼女に「何を表現したいのか」を知ってもらおうと「Minaのド天然武勇伝」を詳細に書いたメモを作りメールで送りました。書いてる自分が吹き出すくらい面白い事件だらけで、実はこれは「Propelled Life」の本にも「事件簿」として載せようと企画していたほどです。残念ながら「イメルア内ゲバの全貌」で「Mina=ド天然」のイメージで偏ってしまうと思ったため、今回は伏せておくことにしました。しかし私はこれ以上の、ここで書いたような微妙な着地点までは彼女には伝えませんでした。伝えて理解してもらっても、ぎこちなくなって進めにくいかもと思ったからです。高田さんとしてもさすがにここまでの複雑怪奇な意図を読み取ることは難しかったと思いますが、ただ彼女の直感とバランス感覚が自然と「その目標」に着地させてくれると信じていました。…と、これこそが今回一番の当たりだと思います。この「事件簿メモ」とミーティングだけで十分で、MVはほとんどリテイクもなく目指す方向にグングン進んでいき、私はMinaに「ほれみたことか」と、Minaは「それはもうわかったから」と、二人で言い合っていました。失敗を繰り返すOLであるMinaの才能が開けるような予感。そして私は未だ根性論に論理性を持ち込んでいる人間として登場。かくあるべしというものはないものの、しかし…というとても楽しく美しいMVになりました。
"Propelled Life"
"TeNiOE"のMVと平行して製作されたのが本とCDが一緒になった「Propelled Life」です。この組合せは、かの細野晴臣さんの「Making of NON-STANDARD MUSIC/Making of MONAD MUSIC」にヒントを得たものです。年の瀬も押し迫ったクリスマス後のある日、徹夜続きで6曲をまとめ、代々木のマスタリングスタジオ「キムケンスタジオ」へ(と、細かな楽曲解説は一般販売後にしようと思います)。夜22時からスタートし、深夜2時頃に終了。始発まで時間を潰し、Minaは仕事、私は埼玉のプレス屋へ。まだ暗い早朝に雨に濡れながらポストへマスターを投函し、ラッシュに揉まれながら帰宅。もはや悟りを開いたかのような疲労の中、倒れる前に「サブマスターを一応聴いておかなければ…」と再生。問題を発見してしまい、急ぎ再マスタリングを依頼し、すぐにバイク便で送ってもらうことになりました。朝の埼玉は全くの無駄足…。それでも音楽作業は終了!あとは本。これが40Pもあり、正月など無いに等しく、アップ直前の二日はまたMinaと大げんかしたりしながら徹夜続きで作業。その間にリハも挟まっており、約40時間、数分の休憩もなしに作業したこともありました。そしてそれも終了しやっとライブへ。
”HAPPY NEW IMERUAT”
そんなこんなで今回もMinaの天然が炸裂しましたが、1/11「HAPPY NEW IMERUAT」も無事に終了することができました。特にチェロの参加がもの凄い評判でした。前回の「空想音楽博物館」でこれまでのバンドの編成のスタイルはある程度完成した感もあったので、個人的にはこれまでの形式の総括的なライブという位置づけのライブでもありました。ただ、まとまったものを周知にしていくより実験を優先したいという気持ちが常にあり、それがあの後の「何故にコンテンポラリー?」という「シアターイメルア」の開催を勢いづかせ、また今回新曲を加えたとしても、いつものバンドスタイルをそのまま…というのも考えづらかったため、それでチェロを加え、また逆に「敢えてもう一度このスタイルで」ということが自分にとってはある意味裏切りでもあり、それで「よしやってみよう」と考えました。結城さんのチェロの効果は想像以上で、まずスコアを見直したときに桑野さんにチェロの分まで請け負わせてしまっていたところを本来の役割分担にすることができ、バイオリンのスコアも部分的に書き直すことで、本来あるべき素晴らしい相乗効果を生むことが出来ました。一方で問題もちらほら。まず自分の老眼と難聴。…と耳の問題は自分だけだと思ってたのですが、サウンドチェックでもモニタスピーカに問題があるのか、Minaも「なぜか歌いにくい」と言い、メンバーも皆リズムがとりにくいとのこと。WWWほどの場所だからと思っていたのですが、IMERUATのようなサウンドが変則的であるからでしょうか。パーカッションの一匹さんに部分的に遊びを控えてもらって、単純明快にタイトに叩いてもらうという策をも採ったりもしました。また3度ほども曲頭に照明が落ちてこなくて鍵盤が真っ暗で叩き損なったなんてことも…。これも映像が次々と投影されることで照明担当の方が解りづらかったというのもあるのでしょう。とまあ、こういうのはよくあることではあるのですが、国内では過去で一番厳しい環境だったかもしれません。アンコール前の舞台袖で桑野さんに「イヤモニについて御指南下さい」と訴えてたり(笑)。それでも全面の弦二人の新しいオーラ、そしてMinaのMCにも助けられ大盛況のうちに幕を閉じることができました。そしてサイン会はまた一時間以上に及びましたが、ずっと待っていて下さってありがとうございます。グッズの方は「Propelled Life」と「缶バッジ」が飛ぶように売れました。缶バッジは既に再発注し、当方のウェブストアでも販売予定です。そして帰宅後、すぐに次の新しいステージ案が浮かび…疲労で2日ダウン…!
と、ここまでで一旦失礼します。今から打ち上げに行って参ります。ライブ内容そのものなんかはMinaに書いてもらおうかなと。
(浜渦)
http://youtu.be/VmYv76UUwCU
"TeNiOE" Final Version!
Directed by Shoko Takada
Music by Masashi Hamauzu
IMERUAT - TeNiOE