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田町とアナザー品川とダッシュしてきた浜松町
原宿ちゃん!(立ち絵サンプル)
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御徒町!(立ち絵サンプル) 2023.09
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北の玄関口へようこそ(上野) 2023.09.18
月日は流れわたしは残る(『ニュー・ナントカ・パラダイス』エピローグ)
『ニュー・ナントカ・パラダイス』エピローグ
「あ~すっきりした。新橋ちゃんが来てくれて助かったー」
ナミコはようやく一息ついて、テーブルの上の皿、数分前には供されていたナポリタンへやっとフォークをつきさした。
クロスのかけられていない簡素なテーブルの向かいで、新橋は「冷めないうちに食べなよ」と、笑みを含めて穏やかに応える。晩春に似合う淡いコーラルピンクをしたタフタ風のオールインワンを装ったナミコは、真っ黒な髪が胸までかかっているのを背中側へかきあげると、オレンジ色のパスタをスプーンに寄せてくるくると巻いた。そのナミコの日本式の作法を見守りながら、新橋はグラスに汗をかいたアイスコーヒーをすすった。
「それでねーさっきも言ったんだけどその、映画のヒロイン? 主役の子がさ」
一口飲み込むやいなや、新橋の忠告を聞いてか聞かずかナミコは続けた。新橋駅前ビルに入るカフェテラス『ポンヌフ』の名物ナポリタンを前にして食欲よりおしゃべり欲が勝るというのもなかなか稀有な存在だ、と「新橋」は妙な感心をして、眉の下がった苦笑いとともに相槌をうつ。
「名前が『名美』のヒロインね」
「そ! そこ。私この映画のシリーズこれしか観てないんだけど、いや観たって言っても途中までだけど、どうも全部の作品のヒロインが『名美』っていうらしいんだよね。同一人物じゃないんだけど、名前と、あと話の中でひどいめにあうっていうのが他の映画でも同じみたいでさ」
だから私、このシリーズには気をつけることにした。と言ってナミコは、『天使のはらわた』……と、映画の――そして原作漫画のでもある――タイトルを呪文のように唱えた。
新橋がナミコに突然呼び出され、平日の昼間に喫茶店でアイスコーヒーを飲んでいる理由はそれだった。休みをとったナミコは新橋駅近く、ガード下にある映画館「新橋ロマン劇場」へ、特集上映の1970年代ポルノ映画『天使のはらわた 赤い教室』を観にいった。ところが話の内容は暗く、破滅的で、しかも不幸をいっしんに引き受けるヒロインの名前が「名美」――ナミコの愛称とまったく同じ音だった。
「疲れた時はスケベ映画だって新橋ちゃん言ってたじゃん」
「スケベ映画って呼び方はしてないけどそんな話をした記憶はあるね」
「だからさー、特に予定もないけど有給とって、そんでスケベ映画観てリフレッシュするかって思ってたんだけど。今回のは元気な時じゃないと無理なやつだったわ」
で、フィルムの上に描かれる「なみ」の人生のハードさに観客ながら敗北したナミコはギブアップし、映画の途中で席を立って、新橋に電話をかけてきたのだった。「新橋ちゃん、今からポンヌフで会えない?」
そして特にやることのない休日を過ごしていた新橋は、ナミコの言うままにこの店へやってきて、ナミコのやるかたない気持ちをひとしきり聞かされたのだった。
「ナミコさんってそういうの気にするほうなんだね」
「うんまぁ、なんとなく」
ナミコがふと、語気を弱めた。目を落としてナポリタンをくるくると巻く。
「父親の話って新橋ちゃんにしたことあったっけ」
「初めて会った時に聞いた怒涛の身の上話にちらっと出てきた気がする」
二人の関係は三年前の春、東日本大震災の一と月ほど後、不思議に静かだった新橋駅前の西口広場でワーワー泣いているナミコを新橋がほぼ保護するように近くの喫茶店へ連れていったのが最初だった。どうしたの、話聞くよ、と新橋がいつもの調子で首をつっこむと、ナミコは立て板に水を流すごとく話しだした。
短大を出たころは就職氷河期。やっと見つけた職は非正規雇用。一時期はリーマンショックでまったく無職、それからいくつかの派遣先を転々とし、今の職場でどうにか直接雇用のチャンスが見えてきた。と思ったら、突然やってきた震災のあおりを受け、人事は採用不拡大方針に転換。三月で雇い止めになり、めっきり少なくなった派遣オファーの紹介資料を眺めていたら、急に涙が出てとまらなくなった。
「ごめんねこんなこと、私よりずっと年下の新橋ちゃんに聞かせて」
「別にいいよ」
新橋は特に慰めるふうでもなくけろっと言った。すでに喫茶店じゅうの人の関心がナミコに集まっていた。新橋は、「お腹空いてるんじゃない?」とナミコを店から連れ出した。
「あの時新橋ちゃんが連れて行った店、覚えてる!? よりによってガード下の立ち食い蕎麦!!」
「いいじゃんおいしかったじゃん蕎麦!」
「おいしかったけどさあ、顔中べちゃべちゃに泣きはらした年上の女を連れてく店じゃないよ」
ともあれ二人は300円もしない蕎麦をすすって、それからなんとなくLINEで連絡先を交換したのだった。その時、QRコードを読み取った新橋のスマホの画面に表示されたのは、「古海ナミコ」という彼女の名前だった。
「……お父さんがどうかしたの?」
新橋に問われて、ナミコは「そうだった」とナポリタンをほおばった。それを飲み下すまでの何秒かの時間が、父親の話をするために、彼女には必要らしかった。
「映画のヒロインの『なみ』って名前がこんなに気になったのはさ、私が自分の名前を嫌いだからだと思うんだよね。父親がつけたんだけど」
「そうだったんだ。海の波って字で『波子』だっけ」
「そう。私の苗字、『古海』、すでに『海』って字が入ってるでしょ。なのに名前も『波子』って、なんていうの……野暮ったいじゃない。意味を重ねすぎてて……海で波でジャブジャブよ」
新橋はフフと息だけで笑った。ナミコは肩をすくめて続ける。
「そういうこと考えてたらさ、うちの父も勤め先は死ぬ時までずっと新橋だったなって思い出して。で、すごーく昔に一度だけ、『新橋の映画館は上を電車が通ってるし、上映中でも普通に喋ってる人がいるしでうるさいんだけど、落ち着くんだ』とかなんとか話してたなってことも……」
厨房から「ありがとうございましたー」と店員の声。平日に働くサラリーマンの昼休みもそろそろ終わる時刻だった。
「なんか年々、自分が父に似てきてる気がする。私も新橋のオフィスに勤めてるし。うちの母が船橋で自宅の一階を使って床屋さんやっててね、そっちを継ぐって手ももちろんあった。父と別れた時は店を守るために父のほうが家を出てったくらいだからね。でも私、なんでかわからないけど、どうしても東京で一人ぼっちになって働いてみたいって思って。で、気づいたら父と同じ土地で働いて、たぶん父も行ってた映画館に自分も通ってて……」
これが因縁ってやつなのかね。
ナミコは澱を吐き出すようにそんな言葉を使った。
「お父さんのこと嫌いだったの?」
新橋は、プラスチックのストローでアイスコーヒーの氷を沈めながら、ただの世間話をよそおってたずねた。
「嫌い……嫌いなのかな。わかんないな。イライラすることはよくあったよ。要領悪かったし、私の名前で分かるとおりセンスもよくないし、それに……なんていうのかな、母と私に対しても、しかたなく家庭をやってる感じだった」
「しかたなく……」
「そう。時代もあるけどね、昔って結婚してない人は今よりずっとヘンな目で見られたでしょ。それで所帯を持ったはいいけど、そもそも家族って関係にある人と、家族っぽい生き方をすること自体が苦手だったんじゃないかな。なんか変な嘘ついて家に帰るのが遅かった日もあったし」
新橋は何かを思い出すようにコーヒーの黒い水面を見つめていた。
「自分で作っちゃった『家』から、なんとか逃げだしたかったんだろうね。それには母も私も気づいてたし、傷ついてたよ。それでいて父は自分のことを無害だと思ってるふしがあったっていうか……自分のこと、丸くてかわいい無力な生き物みたいに思いこんでたんじゃないかって気がする。奥さんも子どももいるいい年したオッサンなのにね」
そこまで言って一息つくと、ナミコはフォークを持ち直し、まだ半分以上残っていたナポリタンを猛然と食べ始めた。新橋がちょっと驚いて顔を上げると、ナミコはまだ太い麺を飲み込みきらないうちから、口元を手で覆ってもごもごと話し出した。
「やっぱり嫌いじゃないよ、父さん。父さんがしたかった生き方、今の私なのかもって気がする。結婚も子育てもしたくない、母さんには不孝ものだけど生まれた家にも帰りたくない、休みの日は一人で東京の街をふらふらする、古い映画を観る、たまに気の合う友達とお茶する、そういう生き方なのかもしれないって」
顎を引いてごくん、とナミコはパスタを飲み下した。
「父も私も情けない人間だよ。情けない人間に優しすぎるんだよ、この街は」
勘定を済ませ、店からビル屋内の通路へ出ると、ナミコは新橋に七月の予定を訊いた。
「父の七回忌法要の日取りが決まったらしいんだけど、行きたくないから別の予定入れちゃいたいんだよね。新橋ちゃんXX日って空いてる?」
「その日は仕事かな、次の日はたぶん空いてるけど……いいんじゃん、行けない理由なんて適当にでっちあげたら」
「気持ちの面でね」
でもまあ、それもそうか、とナミコは店のレシートをしまう。感熱紙にプリントされたカフェテラス『ポンヌフ』のロゴが財布の中へ消えた。
「ポンヌフって名前の意味、知ってる?」
話題を変えたかったのか、歩き出したナミコは唐突に新橋へ問いかけた。
「知らない、あのガード下の立ち食い蕎麦屋と名前ほぼ同じだなとは思ってたけど」
「『ポンヌッフ』か、どっちも老舗だよね。名前の由来は同じだと思うよ、フランスのセーヌ川にかかる橋の名前」
ビルの出口へ向かいながら、新橋は「橋」と復唱する。
「フランス語なんだ。セーヌ川の橋ってミラボー橋しか名前覚えてないな」
「アポリネールの詩? ミラボー橋」
「そっちは知らない。どんなやつ?」
「失恋の詩。『月日は流れ わたしは残る』ってね」
新橋はビル出口のドアを前にして立ち止まった。
外に見える大通りを自動車が次々と流れていく。
「……思い出した、シャンソンでしょ。ミラボー橋って」
「そうそう、詩に曲つけたやつね。で、ポンヌフの方だけど、『ポン』が『橋』って意味で……」
ナミコはヒールをこつこつ鳴らし、新橋を追い越してドアを開けた。
「『ヌフ』が『新しい』って意味」
新しい橋。合点のいった「新橋」は、「ああ~」と気の抜けた声を出した。
ビルの前で別れたナミコの背中を見送りながら、新橋は古海と初めて会った日のことを思い出していた。ナミコが観たという映画のちょうど封切られた年、ヒロインの境遇から目をそらして二人で逃げてきたあの日、古海は名美という名前を聞くたびに、波子のことを思い出していたのかもしれない。まだ人生をいくばくも過ごさない、小さな子どもだった彼女のことを。
この街は情けない人間に優しすぎる、とナミコは言った。古海さんもナミコも情けない人間だとは思わないけどな。言い出せなかった言葉を反芻しながら、新橋はきびすを返して駅へと向かった。
(月日は流れわたしは残る 了)
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