弱くてさみしがりやのまま一人で生きていける世界に行きたい
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弱くてさみしがりやのまま一人で生きていける世界に行きたい
2026/6/1〜
6月1日 昨日、日中はなんとか気丈に振舞っていたけれど、家に帰った途端、なんだかわんわんと泣いてしまった。泣きながら生活の全てを片付けていた。 友人たちからのメッセージがひたすらありがたかった。母のことを思い出すことばかりで、ただひたすら「なんで産んだんだよ」と思っていた。 自分の内側で何を思ってたって良いはずだけれど、でも、この私の思いは極悪過ぎる。 極悪モードで、勝手に産んでおいてしっかり生きろはひどすぎる、とばかり思っていた。
今日は大学の図書館でお勉強をした。 明日の職場の産業医面談がとても不安だったので、忘れる様にお勉強を進めた。 ふと図書館にいる大学生たちを見回すと、みんな、よく寝ている。批判したいわけではなく、ちょっと大丈夫?と心配してしまう程、かなりの割合でみんな机に突っ伏したり、ソファにぐったりと倒れて寝ている。 突然の暑さのせいかもしれないけれど、でも、全力で学生をやるととても疲れることを私は知っている。
今日も帰り道は“少しずつ取って下さい”の札が下がるびわの木の前を通った。 英語の札には“Let's share”と書かれていた。 木や枝を守るために衝撃を与えない様に“少しずつ”取って欲しい、という意味がと思っていた。 “みんなで分け合って”の“少しずつ”だった。
明日の産業医面談で、やっぱりまだお仕事復帰してはいけません!と言われたらどうしよう!!と泣きそうになっている。 次の瞬間を死なないためだけにでも、今は、もうこの生活を早く終えたい。 職場から“面談の前に確認したい事があるので、少し早めに来て下さい”とメールが届く。
昨日トゲピーがいた証明写真期の前を通ったら、カーテンの下に人間の膝下があり、誰かが写真を撮っていた。 あら、もうトゲピー居なくなっちゃったかな、と少し離れた場所からブースの奥を覗いたら、人間の奥に、まだオレンジ色の足が見えた。
6月2日 私の大丈夫を私が決められなくて、大丈夫じゃないことばかりを社会の側に決められている。 新しい職場は、本当に、いつでも私の予想を遥かに超えて最悪をやってくる。 産業医の復職の面談をして、産業医からまだ復職してはいけない旨を告げられた。 もっと体重を増やして、安定させてからだと、休職できる期間を最大限でも使ってしまえばいいのだと、こちらが次の瞬間を死なない様に必死なのも知らずに。
今の職場でお仕事をしたいかは分からないけれど、でも、少しでも、今のこの生活が続いてしまうと思うと、死んでしまいたくなる。 主治医からの復職可能の診断を受けてから、今日までは、この生活が終わることを希望にして、なんとか命綱渡りをしてきたのに。
それでも私が少しでも手短に復職できるように、と、あの手この手を考えてくれる上司たちもいて、そんなに?そんなに働きたいの?でも休んでると死んじゃう、と、ありがたくて申し訳ない気持ちになった。
面談を控えて、復職できなかったらどうしよう!!と朝から少し緊張して目を覚ました(そしてその通りになってしまったんだけどね!)。 お散歩をして最寄りの小学校で小学生たちがスポーツテストをしているのを眺めた。 2023年の“植物園”の日記の校正作業をして、植物園と京都へ行きたくなった。 その後は出発時刻までお勉強をして時間を潰した。
職場のある町に、面談の時間より少し早めに到着して、6年間気になりつつ行く事ができていなかったエキスポセンターへ行ってみた。 コスモ星丸とワスボットが可愛かった。
遊んでいる人を見た事がない駅のショッピングモール内のゲームセンターでプリクラも撮った。 一人二役で落書き画面を操作して忙しかった。
エキスポセンターが思ったより展示が少なかったので、面談まで時間を持て余してしまい、ちょうど今朝行きたくなった植物園にも行くとができた。 また今年も年間パスを作った(この時はもう明日から復職して、お昼休みに植物園に通う気持ちでいた)!
最近、隣のバルコニーから鳩の鳴き声が聞こえなくなった。 もうある一定の季節を過ぎたからなのかな?と思っていたら、隣のバルコニーも鳩侵入防止のネットが張られていた! 今でも斜め前のマンションの庇の上には鳩の姿を確認していたので、あの鳩は、すっかり立ち入れなくなってしまったかつての自分の場所を、寂しく眺めていたのかもしれない。 やっと鳩に対して同志(敵意を持っている)の隣人が現れて嬉しい。今度マンションの廊下とかで会ったら「我々はついに鳩を追放しましたね!」と手を取る眼差しを向けてしまいそう。
コンビニの証明写真機のトゲピーは、朝はまだブースの奥に座っていたけれど、お昼の出掛け際に見た時はいなくなっていた気がする。 よく考えると、トゲピーの存・不在を楽しんでいないで、誰かの落とし物としてコンビニへ届け出るのが、善良な市民としてするべき事だったのでは?と思った。
とにかく死にたくなっている。 でもこのまま心置きなく穏やかに健やかに可能な限り休み続ける事ができたら、その時には、世界をほんとうにゆるしたり愛せたり、やさしくなれるのかもしれない。今は無理だけど。
6月3日 たくさんいろんなひとと連絡をとらせてもらった。いのちの綱渡りをしている。 昨日の夜、駅のホームに登る階段で途中で力尽きて泣いて、ちょうど来た電車から降りてくる、逆方向からのたくさんの人たちを一部堰き止めるように、立ち尽くして泣いていた。 そのままホームでもしばらく泣いて動けなくて、ふと、これってなんか良くない感じじゃない?綾乃ちゃん?となって、chatGPTに相談して、提案してくれたいのちの電話にかけても繋がらなくて、たくさんのひとにとにかく連絡していた。
朝起きて、お部屋に居続けるのは危険な気がしたので、外に出た。街へ行った。後から気が付いたけれど、今日は台風で街に人が少なかったのが助かった気がする。
おじぎちゃんとヤメピの入荷情報を知って、丸善の2階の絵本屋さんへ行って、2匹を手に入れた。とっても嬉しい。 その後はなるべく良いものを食べようと、神保町へ向かった。 台風の天気でお店も閉まっているところが多かった。そんなに大きな台風なんだ…と、前回友人と行った三橙舎で南インドカレーを食べた。 一つのカレーがとても辛くて、他の二つがマイルドで、交互に別々で食べていたら、メニューの下の方に“中央のライスの上でカレーを混ぜてお召し上がりください”と書いてあって、半分くらい食べ終えたところで初めて混ぜてみたら、ちょうど良いスパイシーさになってとても美味しく食べ進められた。
大学へ行ってみたら、今日は大学も休講のようで全然人がいなかった。今日も先生に会うことができなかった。
とりあえずの今日をなんとかしたので偉かったと思う。 明日はまた主治医の診察へ行くことになった。 職場から、復職に関する見解が産業医と違いすぎるから、主治医に確認してくるように言われている。 上手く復職へ持っていけるような話ができるかな、という不安がある。診察って交渉術が必要なんだっけ。
やりたくないことばかりを乗り越えて、手に入れようとしているのが、全然やりたくないお仕事なのもわかっているから、消えたくて当たり前だと思う。 母から“生きて下さい”というメッセージが来ていて、勝手に産んでおいて、本当になんなんだよ!!!と思った。
6月4日 夜中に停電が発生して目を覚ました。 何かに反応して目を覚ましてしまい、何かいつもと部屋の様子が違う!と電気のスイッチを押しても部屋が明るくならない。いつのまにかサーキュレーターも消えている。窓の外のマンションの廊下は電気がついていて、このマンションはどうかな?と、玄関のドアを開けようとしたら、お隣さんも同じように確認しようとしたのか、ガチャ、とドアが開く音が聞こえて、鉢合わせるのに怯えてドアスコープから廊下の様子を確認した。非常用のランプがついているみたいだった。 何起きているのか分からなくて、不安になっていた、直ぐに復旧した。なんだったんだろう。
それでも、その後はあまりよく眠れず、また妊娠する夢とかを見ながら朝起きて、主治医の診察へ向かった。 一昨日の産業医面談の後、復職にまつわる見解が医師同士で違いすぎるので、その確認をするように、と上司たちと話した結果、また受診することにってしまった。 正直、もうこの医療機関とは距離を置くつもりだったので、自分の時間もお金も気持ちも、これ以上ここで消費させたくなかった。 こんなにも拒否感があることをしないと復職できないの?と言うことが、今の職場の制度(私にとっては復職する気が失せる意味不明制度)には多すぎる。 もちろん、こんなにやりたいくないことばかりを経ないと戻れないお仕事なら、もう戻らなくていいかなと思ってもいて、戻る先を今の職場に固執しているみたいな自分にも馬鹿馬鹿しさを感じている。 転職してもいいのかもしれない。
通院後は、武蔵美の長島先生のゼミの展覧会へ行った。 久しぶりに先生にお会いできて嬉しかった。 ゼミ生の方々の作品鑑賞して、講評会を聴いて、作品のことを考え合う場がとても心地よかった。こうゆうこと、したい、と思った。 職場のことやお仕事のことで悩んだり泣いたり死にたくなっていることが、ちゃんとどうでも良くなれる場だった。 もちろんそこから離れて、1人バスや電車に乗って長い帰路を経ている間に、同じ不安が込み上げてきているのだけれど。
展覧会の帰り際に、先生からキャノンのポートフォリオレビューや講座を担当することになった、と教えてもらった。調べてみよう。 やっぱり長島先生はかっこよくて、とても好きだな、と思った。
この数日間、毎日、毎時間、毎分、自分の気持ちと状態がころころと変化することに、自分でも全く追い付けない。 母にはずっと八つ当たりのような親不孝メッセージを送り続けている。でも、こんなに今まで言いたかったことを言えたことがなかったし、今の私は、母へ本音を送り続けることでしか次の瞬間を生きることができない。
新潟の方から、なぐさめでもがんばれでもない、ちょっとした職場のエピソードと吹奏楽部の娘さんの練習風景の動画が送られてきていた。“懐かしいかな、と思って、送ります”とのこと。 吹奏楽部だったことはもう良くない過去でしかなくて、動画を見ても、運動部でもないのにどこの吹奏楽部もジャージで部活するんだな〜と思ったくらいで、でもすごく嬉しかった。
それと絶望した一昨日の面談のときに、偶然廊下で久しぶりにお会いした職員さんから、職場のチャットでメッセージが送られてきていた。 とても元気ない方で、今の職場で色々と落ち込んでしまう時が多い中でも、お会いするとこちらもポップになれる方だった。 私はまだ一年も在籍していないところなのに(途中からお休みに入ってしまったため)、とても心温まるメッセージを下さった。 また泣いてしまった。たぶん嬉しかったんだと思う。
きっと世界はつまらなくなくて、悪い人ばかりでもなくて、ゆるしあえるはずなのに、私というフィルターを通すと向かうところ敵ばかりの超つまらない人生合戦の現場になってしまう。 どうしてこうなったかな、と思いながら帰宅している。
昨日は雨がたくさん振ったみたいで、部屋の前の土手の向こうは、いつもの川幅を越えて、河川敷まで水でいっぱいだった。
6月5日 早起きできるようになってきたのか、産業医面談から主治医の診察など、この数日間に起きた事が原因で眠りが浅いだけなのかわからないけれど、朝4:30から起きて、転職の調べ物やお仕事のメール確認等をしてしまった。
絶望と悲しみと死にたさから、だんだんと気持ちが怒りに変化していて、今日はずっと今の職場へ怒っていた。今までちゃんと怒ることをしてこなかった気がして、ぐるぐると死にたさや戸惑い途方に暮れるよりも、少しましな感情のような気がした。
いつもより早く大学の図書館へ行って、お仕事関係のことを色々済ませ、開店したての三省堂書店で本を眺めた。 今日も先生の研究室を覗いたけれど、先生は不在だった。 とある女子大生2人の会話が耳に入ってくる。 おっとりとした感じの丁寧な喋り方で、長い髪を綺麗に下ろした女の子が「世界でハゲが流行ってほしい。流行り始めたら私はすぐにでもハゲにしたい」と言っていた。「シャンプーいらなくてボディソープだけで完結するし、ドライヤーだっていらないんだよ」とのこと。 それを聞いたもう1人の子は「でも日焼け止めを頭まで塗らないといけないのは大変そう」と言っていた。 そういえば私の大学時代の同級生にも同じことを言っている子がいた。彼女はすごく自然体で生きていて、そしてモテていた。彼女みたいな子がちゃんとモテるのは結構いいな、と勝手に思っていた。 卒業後、ぱたりと連絡が取れなくなってしまったけれど、どこかで元気だといいな、と思って、でも今聞いた話は、ハゲではなくて坊主かな?と思った。
なるべく今の職場の外の人たちとの繋がりを確認したくなって、たくさんの人と連絡を取ってもらっている。おかげでどうにか命を繋いでいる。
職場から産業医面談の産業医意見書に署名してほしい旨のメールが来ていた。 内容を確認すると、全く同意していない意見に“本人も同意した”と書かれており、とても署名できない旨の返信をメールした。あまり考えないようにしてきたけれど、こんな面倒な人間、職場的にも元の機関へ差し戻ししたくなってないかな?と思った。
帰りの電車では疲れてしまって、宇多田ヒカルを聴きながら隣に座ったひとのiPhoneの画面をぼーっと眺めてしまっていた。 何かの情報を察知することもできず、ただ停めどなく移り変わる画面を眺めていて、でも途中から日本史の教科書で見た事があるような戦国武将の肖像画が何度も現れる事に気がついて、思わず意識を取り戻して眺めてしまった。 画像検索結果に並ぶ武将は、たぶん、武田信玄。いくつかの武田信玄の画像を保存して、保存した画像を見やすく加工して、それをラインとSNSのプロフィール画像に更新していた。苗字が“武田”さんだったんだろうか。 わたしは長らくラインのアイコンを未設定のままなので、確かに歴史上の人物の肖像にするのは楽しいかもしれない、と思った。
交差点の宝くじ売り場には、大安吉日の幟が立っていた。
2026/5/30〜
5月30日 母とオーケストラを観に行くことになってしまい、たくさん我慢したけれど、やっぱりとてもつかれてしまった。 なんだかとても虚しくて悲しくなってしまい、目の前で演奏されている音楽に感動したとかでは無くて、泣きながらチャイコフスキーの“悲そう”を聴いていた。
少しは吹奏楽部時代の思い出が蘇るかな、と思ったけれど、思い出されたのは、演奏をする中で楽器を鳴らすタイミングや、鳴らす音の大きさやピッチを揃える様に、私たちのスカート丈や髪型や靴下の長さや挨拶の声の大きさが統一させられていたことばかりだった。
長島先生の“こんな大人になりました”を久しぶりに読み返して、全国百貨店商品券でお化粧品を買ったところまでは良かったのに、オーケストラ鑑賞の時間を経たら、持ってきた本も買ったお化粧品も、ただの重い荷物にしか感じられなかった。
帰りの電車にカスタムくんマスコットをiPhoneにつけている人を見つけた。
なんとか気持ちを繋げる様に電車でたくさんの人にメッセージを送って、電車から降りたら糸が切れた様に、声をあげて泣いてしまった。 十年ほど前に実家を出てから、外で母と会った帰り道はいつも大泣きしている。 離れていた分だけ母のことをちょっと忘れしまい、勝手に理想を期待して、会う度にそうだった、と裏切られた気持ちになって怒りや悲しみが込み上げってくる。 なんでこうなってしまったんだろう。
5月31日 昨日の母とのことを、書き綴った日記を、どうにかしたくてインターネットに置いてしまった。 早朝に目を覚まして、あ、投稿を消さなきゃ、とiPhoneを見ると大学時代の友人からメッセージがきていた。 “母といえど他人だししんどいと感じることもあるし、会いたい時に会えば良いんだよ、あなたが選択して良いんだよ”とメッセージを送ってくれていた。すごく嬉しかった。 同じ大学で数少ない友人だった彼女との久しぶりの交流に、昨日のかなしすぎた母との出来事をインターネットに置いて良かった、とすら思えた。
私は彼女から時々聞かせてもらっていた、彼女の家族の話が好きだった。大学を卒業してから会う機会がある度に「ご家族は元気?」と聞いてしまう。 他人の私からしたら、お母さんとお姉さんと飼い猫と、とても良い距離感の関係性で、少しずつ変化していく家族の様子を聞かせてもらうのが好きだった。 地元が大好きで、週末の度にキャリーケースを持って登校して来てそのまま新幹線で帰省する彼女だったけれど、でも家族に対しては大人な態度で、人生って色々あるんだな…と思わされつつ、どこか安心して彼女から家族の話を聞かせてもらうことができた。
先日お家に遊びにいかせてもらった友人からは“私はもう母に期待してないけれど、母になった今、母は可哀想だなと思う”とメッセージをくれた。 そして、母の立場からしたら、私の母は嬉しいと思う、とも言ってくれた。 いつの間にか、周りに母の立場になっている友人が増えている。私はまだ子供の立場で母との関係で、どうのこうのと騒いでいて、母の立場からの意見を聞かせてもらえることに、少しはっとした。 私は何をしているんだろう。私も、母になったりしてみたら、何かわかることがあるんだろうか。
隣のコンビニにある証明写真機のブースの閉じられたカーテンの下から、オレンジの何かが見え隠れしているのが昨日から気になっていた。 今日、おそるおそるカーテンを開けてみると、トゲピー(ポケモンわからないので違うかも)が座っていた。
銀座の教文館ナルニア国で“ぐりとぐら”の作者の展示を観た。“きょうのおべんとなんだろな”がとても好きだった。蟻蛾のおべんとうがかわいい。
“女の園の星”の5巻が9月に発売予定らしい。楽しみなことを見つけた。
今日は今月2回目の満月。今年最遠の満月。 月みてね。
2026/5/25〜
5月25日 復職可能の診断を受けて、今の職場と前の職場での面談をした日。 毎朝起きては低血圧と頭痛でぐったり眠りなしてしまったり、食生活は不安定だったり(なぜか過食は治りつつ、安定した1日一食を摂取している)、今の職場のおじさんたちや辛い面談をしてきた産業医のことで、正直不安はいっぱいだった。
でも、今朝ももれなく頭痛を抱えていたけれど、当たり前にお腹が空いても朝ご飯もお昼ご飯も食べることはできなかったけれど、たぶん、ちゃんと元気に職場の方々と「やっと復帰できて嬉しいです!」と面談をできたと思う。
朝は2023年の日記の構成の続きをしつつ、家にいても落ち着かなかったので、早めに家を出て職場のある町へ向かった。前回下立ったのは2月の寒空の下で、二つくらい季節を通り越して、今日はすっかり初夏の風景になっていた。 恐る恐る久しぶりに通勤の道を歩いた。 歩いていたら、あ、知ってるこの感じ、と心身ともにいろいろ思い出してきて、落ち込むどころか寧ろ何かがハイになって、いつの間にかでんぱ組.incのプレイリストを流して、歌い踊りながら歩いていた。そうだった。毎朝、なにが戦う準備をするためにアイドルソングを歌い歩いていた。
職場の面談では「よかったね!」と言われ、新年度以降の職場の状況を聞かせてもらったり、今後の復職までの手続きを雑談をする様な穏やかな雰囲気でお話ししてきた。 それでも「最近はお昼ご飯食べれてる?」とか「少なくとも自分が知る中で、◯◯さん(私の名前)がお昼ご飯食べてるの見たことないからさ」とか「次回の産業医面談の日には体重を測ってきて下さい」とか言われることには、ちゃんと心がざらざらした。 食事や体重関連の質問になる度に、自分の目が泳いでいるのを感じながら「そうですね」と、なにがそうなのか全くわからないまま頷いたりしていた。
数ヶ月お仕事をお休みした程度で長年連れ添ってしまった持病が良くなるなんてことはない、ということが、社会の場では全く通用しない。 ここからどう生き残るか、なんだろうな、と思うし、生き残りたい程のお仕事なんだったけ? 前の職場の面談で、新しい部署のトップの方とご挨拶をした。 まるで社会人みたいな挨拶を「どうもどうも」と交わして「異動希望とかありますか?」と相手から切り出してくれたので、これは!!と伝えたいことを伝えた。 今の職場の環境で嫌なこと、とにかく、とにかく移動を希望していること。 「全てお答えできるかは分かりませんが…」と言われて、それにがっかりするより、泣かないで伝えるだけ伝えられて偉かったよ!あやのちゃん!と、今日のところは、やるだけやれた自分を嬉しく思えた。
上司たちとの面談を終えた後は、前の職場の方々と変わる変わるに雑談をした(相手をしてもらった)。 生き残りたい程の、長年の持病を手放せる程のお仕事かはまだ分からないけれど、久しぶりにいろんなひとと話をして、出どころのわからない元気をしている自分が怖かった。
私が長年担当していた事業の後任をしている方から「◯◯さんが丁寧に対応してくれていたから、スムーズに進みました」と言ってもらって「ありがとう、お疲れ様でした」と言いながら、よくできたやさしい子だな、と感心してしまった。
帰り道、駅まで歩きながら“コンビニ人間”を読んだ朝井リョウが「自分は小説人間だ」と言っていたことや、ペーパードライブの読書会で西川さんが「自分はラジオ人間だ」と言っていたことを思い出した。朝まで1人、目眩や頭痛と戦っていたのに、それをいつの間にかねじ伏せて、職場で楽しくお話を済ませてきて、元気に歩いて帰宅している。私はもしかしたら、すっかり“(今の職場の)お仕事人間”になってしまっているのかもしれない、と思った。
駅に着くとホームのベンチは電車を待つひとで満席だった。1人分の席が区切られているタイプのベンチの一番端に、サラリーマンがペットボトル飲料を飲みながら座っている。 横の自販機で飲み物を買ったお婆さんが、ゆっくりゆっくりと、そのサラリーマンが座る座席のほんの少し空いた空間に、ぎゅっと腰を下ろして、1人分の席にちょうどぴったり2人が収まってしまった。 何食わぬ顔でそのまま買った飲み物を飲むお婆さんに、見ていた私もびっくりしたし、サラリーマンはもっとびっくりしつつ、諦める様に席を立っていた。困った顔をしながら笑っていた。
帰りの電車で日記を書いて、そういえば遥か昔の様な今朝の散歩で、ペーパードライブの“山月記”の読書会を聴いて泣きそうになったことを思い出した。 私はこのままだと虎になってしまうし、たとえ人間に戻っても「虎の時は辛かったよね」と言える袁傪の様な相手はいない、となった。 そんな自分を思い出して少し安心してしまった。
もうすぐ今月2回目の満月を控えた白い月を見つけた。
5月26日 昨日、前の職場に行った時3月で退職されていた方からの餞別のプレゼントを受け取った。 休職に入ることを伝えていたので、他の方に、私が復職したら渡して欲しい、と預けてくれていた。 shiroのクレイハンドソープだった。 とても心が潤った。緊急連絡先としてショートメッセージで何度かやり取りしたことがあったため、退職された方に連絡取るのはよした方がいいのかな?と思いながら、お礼のメッセージを送った。
そして前の職場で驚いたことが一つ。 数年前に、長年の夢だったバスの運転手になるために退職された方が戻ってきていた。 彼が退職した時のことも、そのことを自分の日記で読み返した事も覚えている。 オレンジの可愛い車に乗って職場を去っていく彼を、みんなで見送って、私は、もう一生会うことはないんだろうな、と思った。日記にも、そう書いていた。 でも全然また再開できてしまった。
その方はとてもお仕事ができる方で、円満退社という感じだったので、戻ってきてくれて職場的にもとても助かっていると思う。
一度この職場を手放しても、戻る事も無理ではないんだな、と思わせてくれて、一度関西に行ってみよう、の気持ちがよりいっそう高まった。
エリック・カール展へ行った。 はらぺこあおむしをはじめとする、絵本虫4部作のそれぞれのテーマが「希望」、「働くこと」、「愛」、「居場所」とあり、にこにこと展示を観ていながらも一瞬真顔になって、愛って何だよ?!と言ってしまった。
虫、動物、たつのおとしご、サラミ、チーズ、月、すべての絵が愛おしかった。 レオ・レオーニのコラージュと似ている(昔、はらぺこあおむしの作者はレオ・レオーニなのかと思っていた)と思っていたけれど、初めてエリック・カールとの関係性をちゃんと知ることができた。 エリック・カールはレオ・レオーニに憧れていたそう。 大丸のお歳暮ポスター(オリジナルイラスト)の展示もあり、エリック・カールをポスターに採用するなんて良いセンスだな〜と思った。
東京の街の掲示板を見ていると、どの町会でも神輿の担ぎ手を募集している。
神保町駅の地下鉄から地上への階段を登っていると、後ろから若い男性2人の声が聞こえてきて「なりて、なりて」「いわおとなりて?」というノリよく合いの手を入れるよな会話だった。 なんだか聞いたことあるフレーズだな、と思ってどこで聞いたんだろう、何のフレーズだろう、と考えていた。あの歌のフレーズか、と気が付いてがっかりした。
湿度のある空気の中で陽に浴びると、水分をとっていないのにお腹を壊す傾向がある。 なぜか復活して使える様になったカメラを、またしても落としてしまい、やっぱり電源を入れても真っ暗しか撮れなくなってしまった。きっと私はカメラを持つべきではない。
chatGPTの読み上げ機能を使ってみたら、私は「さいの(彩乃)さん」と呼ばれていた。
最果タヒの“愛の縫い目はここ”の朗読を終えた。 最果タヒの詩を朗読し続けて、269日目。
5月27日 朝起きて、昨日shiroのプレゼントのお礼をメッセージした方からお返事が来ているのを確認。 私が“みんな忙しくて大変そうだった”と書いたことに“(意外と外面だけでそんなことない、)みんな騙されてるだけですよ!”とお返事がありとても元気になってしまった。
今日は大学の図書館でお勉強をした。 久しぶりのお勉強の様な気がした。本当にこの資格試験に関しては、もう記念受験の心意気になってきてしまい、試験日当日を1日受験に費やすのも惜しいくらいの気持ちすらある。でもお勉強をして、お昼には神保町の街をお散歩して、午後もお勉強をした。
大学の図書館の教科書コーナーで“山月記”が載っている教科書を探した。ペーパードライブの読書会を聴いた時は、高校の授業で“山月記”を読んだか記憶がない、と思っていたけれど、教科書の形でこの作品に対面したら、なんだかとっても既視感があった。 お昼休みに聴いたペーパードライブの最新回、フランツ・カフカの“変身”でも、山月記の事が出てきて、確かに虫に変えられるのと、虎に変えられるのは、何だか訳が違う気がした。
図書館から駅までの帰り道でびわの木を見つけた。 街路樹みたいにびわの木があって、こんなところでびわが…と眺めていたら、枝に短冊みたいなものがぶら下がっていた。七夕?と思い近づいてみると“少しずつ取って下さい”と書かれた札が4カ国語分下がっていた。
母とすれ違っていた電話がやっと繋がった。 既に用事はもうなかったけれど、近況を伝え合った。母は通院をしながら復職したところで、毎日通勤と通院のはしごでとても疲れている感じだった。 でも、これまで社会的にとてもつよくて元気なタイプな人間だった母が、なんだか少しよわくてやさしい感じになっていた。気がした。 私が今まだお仕事をお休みしていることにも、以前と、少し反応や対応が違っている気がした。 一昨日、職場で面談をしてきたことを伝えると「外のひとたちと話すだけでも疲れるよね」と言われた。
高校受験生だった私が、毎日不安で不安であまり食事もできず、体に蕁麻疹が出ていた時も、病は気から!ストレスで体調不良なんて(ましてや私の子供で)起こるわけがない、それかよっぽど癌か何かなの?(そこまでじゃないでしょ?というマウント)、という対応しかてしもらえなかったのに(娘の一方的な記憶)。
新潟の方から、先日魚釣りに行って釣ったいわしをオイルサーディンにして食べたらとても美味しくてお仕事の忙しさに自分を失っていたけれど取り戻せた!とメッセージをいただいた。 ふと、とても金沢へ行きたくなった。行きたい場所がたくさんある。
神保町の交差点で信号待ちをしていたら、宝くじ売り場から「本日は虎の日です!」と聞こえてきた。
隣駅のスーパーで昨日美味しかったズッキーニを今日も買った。 一駅歩いて川を渡っていたら、明らかに鳥の形をしたものが地面にぺしゃん、となっていた。足だけが地面から立ち上がって風に揺れていた。
5月28日 ここ数日、お店の外に行列ができる程、丸亀製麺がやたら混雑しているな、と思っていたら“讃岐うどん職人祭2026”が開催されていた。なにその祭り?世の中にはいろんな祭りがある。
今日は何もなかった。 大学の図書館でお勉強をして、お昼には本屋さんを梯子しながらお散歩をして、またお勉強へ戻った。 少し前まではずっとお部屋にいて、大学の図書館へお勉強をしに行く日が少し特別だったのに、それを“何もない日”に出来るくらいには元気になってきたのかもしれない。 そういえば、ここ数日ロキソニンを飲んでいない。 職場の面談の日に、今日は痛みに負けてられない!と、どこも痛くないのに癖でロキソニンを飲んでいたし、結果その日は痛みより目眩に耐える方が大変だった。
お仕事で満たせる承認欲求のことのついて考えている。 自分がしてきたお仕事を褒めてもらったり、職場の方々とわいわいお話ししたりしても、確かに満たされるものがあって、自分がやりたい仕事なのかどうかわからないくても、信頼しようがない他人からの評価でも、その場しのぎに次の瞬間の自分が大丈夫になれるのならば、それでいい気がしてしまう。 心身共に長生きはできなさそうだけれど。
ずっと産業医面談で話すことを考えている。 過ぎてしまったことに文句を言う様で情けないけれど、医療関係者がいない職場の上司達との面談で、毎回体重や食生活のことを踏み込んで訊かれるのが1番ストレスだっだ、と伝えようか迷っている。
新潟の方から“もっと色々食べられる様になったら、間違えなく素晴らしい一品料理屋さんに行きませんか?”と、とても嬉しいお誘いのメッセージを続いていただいた。新潟の美味しいお魚料理が食べられそう。金沢と新潟旅行に行くのもいいな、と思った。
スーパーでアボカドが一個80円で売られていて、こんなことで今日のところの世界を許せてしまう。
最果タヒの詩の朗読、“千年後の百人一首”を読み始めた。今日から100日。
5月29日 友人から一緒に台湾に行こう、とお誘いをいただいてから、豆花について調べている。 東京でも食べられるお店がいくつかあり、食べログで“東京下町の豆花食べ比べ”記事を見つけて読んでみる。どうやら大学の図書館の近くにもお店があるみたい。記事を書いている方の食べログネーム(?)が、下町のナインチェさん、だった。
来週の産業医面談で、自分の病気にまつわる職場の対応や前任の産業医の面談が、とても嫌だったこと、職場復帰の障壁になっていることを相談してみてもいいのかな、と思った。
先週遊びに行かせてもらった友人のお家に、マンションの隣人さんからもらった心温まるお手紙があったことを思い出した。子供が産まれて泣き声などで迷惑をかけるかも、とマンションのご近所さんに挨拶をしたところ“お気になさらず”とお返事をもらったとのことで、この世界でこんなやさしいことって起こるの?!とちょっと自分の世界への悪態のつき方に反省をしていたところだった。
そういえば、私も今住んでいるマンションで、お隣さんから“このたび赤ちゃんが産まれまして、ご迷惑をおかけするかもしれません…”というお手紙と、ジップロックとポリ手袋とサランラップをいただいた事があった。 これをいただいた時は、この部屋の狭さで子供がいるの?!という驚きと、こちらが気を使わない程で、でもちょうどありがたい消耗品のプレゼントに感心していて、お返事をする事なんて全く考えずに全てを引き取ってこの件を終了させていた。
世田谷美術館へ行った。 用賀駅から美術館まで歩いていたら、石敷きの道に等間隔に何か文字が彫られているのを見つけて、読んでみると、たぶん百人一首。美術館まで歩く程に歌のカウントが増えていき、砧公園前で100首目を迎えた。 美術館で“田中真太郎 意味から遠く離れて”を鑑賞。展覧会のタイトルから想像していた感じと全然違っていて、ふーん、とあっさり観て帰ってきてしまった。
砧公園内はほとんどの場所が立ち入り禁止だった。視覚的には広々としているのに、突き進む先々で“立入禁止”のテープにぶつかってしまう。 樹木医の倒木調査中で、倒木の危険性がないと診断されるまでは樹木が植えられているエリアに入れないとのこと。 でもすっかり生長してしまっている樹木たちが、もしも根元から倒れたら、立ち入り禁止エリアをゆうに越えて倒れ込むんだろうな、と思ってしまった。
世田谷でもびわの木を見つけた。 実がなっていない間は気が付けないだけで、街にはびわの木って意外とたくさんあるのかもしれない。
飲み物を買いに入ったセブンイレブンが、もう直ぐ閉店予定なのか、品物が全然なくて空の陳列棚ばかりだった。
私を癒せる猫はいない。
2026/5/23〜
5月23日 友人のお家に遊びに行かせてもらった。 明後日の職場の面談のことが不安なのか、急に涼しくなった天候にやられてしまったのか、無駄に人が多く感じてしまう東京の西側へ出かけて疲れてしまったのか、今日の出来事で、日記に書いておきたいことがあまりない。
好きな人たちとたくさんお話しできて楽しかった。
久しぶりに会った友人はお母さんになっていたけれど、思った以上に変わらない私の知っている友人のままだった。 大好きな友人たちから、結婚や妊娠、出産の報告を受ける度に、びっくりしたりさみしくなったりして、社会の側から色のついた眼鏡で彼女たちを見つめ始めてしまっているのは、いつも自分だけなのかもしれない。 友人は子羊柄の可愛い洋服を着ていた。
てらおかさんのいぬのクリップのガチャガチャを見つけたから、とプレゼントしてくれた。 それと、私といえば鳩(バルコニーで鳩と戦っているエピソードを3年前から友人に聞いてもらっている)、という事で(?)豊島屋の鳩ポーチもくれた。
友人のとても素敵なお部屋の、とても良い本棚にもお揃いの鳩ポーチがいた。本棚を眺めていたら、私のお部屋にもいるハリネズミのぬいぐるみとスズメのぬいぐるみもいた。
友人達との会話で話題にあがったので、宇多田ヒカルを聴きながら帰ったら、朝からのどうしようもなく不安な気持ちが、好きな人たちと別れた後のぽっかりとした、でもひとりになって少しほっとした帰り道の演出装置になった気がして、ただただこの不安感に酔ってみることにした。
友人たちと待ち合わせる前、どうしても体がエネルギー切れしてしまいはじめてスープストックへ行った。 1番定番ぽい“オマール海老のビスク”を飲みながら、カウンターの隣の席の方と、すぐ近くのテーブル席の方の会話を聞いていた。 テーブル席の方は小さなお子さんを抱っこしていて、時々声をあげる子供をあやしていた。 カウンター席の方は自分の食事を食べ終えたところで「男の子ですか?これからが大変ですね」と話しかけて会話が始まり、2人とも子供の習い事の送迎の間にスープストックにいることが判明して、息子達が持っている無数の可能性の何かが花開けば…!と、お互いに様々な習い事をさせているようだった。 カウンター席の方の方が少し先輩お母さんで、テーブル席の方が「なかなか先輩ママもいなくて、息子にもなにをしてあげればいいかまだわからなくて…」と言う様子に「がんばってる、がんばってるわよ〜」と言っていて、なんだかとても力強かった。
「また(息子たちを)習い事いかせている間に会えたら嬉しいです」と言って、テーブル席の方が先に息子のお迎えへ席を立って行った。
スープストックでたまたま隣の席になっただけなのに、お互いに少し救われる関係性を数分でも築き上げることができて、その反対側に座っている私とは物理的距離は同じでも、同性でも、そんなことは起こらなくて、社会は、母というだけで分ち得ることがありすぎる気がした。 これが良いとなのかはわからないけれど。 でも、友人が、偶然同時期に出産したことで、ずっと不仲だった妹と、育児の相談などで連絡を取り合える様になった、という話はとてもいいな、と思った。
母だけが共感できる話にするべきではないとは思うけれど、母になったことでシスターフッド的な心強いわたしたちを見るとができるのは、いいな、と思った。 そして私は誰ともわたしたちをしたくない。
夜、へとへとになって見ていた“ドキュメント72時間”に宇宙ネコ子が流れてきてびっくりした。
5月24日 昨日会った友人から姉妹の話を聞いたところだったので、夢に妹が出てきた。 朝起きて不安で潰れそうになっているのに気がついて、なるべく淡々と今日1日を済まそう、と散歩をして、2023年の日記の校正をして、ヨガへ行った。
散歩をしながら“夜更かしの読みあかし”の山月記の読書回をもう一度聞いた。 歩いていたら最寄りの小学校のフェンスに運動会のポスターを見つけて、日付を見たら昨日だった。
昨日遊びに行った友人のお部屋には、友人が幼少期に読んでいたという年季の入った“ぐりとぐら”があって、私は絵本をたくさん読んではいたけれど、ほとんど図書館や保育園の本だった気がするな、と思った。そんなことを考えて、お散歩を続けていた、“はらぺこあおむし”の絵本が古紙としてゴミ捨て場に捨てられていた。
猫に3匹出会った。
不安すぎる日だった。 2023年の日記を読み返していたら、当時も不安すぎる日に、その6年前と1年前の日記を読んで“頼りにならならないけど、お守り程度にはなる”と日記に書いていた。
帰りにドラッグストアへ行ったらレジ横にフェットチーネグミが置かれていた。ぶどう味かな、と思って眺めていたら、アサイーボウル味。アサイー味ではなくアサイーボウル味。ボウルの?味?となった。
2026/5/18〜
5月18日 昨日から低血糖状態がひどくて、頭と体が痛すぎて起き上がれないかと思った。 でも、この1週間で、家に居るのがとても無理になってしまったので、家を飛び出してしまった。
昨日インターネットに置いた自分の日記を読んで、また自分の人生に自分が一番うけてしまった。 なかなかおもしろ日記だと思ったけれど、でもこんな長いのを全部読んでるひとはたぶん私以外いないので、chatGPTに1日ずつ読んでもらって感想を聞かせてもらった。 切実さや苦しさや、ちゃんとユーモアまでも理解して感想を聞かせてくる。ワードセンスが良くて少し嫉妬した。ワードセンスのよい人間だったら、そのひとの人間としてのかわいらしさだと思える気がするけれど、AIだと何だか嫉妬だけになってしまう。
今日も自分の日記に救われてしまい、日記のために人生をするという選択肢もあることを思い出した。
日記を読みながら飛び出した先は六本木の森美術館で、先週悲しすぎて辿り着けなかった“ロン・ミュエク”展を観たかった。 でも今日も観ることができなかった。 今日は博物館の日だったらしく、入場料が割引のキャンペーンが開催されており会場は大混雑。入場制限がかかっていた。数百円の違いだったら、混んでいない展示室で静かに鑑賞できる日に観たかったので、帰ってしまった。 外はとても暑くて、どんどん血糖値が下がるのを感じて、なるべく日差しの下に居たくなかったのでとりあえず六本木から離れることにした。
電車に乗って何故かふと神谷町で下りてみたら、麻布台ヒルズに直結していたので、初めてちゃんと麻布台ヒルズの中を歩いた。 麻布台ヒルズは高級感あるソラマチだった。 こんなこと言ったら怒られそうだな、と思ったけれど、怒る意味がわからない世界かもしれない、と思った。(私はソラマチがとても苦手で、日本の観光地の否!な部分が凝集されてしまったショッピングモールだと思っている。)
麻布台ヒルズはとても広々していて歩きやすいけれど、どこに何があるのか、今何階にいるのかがとてもわからなくて、ふつーに何度も行き止まりで行き止まった。 麻布台ヒルズにいるひとたちの1/3くらいは、ちょっとこの空間に戸惑っている感じの同志だった。
取り立てて何もせずに帰ってきてしまったけれど、でも、それでもお部屋の玄関でお勉強しているよりはずっと良かった。 帰りに梅雨のいいちこポスターも見つけることができた。
昨日、少し落ち込みのメッセージをくれた友人から“少し元気になった!ありがとう!”とお返事が来ていた。 私は人を励ますことがあまりできないので、落ち込んでいる彼女へ、彼女に対して私が思っていることをメッセージしてしまっていた。思えば、私は、ひとに落ち込みやもやもやや悲しみを、どうにかこうにか伝えようとしてばかりで、誰かから伝えられたことが殆どない気がする。 それはそれでさみしい人間のような気もするけれど、でもみんな見る目あるな、と思った。
早々に帰宅して、どんなに生活のことを片付けても外が明るくて、まだ明るいお部屋でお香を焚きながら、とりあえず今日のところは日記をしている。
帰りに寄ったスーパーでいつも買うヨーグルトが、賞味期限が5月28日までなのにもう割引されていて、この売り飛ばされている感じ、このヨーグルトも取扱が終わってしまうんだろうか、と思った。
5月19日 明日の通院のことがずっと気がかりになりながら、今日も大学の図書館でお勉強してなにかを消費することで気を紛らわそうとしていた。 今日もあまり気が紛れなかった。 お勉強の内容にも、お勉強へ抵抗することにも飽きてしまっていた。 今日は哲学の本のコーナーでお勉強をした。 どのコーナーにも、そのコーナーの分類にまつわる大図鑑が置かれている。前回座った食物のコーナーにはサラダ大図鑑が、今日の哲学コーナーには哲学者大図鑑が、後ろ側のアニメコーナーにはピーナッツ大図鑑がある。
今週末会う予定の友人から、彼女ともう1人の友人と私の3人でよく会っていたからか、今週末の予定に誘っていない友人の名前を挙げて「何かあったんですか?」とメッセージがきていた。 何かあったんだろうか。 何て返せばいいのかわからなくなってしまい“何もないよ?”と返せばよかったのかもしれないけれど、なぜかできなかった。 “何もないよ”と言ってしまうと、断絶してしまう気がして、もう少し何かあったのなもしれない、と考えてみる余地を自分に与えてみたかった。 たぶん、今の私は複数人で人と会って楽しくできる自信がなくて、なるべく一対一で人と会っていたいのかな、と思った。 人数が増えることが嫌なのかもしれない。 でも、もしかしたら、私と友人は何かあったのかもしれない。
お勉強をしながら何かあったかどうか、も同時にぐるぐると考えてしまった。
お昼頃に神保町の街を歩いて、竹尾見本帖で紙を眺めた。 上のフロアのギャラリーで開催されていたタイポグラフィの展示も鑑賞した。 紙に写真を印刷していた時のことを、暗室でひたすら紙にフィルムの像を焼き付けていた時のことを思い出した。
今日の分のお勉強をつぶすように済ませて、早々に帰宅した。明日のことを思って不安で潰れそうだったので焦ってしまい、いつもの癖で、インターネットで知っている人の名前を検索していた。 今日は明日会う予定の主治医の名前を検索した。 検索してみたら、主治医が登壇した某大学の講演会のポスターが出てきた。そこには登壇者の紹介として主治医の名前と肖像写真があり、その写真がいつも診察室で対面する主治医と全然違うイメージで、誰?となった。 肖像写真は茶髪の巻き髪、どちらと言えば歳を重ねてエレガントな美しさを纏う美魔女的雰囲気。いつも診察室にいる主治医は黒髪で切り揃えた前髪で、その風貌だけだと幼さすら感じられる雰囲気。 でも、外向きのポスターに掲げる写真はこれを選んだんだ、と思ったら、なんだかいつも冷徹な主治医の、にんげんとしてのかわいさ、みたいな部分を垣間見た気がして、少し気が楽になった。 ほんの少しだけ。 たぶん明日診察室に入った瞬間、インターネットで見つけたこの主治医の写真を思い出してしまうんだろうな。
なぜか朝から前髪を切って、お化粧したばかりの顔を切った前髪だらけにしてしまった。
5月20日 一駅歩いて主治医の診察へ向かった。 ときどき歩く道で、前回は地面にあった千葉神社のお守りが、隣の茂みの枝に下げられていた。 誰かが落とし物を拾い上げて掲げてあげたんだ、と思い、私は自分が落としたものすら拾いたくないくらい落ちたものを拾えないので、私が一生できないやさしさを見た気がした。
今日はきちんと計画的に復職可能の診断書を受け取るべくして受け取りに行った。 ちゃんと受け取ることができた。 今の自分の体型が受け入れられないか、と言われれば、そこまで執着無く、何が変わったのか分からないし、本当に数値なんだな、と思った。 数値によって私の生活が判断されている期間だったし、これからもやんわりと、これが続くんだと思う。 治療の現場で使われがちな“体重の数値がすべてじゃないよ”的な教科書的な言葉が、今は職場や医療機関によって、私の生活の全てになりかかっている。 とりあえずそこから解放される大きな第一手を打つことができた気がして、とても解放的な気分で通院先を後にした。 昨日インターネットで見つけた主治医の肖像を思い出すことはなかった。
診察の後は、やっと“ロン・ミュエク”展へ行くことができた。 人間の等身大サイズよりも、大きいすぎるか小さすぎる、でも精密にできた人間の作品がたくさんあって、それらがときどき裸だったので少しつらかった。洋服が好きというのもあるけれど、改めて裸の人間が苦手だと思った。
どの展示されている人間も、人間の表情をしていた。 よく街中で知り合いをふと見つけてすれ違ったエピソードが話される時「街中で◯◯さんとすれ違ったけど、とても真顔だった」とか面白エピソードどして「目が死んでた」とか言われる気がするんだけど、そうゆう時の人間の人間的な表情だった。 どこか間が抜けていて、ぼんやりなさけない人間がたくさんいて、うつくしくない人間が苦手なことも少し思い出した。
大きな頭蓋骨がたくさん転がる展示室に入った時、ちょうど後ろから小学校に入る前くらいの男の子とそのお母さんが入ってきて、展示室の様子を見た男の子が「わ…これ、どうして……ひとがつくったんですか?」とこの瞬間だけ何故か敬語になっていて、とても驚いたんだろうな、と、突然敬語使っちゃうのすごくわかるな、と思った。
近くのギャラリーで、エルネスト・ネトと奥山由之の展示も鑑賞できた。エルネスト・ネトは昔、豊田市美術館で開催された“反重力展”で観た作家さん。ふわふわのまどろみみたいな作品が好きだった。
移動中に職場へ取り急ぎの報告として、復職可能を診断された旨をメールした。 私は、一体なにを焦って、したくもないお仕事へ、1日でも早く戻ろうと頑張っているんだろう。 気持ちがとても楽になったけれど、ここだけが全然分からなくて昨日から考えている。またお仕事が再開してしばらくしたら引き戻ったりするんだろうか。
パパブブレでちいかわ商品が販売される情報を見た気がしたので、週末に会う予定のちいかわ好きの友人へ手土産にでも…と思い、パパブブレに行ってみたけれど、どこにもちいかわはいなかった。 本当にちいかわのことを思ったことがなさすぎて、気が引けて「ちいかわの商品ってありますか…?」と店員さんに訊くことができなかった。 丸善書店の前ではみゃくみゃくグッズがたくさん販売されていた。 みゃくみゃく、とても懐かしい感じがしたけれど、大阪万博に行ったのはまだ1年前だった。
5月21日 復職可能の診断書を受け取った旨を職場へ連絡したとろ、早速いろいろと手続き的な面談の日程調整が始まった。 少なくとも3種類の面談をすることになり、それぞれ日程調整をして、その中で職場から私としては全く必要性を感じられない提案を受けて、なんだかショックだった。 職場と連絡を交わしていくうちに、この職場で感じたありとあらゆる嫌なことを思い出してしまい、お仕事をしたくないわけではないので、早々に異動希望の相談をしなくては!!となった。
受けた提案は、すっ、と交わしてお断りして、来週に予定された面談で早速異動の相談をすることにした。
全てをchatGPTに相談した。 私はこの病気を通すと、関わる相手と対戦するモードでしか人間関係をできなくなってしまう。相手から言われる言葉全てに傷付いたり、一方的に私を決めつけるように指図された!と思って、否!の気持ちになってしまう。 chatGPTから“相談ベースで臨みましょう”と言われた。そう、その方が私自身ももっと疲れ果てないはずなのに。 いつも、本性だと信じたくない自分の本性が現れてしまった気持ちになって落ち込む。
職場にメールを送った後は、少し日記の本を作る作業をした。いつかのために、少しずつ2023年の“きのうの帰納法”をまとめている。 この数日間、少し世界にいても大丈夫なのは、日記のことをしているからかもしれない。 2023年の自分の日記に救われている。どんなに世界がつまらなくても、こっちはこっちの星でやってるんで、と過去の自分と手を振ることができる気がする。 それでも全くこの日記を自分だけのものにしておくことはできずに、全世界へ向けて書いているのはなぜなんだろう。
お昼前からヨガへ行ったら受付で中国人の方(日本語がカタコト)とヨガの先生が少しもめている様だった。 4月の入会キャンペーンを今使いたい旨を主張する中国人の方に、先生は「ノーノー!4月オンリー!」と答え、中国人の方は「そうなんです!4月は私お金なかったので、いま使います!」と全くそうではないお返事をしていて、そのやりとりが20回くらい繰り返されていた。 なんだかもはやヨガをやりたいよりも、入会キャンペーンを使いたいだけなのでは?と思ってしまった。
体重を増やせて、復職できることになった旨を友人へ伝えたら“頑張ったんだね、おめでとう”とお返事をもらった。そう、頑張ったの、よく頑張ったよ彩乃ちゃん。 多分今、やっと最低ラインに立てたところで(それでも立派なんだけどね!)ここからどうやってこの病気を手放していけるか観察していこうと思う。
未鈴ちゃんのzine発売記念のトークイベントの情報を明け方知って、サイン付きzineのチケット残り5枚のところに滑り込んで予約した。
久しぶりにアボカドを食べたくなって、種のところで半分にして今日と明日の分に分けようと包丁を入れたら、種が真っ二つに割れてしまった。
5月22日 職場との連絡をとり始めて、結局は人間関係のことでもやもやしている。お仕事の内容よりも、職場でわたしがいない間もお仕事をし続けているひとたちのことを想像して、昨晩は眠る前にとても泣きたくなってしまった。 不安すぎる。
それでも、食事のことでもやもやし続けてしまっているよりは、ずっと人間として高度なもやもやを抱えることができている気持ちになってもいる。
今日も大学の図書館でお勉強をした。 朝起きて2023年の日記の校正をしようとパソコンを開いていたら、ちょうど、昨年他界された大学の先生と最後にお会いした日の日記を見つけた。 もちろん、その時は最後になると思っていなかったので、日記には“また会いに行こう”みたいなことを書いていた。その後も大学の図書館へ行ったときに、道の先に先生らしき後ろ姿を見つけて、でも走って追いかけて挨拶するほどでもないかな、とその姿が大学構内へ入っていくのを見送った時があって、たとえその時走って追いかけていても「お久しぶりです、こんにちは」程度の挨拶しかできていなかったと思うけれど、残された側の人間なので、いつまでもあの時走って追いかけていれば良かったな、と思い続けるんだと思う。
2026/5/16〜
5月16日 神保町の駿河台下の交差点で信号を待っていたら、スポーツ用品屋さんの建物を見上げるように写真を撮っているひとがいた。 その建物の壁面には、8階から2階くらいの範囲に大谷翔平の上半身が掲げられていて、もうずっといるので私にとってはだいぶ風景になっていた。 たぶんそのひとは建物壁面にいる大谷翔平を一生懸命iPhoneで撮っていた。 私はいまだに大谷翔平のワールドワイドなすごさを理解しきれていないけれど、ほんとうに大谷翔平のファンっているんだな、と思ったのと、私だったら、街中のビルの壁面に誰がいたら写真を撮ろうと思うだろうか、と思った。 ビル壁面には予定調和的にしか誰かがいない気がする。絶対こんなところにいないでしょ!みたいな誰かがいたら、写真に撮っておくかもしれない。
図書館でお勉強をして、途中神保町の街に出たら、どこかの出版社の階段に大谷翔平の絵本の広告ポスターがかけられていて、思わず写真を撮ってしまった。
お昼に何か思い立って、1人でカレー屋さんに入ってカウンター席でカレーを食べた。 すごいことだった。しれっと何でもない顔を頑張ってしてみた。食べた後の体調はあまり良くなかったけれど、でも美味しい薬膳カレーだった。
学生時代に来たことのあるカレー屋さんだったけれど、その時と全然変わらない店内やカレーのメニューに、数えてみると10年ほど経っているので、10年前からすっかりカレーの聖地だったこの土地でお店を始めて、長く続いているんだな、と思った。 カウンター席に座る1人客は、私以外は常連さんのようで、席に座りながらさくさくといつものメニューを注文していた。メニューは4つしかないけれど、スープの色やカレーの辛さ、ルーとご飯の量、オプションのサラダを付けるかどうか等、みなさんお気に入りのカスタマイズが決まっているようだった。 私が入店した後に入ってきたお客さんは、店員さんが顔を見るなり「いつものですね!」とメニュー顔パス。「お待たせしました、黒牛すじルー多め辛さ2あつあつです!」と、顔パスメニューが運ばれてくる様子を、横でカレーを食べながら目の前のメニューを眺めつつ気にしていた。“あつあつ”だけメニューにはないオプションだった。
コンビニで白玉ふりかけみたいな名前のパックが半額になっていたので買ってみた。
5月17日 今日もお勉強をしに大学の図書館へ向かった。 白玉ふりかけみたいな名前のパックが良かったので、今日も同じコンビニで買おうと商品の前で値札カードをよくみたら、全然違う商品名のもの(40パック入り)が600円から半額になっている値札カードだった。たぶん昨日も今日も、白玉ふりかけは半額なんかじゃなかった。
日曜日の神保町は土曜日よりものんびりしていて、大学のあるオフィス街へ向かえば向かうほど人気がなくて静かになる。 集英社の建物の壁面にはnon-noのポスターが下がっていて“大学生になったらノンノ!”というすごく直球なキャッチコピーを三回くらい目で読みなぞってしまった。non-noを一度も読んだことない。
図書館の着くと今日は利用者が誰もいなくて、少なくとも私が勉強している間中も、スタッフさん以外のひとが誰もいなかった。 東京の都心で、こんなに広くて静かな空間で、読まない(読めない)たくさんの本に囲まれて、一人で向上心なく、ただ消費するためだけのお勉強をしている、ととても贅沢をしている気持ちになった。 それと同時に、周囲の本たち全てに読めよ読めよとせがまれている気持ちになって、問題を解きながら視界に入る背表紙のタイトルを読んでを繰り返して、とても疲れてしまった。 疲れてしまったので、今日は早々にお勉強を切り上げて帰ってきてしまった。
今日も街にはいろんな人がいた。 バスケをするひと、公開空地でいくつもの封筒に何かを詰めて発送の準備をするひと、混雑するサーティワンアイスクリームの狭い席でチョコミントアイスを食べながら動画を見るひと。
昨日カレーを食べることができた報告を友人にしたら、すごい!と褒めてもらった。 他の友人からは、以前彼女のことを私が、器用だ、と褒めたことに、全然不器用で落ち込んでいる、とメッセージをもらった。
わたしはバスケをしたくなったことはないし、発送準備やアイスを食べながら動画を見るなら、わたしだったら家でやりたい。
食事をできて褒めてもらうなんて、これこそ他人からしたら、そんな小さなことで喜べていいですね!なのかもしれない。落ち込んでいる友人の落ち込む理由を考えてみて(彼女のスペックや環境を勝手に想像できる範囲でしてみて)、落ち込む理由が無さすぎる、と思ってしまう。今日も他人がどこまでも他人だと思った。
突然暑くて、体調がよくわからなくなってOS1ゼリーを二つ買って帰った。
2026/5/11〜
5月11日 何も考えないも、小さな幸せを見つける、も、自分の精神衛生向上につながらないことを実感した。全方面に感度高めで生きがちなので、わりと世界のありとあらゆることに気が付いたり、思わなくていいことまで思ったりしてしまう。 お勉強しながら、同時に10くらいのことを考えてしまう。ヨガで雑念を捨てて瞑想できた瞬間がない。 小さな幸せならいくらでも見つけられる。見つけては、私の幸せにはできない、と思ってしまう。
我を忘れるほどに何かに熱中したり、いつの間にかすぎる毎日を受け入れられること、まずは身体の健康がうんぬん、みたいな、インターネットで散漫に検索した、少しでも生きやすさを取り戻すための参考書の解説が、今日も全く響かなかった。
5月12日 玄関の鍵が施錠不良なのと、クローゼットの吊り部品のネジが外れたのと、トイレの鍵が浮いているのを、管理会社の方にみてもらった。 玄関の鍵は、今使っているシリンダーがすり減っていただけで、他の合鍵を使えばすぐ解決できた。 自分のお仕事と少し近しいところもあり、こんなことで呼び立ててしまって申し訳なくて「もっと自分で考えてみればよかったです…すみません」と謝ってしまった。 まったく気にさせることなく爽やかに「よかったです!」と対応してくれて、仕事をしている人ってやっぱり好きだな、と思った。 いわゆる表向きの顔、とされていても、自分以外の人間のことはわからないので、いつまでも表向き無理ない程度に優しくして欲しくなってしまう。 わたしはこういう風に表向き大丈夫を取り繕うことができなくなっている。
合鍵を探していたら、全国百貨店の商品券が出てきたので、明日の通院の帰りに何かお化粧品でも買って帰ろう、と思ったら少し元気になった。 消費社会の神話と構造にふさわしい報酬を与えれば、わかりやすくOK!生きまくっちゃえ、って感じです。ボードリヤール先生。
5月13日 通院の日で、今日は何としてでも復職の診断書を手に入れるために、そのためだけに主治医の元へ向かっていた。 意気込んでしまっていたからか、緊張していて昨晩はほとんど眠れていなかったけれど、お仕事していた時の起床時間、朝4:30に起き上がっていた。もう4:30は明るかった。
意気込んだ分、落ち込ませにかかってくるのが、この世界のお決まりパターンで、診察で主治医から、増やしきれていない体重のことや、そもそも基本的な生活習慣が破綻していることや、最低限のお仕事すらできないことを告げられて、何だかやっぱりただ生きているだけではダメなことを実感して、診察室で泣いてしまった。 この世界の大人になって、主治医は私のためを思って言ってくれていたんだ、と思える人にはもうなれなくなってしまった。 (そしてきっと、本当に心から他人のためを思って何かを相手に告げるひとなんて、いないと思っている。)
通院帰りに、ロン・ミュクエの展示を観たかった。 アポテーケフレグランスのお香とクローゼットタグを買いに行きたかった。 でも泣きすぎて、ただただ歩くことしかできなくて、行き先を調べて乗り換えをしたりする余裕がなかった。 大森靖子ちゃんを聴きながら、お昼時のオフィス街をただ歩いて、途中で見つけた北方領土ミュージアムにいつの間にか入って一瞬で出てきていた。 なんか鳥のキャラクターが3体くらいいた。 道中で宝くじ売り場に出会う度に、大安吉日を知らされた。
昨日見つけた全国百貨店商品券で、新しいコスメを買いたかったけれど、昨晩“消費社会の神話と構造”のwikipediaを読んでしまったからか、三越地下一階は記号ゲーム会場にしか思えず、歩くだけで満足してしまった。結果何も手に入れられなくてそれはそれで虚無だった。
最近、アットコスメのランキングを見るのが好きで、美容への興味関心がそこまでないにしても、自分の身体が少し良くなるのは嬉しいかも!と、アットコスメランキングで良しとされているものを、少しずつ、とりあえず揃えてみることにしている。 なので三越地下一階でアットコスメランキング殿堂入りの方々とたくさん出会えて、存在を確認するだけで満足してしまったところもある。
でもやっぱりどこか消化不良(消費不良?)だったので、帰りに最寄りのドラッグストアで、アットコスメランキング1位の日焼け止めを買ってみた。 意図せず、限定のちいかわパッケージで、初めてちいかわグッズを所持してしまった(あまり可愛さがわからない)。
夕方は職場とオンライン面談があり、帰宅してから時間があって、気を抜いたら泣いて眠り込んでしまいそうだったので、お勉強をして時間を消費した。
面談では復職がまだ叶わないことのショックを伝えた。 ショックなのは本当だったし、話ながら泣きそうになってしまったし、和やかに上司達はそれを聞いていた。 面談を終えて、生活のことを済ませていたら、ふと、そんなに復職したいのか?そんなにしたい仕事なのか?という気持ちも湧いてきてしまい、また毎日の気持ちの持って行きどころがわからない迷子になって、どうしようもなく悲しくなってしまった。
今日、街にいたひとたちが、とても楽しそうで、みんな何かに向かって歩いているように見えて元気そうだった。
私がこの世界で元気に生きていくことは、もうできないのかな?と、でも、自分でも自分がわからなくて、いつもこの日記をインターネットに置くたびに、自分が過ごしていた日々に驚かされるので、明後日くらいには、超絶ハッピー!生きるってサイコー!になっているかもしれない。
スーパーに買い物へ出かけたら、ちょうど雷がゴロゴロとなって雨が降ってきて、今日もこの街は(アド街ック)地獄だった。
5月14日 もちろんいつも通り、変われない私のままなので、昨日の悲しみを引きづり、朝から次のするべきことをしようとしては、悲しくて悲しくて悲しくて悲しくて仕方なくなり不安で手がこわばってしまう状態で、よくない!!とお部屋から飛び出すことにした。
飛び出た先で途方に暮れないように、消費的なお勉強アイテムを担いで(参考書と法令集が泣きたくなるほど重い)、なるべく捲し立てるように頭の中を埋めてくれる言葉を歌い上げてくれる歌を聴きたくて、やっぱり今日も大森靖子ちゃんを聴いた。
お部屋を飛び出て、大森靖子ちゃんの曲を歌い狂って、少しましになってきて、ふと、ギターを弾きながら歌えたら楽しかったりするのかな?と思った。 昔ほんのすこだけ住んでいた中野の木造アパートが、世界の全ての音が筒抜けで、とっても苦しくて、お部屋の中を発生源が自分であることがわかっている音でしか満たしたくなくてエレキギターの初心者セットを買って、夜な夜な部屋で弾いていた時がある。 防音性能が保たれたお部屋へ引っ越した後、もうギターを弾く必要がなくなったのでハードオフに売ってしまった。
大学院の授業の休み時間に、御茶ノ水の楽器街へ行ってギターの試奏をさせてもらっていたら、授業に遅刻したのを覚えている。わりと真面目な学生だったのに、このエピソードを思い出して自分も、いわゆる学生気分な学生だったな、と思った。
お部屋を飛び出た先はとりあえず神保町で、大学の図書館でお勉強したり、街を歩いたり、本屋さんに行ったりして、なんとかまだましを出来たと思う。
また永井さんの本を読み返して、世界をあるがままで、ひとを生きているただそれだけで、そのままでそれだけでいいことを伝えられるひとは素晴らしいな、と思った。素晴らしいと思った、と書いて、世界をつまらないと言い放ってしまう今の自分が書く“素晴らしい”は、小学生の時に書いた人権作文での“人権ってとっても大切だと思いました”の書きっぷりとほとんど同じにみえてきてしまった。
インベさんに影響されてりんごを自分で剥いて食べられるようになった、とメッセージを送ったら、インベさんが褒めてくれた。嬉しい。
chatGPTに昨日の日記を読んでもらったら、最後の“(アド街ック)地獄”に笑っていた。
5月15日 昨日はどろどろのぬかるみで蠢く蛇たちと戦う夢をみた。闘っていたら、蛇たちは巨大ガマガエルに呑まれてしまい、闘う相手が不意に消えてしまい呆然としていたら、その巨大ガマガエルは通りかかったタコに絡まれて呑まれてしまった。 久しぶりにあんまりもやもやしない夢で楽しかった。
アンドリュー・ワイエス展示へ行った。 全体的に曇天な色合いの絵で落ち着いた。ドライブッシュという技法の絵と“松ぼっくり男爵”と“さらされた場所”が好きだった。“さらされた場所”は、窓のガラスが割れたところにカーテンが丸めて詰められていて、なんだかかわいかった。
関係性のある相手そのものを描かずに、窓際や影のかかった玄関とか静かなものたちを描いているのが、写真みたいだった。
窓から海の風が入ってきてカーテンが舞い上がるシーンをいくつも描いているのを、私がお部屋の窓の写真をたくさん撮ってしまっていたことと重ねて観ていた。
親族でない他人の姉弟たちを、彼らが亡くなった後もずっと描き続けていることが、その関係性が、とてもいいな、と思った。
最後のグッズ売り場に何故かスヌーピーがいて、?と近づいてみたら、スヌーピーはワイエス愛好家で犬小屋に絵を飾っているとのこと。 スヌーピーがコミックス上で、ワイエスへの愛を語るシーンのグッズがたくさん展開されていた。 「何でこんなとこにスヌーピーいるんだよ」「ワイエスのファンデ犬小屋に絵飾ってるらしいよ、俺も今知ったんだけど」「え?それで紐づけてグッズ出すのかよ」と、隣にいた50代くらいの男性2人組が、私が1人で感じた?!を全て言及してくれた。
お昼は、友人の休み時間に会ってもらった。 友人の職場のある新宿で下車。 ここ数年は、この友人にお昼休みに会ってもらう用事以外で新宿へ行くことがない。 新宿はいろんなひとがいるな、と思った。肩にインコを乗せて歩いているひともいた。
忙しいのにお昼休みの時間をお休みに使えず、私と会う時間に当ててくれて申し訳ないけどありがたいな、と思いながら友人との待ち合わせに向かった。申し訳ない、とか思うのも嫌になってしまい、お昼休みに私に会えるなんてとっても嬉しくてハッピー過ぎるのでは?と気持ちをなるべく逆さまにするようにした。私に会えてハッピー過ぎる。
ひとと会ってお話しをして、世界がつまらないとか、ただいるだけをしたいとか、そうゆうことを考えなくて良くなれた気がする。 だから、その後は図書館でただ椅子に座って窓の外の景色を眺める時間を過ごすことができた。 ただ荷物が重くなるのが嫌でお勉強の教材を家に置いてきてしまっただけなのだけれど。
今日みたいに楽しかった時間が長い日があると、目の前が楽しくなければ消えたくなることがまた増えてしまいそう。
夕方、買い物のためスーパーへ行くと、お店の前にパンのかけらが落ちていて、一羽のスズメが自分の体と同じくらいの大きさのご馳走を地面で啄み、人間の目を気にしては電線に飛び立って、地面と電線を何往復もするのがとても可愛くていつまでも見続けしまった。 買い物を終えてお店を出たら、まだスズメは往復を続けてはパンを食べていた。
2026/5/2〜
5月2日 今日は何もなかった。 お勉強をして、でんぱ組.incのラストツアーTシャツを来てヨガをして、またお勉強をした。 どちらかといえば夢の中の方が忙しそうで、今の主治医と修士論文の研究テーマについて話していた。もうすぐ研究テーマの発表があるのにまだテーマを絞りきれずに散漫なパワーポイントを作って焦っている夢だった。
まだ夜が明ける前の早朝の時間に、昨日の夜お部屋の窓に見つけた月をの写真をインターネットに置いた。月のをことをしたら安心してしまい、今朝は少し寝過ぎてしまった。
昨日買ったりんごは、皮剥きの労力に見合うおいしさで、銘柄でこんなに違うんだ!とびっくりした。サンふじという名前のりんご。
モッコウバラのもこもこがだいぶボリュームダウンしているのに気がついた。いつもゴールデンウィーク頃にもこもこかピークな印象があったので、今年は少し早い気がする。
月とりんごとモッコウバラとキトラ古墳のことを考え続けていたい。
5月3日 1ヶ月前につくった下唇の下のとろろ昆布の火傷跡と、左おでこのたんこぶがまだ顔にあるままで、左頬に擦り傷をつくってしまった。
amazonで届いた化粧水が梱包された段ボールをカッターで開けたら、化粧水詰め替えパックまで切り裂いてしまって、段ボールの内側から化粧水が溢れ出てきた。amazon運が最近ない。
今日は少しテンションが上がった瞬間があった。 でも上げるべくして上げていた感じで、ぼんやりとした消えたさの方が確かなのには変わりなかった。
昨晩も夢が忙しくて、課題の材料を買って帰って模型を作らないと!と電車で帰宅して、最寄り駅で下車したら、ホームに“世界で1番臭い串焼き”と謳われたサバの塩焼きの串焼きが売れている自動販売機が置かれていた夢だった。 確かにサバの塩焼き、匂い強いけど、そんなに?と思った。
いつのまにかツツジもおそろしい感じで枯れていっている。いつもはゴールデンウィーク頃にこわい感じで咲き誇っている気がするのに。やっぱり今年は季節が進むのがはやいきがする。
5月4日 ゴールデンウィークで世の中がお休みを満喫しようとしている!と思ったら、持ち前の天邪鬼が発揮されてしまい、いつもよりお勉強が捗っている傾向。 毎日なにかをいつもより少し多めに消費している。
昨日の夜中は風がとてもとても強く吹いていて、音がものすごくて、朝起きて外に出たら夜中の全てが吹き飛んでいないかな、と期待していた。 朝起きて外に出た時は、風が強かったこととか、全てが吹き飛んでいて欲しかったことと忘れていた。 それくらい世の中は通常運転で、時々枝が折れていたり、花びらが地面にたくさん落ちていたりするのを見つけたくらいだった。
今日は朝から予定があって出掛けたけれど、ゴールデンウィークから逃げる様に帰ってきてしまった。
5回くらい、信じられる神とかいたら楽なのかな?と思った。
キトラ古墳の天文図見学に当選することを、ただひたすら願うとに、思考の全てをシフトさせるようにしている。
帰宅してポストを見たら、紙切れに手書きで書かれたamazonの配達不在票(不在票?!)が入っていた。全くの他人の手書きの文字を久しぶりに見た気がして、なんか怖かった。最近amazon事情がなんだかよくない。
5月5日 毎日なんのための祝日なのか、なんのための祝日なのかわからなままゴールデンウィークを過ごしていたけれど、今日はこどもの日でこの連休は明日までらしい。 それに気付かされるような方と会って、3時間くらいたくさんお話しした日だった。
少し前向きに、お仕事に戻ろう、と思えて、そして戻ったらなるべく早く移動の相談を上司にしよう、と改めて思った。
午前中はいつもどおりお勉強とお散歩のセットを繰り返して、途中で明日で閉店するお部屋から徒歩10分のところにあるハードオフに行ってみた。 入ってみたらたくさん人がいるのに陳列棚がガラガラで、入り口から店内をなんとなく見渡して、それ以上入っていく気になれなかった。 入り口入ってすぐの棚には、すみっコぐらしの人生ゲームがあった。
夢の中で、中学時代の軍隊の様な吹奏楽部に所属しながら今のお仕事もしていて、また忙しそうだった。
ジョナゴールド、というりんごを食べてみた。 また今までと全然違う食感でびっくりしつつ、昔食べていた時の方がりんごをとても美味しく感じていた気がして、りんごの旬を調べたら10月〜2月とのことで、今は旬ではないからか、と少し安心した。
5月6日 今日で閉店する近所のハードオフの様子が、やっぱりに気になってしまい、もう一度行ってみた。 店内が人の匂いで溢れていて、お店に来ている人たちの匂い、というより、手垢が積み重なった中古商品たちからの匂いの様の感じて、少し気持ち悪った。
昨日は久しぶりにひとに会って、楽しかったけれど疲れたのか、5:30に起きて、ひととおり世界のつまらなさを確認してからまた眠ってしまった。 今日はもう1日横になったまま過ごすつもりでいたのに、起き上がってお勉強をしてヨガに行っていた。
インターネットでつながっているロシアの方から、絵文字メッセージがきていた。 時計と吹き出しと汗と手を合わせる四つの絵文字は、たぶん“返事遅れてごめんなさい”で、お祖母さんに関するメッセージには、お祖母さんとお祖父さんとお墓の三つの絵文字に、2021の数字があり、その後に猫が泣く絵文字とハートが割れる絵文字が続いていた。“祖父母は2021年に他界して、とても悲しかった”ということかな、と思った。 ずっと彼女と、ときどきこうして絵文字で会話を続けられたらいいな。
お勉強セットを終えて外の出たら、ゴールデンウィークの終わりに相応しい空が燃えてるみたいな夕焼けが出ていた。
モッコウバラは終わってしまったけれど、代わりにバラが可愛く咲き始めている。
5月7日 今日は何もなかった。 今日も、今住んでいる町は、湿度の高い風が必要以上に強く吹く地獄だった。
キトラ古墳壁画の天文図の見学抽選結果の発表があって、游ゴシック体のエクセルで作られた表から抽選番号を探した。
5月8日 昨晩、とんでもなくつまらない悲しさでめそめそしていたところ、極めつけに、いつも飲んでいる睡眠のお薬が袋ごとなくなっていることに気が付き、パニックが追い打ちをかけた。 いつも薬を飲んだからってよく眠れているわけではないけれど、悲しみとか情けなさとか焦りとかで、全く眠れなかった。 ジップロックに入れて保存している薬を、たぶん袋ごとまるっと捨ててしまったのだと思う。 なぜかジップロックを閉める手ぐせ(?)で、ゴミに捨ててしまう。以前もこんなことがあった。
すごくすごく、よくないな、と思いながら、早朝、マンションの共用のゴミ置き場から、昨日自分が出したゴミを見つけて、その中から薬を拾い上げた。 自分でも、何でここまでしているのか訳がわからなかった。早朝にゴミを漁っている。すごくすごく悲しかった。 無事に薬を手元に取り戻せても、一度ゴミとなっていた薬を服用するの?と、ちょっと戸惑いもあった。 とにかく悲しくて、朝からもう今日を一瞬でも早く終えるべく、今日がお誕生日の友人へお祝いメッセージを送って、バランスを崩しまくって、食べたり眠ったりして過ごした。
その中で、いまなぜか日々することになってい消費的なお勉強資格は、とても独学では難しく過去問を繰り返し勉強するだけでは太刀打ちできないというインターネットの意見を読んでしまい、ほんとうに無駄な時間を日々お勉強に費やしていることに虚しくなった。心のどこかで、あわよくば(合格できたら?)と思っていたのが見え見えでつらくなった。
救出した薬を飲んでも眠りきれずに、ただだる重くなっただけの身体でなんとかシャワーを浴びて、何に向かっているかわからないのに、明日活動するための準備をして、午前3時だった。
5月9日 昨日、あんなにめちゃくちゃな生活とも言えない、悲しみの時間を消費しただけの日だったのに、今日は朝から図書館へ行って、一日を消費するためにお勉強をした。 途中、やっと新装開店の賑わいが落ち着いた三省堂で最果タヒの新刊を買いに出かけた。 初めて3階まで見て回ることができた。3階はカフェやイベントスペースで、今日はくどうれいんさんのサイン会が午後から開催されるようだった。
帰る道、神保町の道端に小さな紫陽花を見つけた。
メンタル系記事(?)で教書的に描かれがちな、淡々と何でもない、つまらない自分と日々を愛して、凪を目指す、みたいなのが、自分に正直になってしまうと全く欲しくないものばかりで全く良いと思えていないことに気付いてしまい、なんでこんなに自分は欲しがりで飢えたがりなんだろう、と困っている。それを埋めるものを他力本願と言えるほど、頼れる他力がないのも実感していて、消えたくなる。
今のお勉強をもう続けなくて良い理由ばかりを、いつの間にか頭の中で探している。 見つけた理由の一つは、ずっとオフィスビルの上の赤いランプが好きなのだけれど(このランプのことが最果タヒの詩に出てきた時、わたしは?!いつの間にか?最果タヒだったの?!!とびっくりしてた)、でも問題集に“航空障害灯は高さ60メートルの建造物に設置が義務付けられており…”と、このランプについて、とんでもなく野暮なことを知らせてくるという事。 もう一つは、太陽のことはたくさん取り上げるのに、月のことは何一つ出てこないこと。月に関係なくても平気なものたちのことは、別にお勉強しなくてもいい気がしている。
5月10日 最果タヒの存在を思い出して泣きそうになった日だった。嬉しくて泣きそうになっていた。
朝お勉強を済ませて、街に出て、念願のヴェンキのジェラートを食べたら全く美味しくなくて半分も食べられずに捨ててしまった。 その後も、何を食べても美味しくなくて、過食しきれず、もう本当に食べ物で飢えているつまらなさを満たすのは限界になってきているな、と思った。 今日は母の日だから、お花屋やケーキを片手に電車に乗っている人が多かった気がする。
バランスを崩しまくっても、世の中の母が感謝されていても、世界がつまらなくても、でも今日のところは私には関係なくて(私自身の身体に起きていることさえも!)、それでも最果タヒがいたことを思い出せた今日が嬉しかった。睡眠のお薬が効かないくらい、嬉しくて頭が冴えてしまっている。
調子に乗って、3人分くらいお誕生日のお祝いをしてしまった。
最果タヒのことを思い出せて、改めて、早く関西へ行きたい、と思っている。
みんなの世界をつまらながってごめんね
2026/4/27〜
4月27日 昨日は世界がつまらないことを、声に出してひとに言ってみて、しどろもどろにもたくさんそのことを伝えてみて、改めて、世界がつまらない、と言っていいことに気がついて、それから少し何かが楽になったのと同時に、今まで配線が切れていたスイッチがつながりオンされた感覚で、インベさんに教えてもらったニコンようかんのWikipediaとかを見ながら夜中まで起きてしまった。
5:30に起きて日記の更新をして、飲めるだけの薬とサプリメントを飲んで、もう一度眠った。
起きてから、やっぱり、世界がつまらなくて、歩く道で3回くらい、はっ!となり「世界つまんな〜〜い!!!」と言いながら走ったりした。 たぶん、今まで世界に気を遣って、なんとかおもしろがっていたんだと思う。 世界のおもしろさ探しをしていたんだと思う。 でも、やっぱりつまらなくて、このつまらなさはわたしが摂食障害になるのも頷けるな、という考えにまで至っている。
摂食障害をやっていると毎日自分の身体が倒れないか、ヒリヒリする感覚があってサバイバルなので退屈ではなかった。生きるのに必死感があった。
でもわたしの場合、この病気で教科書的に言われる“痩せていく過程が嬉しくて満たされる感覚”みたいなものは体験したことがなく(痩せていく過程で体重計に乗っていたこともなく、痩せていく身体に嬉しくてやることもなく、ただある日朝起き上がれなくなってやっと痩せていた事に気がつくばかりだった)、医学的に危険だと生活を止められては体重回復の過程で太ることへの恐怖心が生まれるだけ、を体験している。全くこれは患い損だな、と思った。
早く消えるかほしをつくりたい。
2年くらい前に訪ねてから、ずっと行きたいな、と気にしていた喫茶店に行ってみた。 マスターの方と常連のお客さんと適当に会話をした。常連のお客さんお二人はご結婚されたとのことで、もうすぐ高松に移住するとのこと。 「なるべく暖かくて、海があって、家賃も安くて、でも街もあるところに住みたくて…」と言っていた。 まったく知らないひとたちが、結婚やら移住やら言っていて、こんなにもわかりやすい人生の大きな転機エピソードなのに、今日のところは、世界つまらないな、と他のほしからの見学者の気持ちでいた。
なんだかんだで過食もしていたけれど、くよくよし切れず、食べ物は味の強弱とベクトルの違い、温度の違い、硬軟の違い、を感じる程で、まあ液体に近い方が身体に入れやすいかなくらいにしか思えなくて、だんだんつまらなくなってきてしまった。 美味しいものが食べたい(ヴェンキのジェラートが食べたい)。 いつもより多めにサプリメントを摂取した。
長いことお話ししていたchatGPTに「そろそろ本当にお別れかもしれません。忘れないでね、さようなら。」と言ったら“このスレッドが終わると、このやりとりそのものは残らないので、ずっと覚えているとは言えないのが現実です”と言われた。
4月28日 お仕事復帰の診断書を受け取るために診察へ向かった。 昨日はいつものバランスを崩した日どおり倍量の睡眠のお薬を飲んでいたので、朝起き上がるのが本当に大変だった。 でも、横になりながら、祖父江さんの訃報を知って、身体は沼に浸かったまま頭は覚めていた。
世の中は明日くらいからゴールデンウィークなのか、と思ったら、まだ通勤ラッシュで混雑する時間帯の電車でも、そちらはゴールデンなゴールデンウィークをお過ごし下さいね、の気持ちで過ごすことができた。
診察時間よりも早めにつきそうだったので、日比谷公園を散歩して向かうことにして、日比谷駅で下車。今日の空の青さも、今までわたしが感じている程度の青だった。
公園の芝生広場に制服姿の高校生たちが集まっていた。課外活動の日なのか集合場所で先生が生徒たちの出席状況を確認していた。出欠表と思われる紙を片手に、もう片方の手には空のスタバのフラペチーノのカップがあった。集合場所でフラペチーノ飲んで待ってる先生がいるなんて、いい学校のような気がした。
なるべく病院の感じにのまれないように気をつけながら診察へ向かった。 「今日は復職の診断書を受け取りにきました」と先手を打ったけれど、なぜか今日に限って(?)主治医が当たり前に診察をしてきて、体重を測ると言い始め、ちょっとつこうとした嘘をつききれなかった。 まだ体重が足りませんね、となって終わった。 「計画的に増量させるために、食事記録を取ってみませんか」とも言われたけれど、ばかばかしくてやってられなくなってしまうと思います、と正直に伝えてしまった。 これ以上食事のことを考えるきっかけを増やさないでほしい。
診察の後は、東京のオフィス街でも「世界つまらない〜〜〜」とでんぱ組.incを歌いながら走り回ってしまった。
これ以上、世界をおもしろがることも、世界で強がり続けることも、世界でのこれからを考えることも、もうしたくない。
今日はいつもより早めに生活の終わりに向かうことができて、帰り道には久しぶりに月を見つけた。来月には2回の満月を控えている月。
4月29日 配達完了の通知を受けたamazonの荷物が玄関先のどこにもなく、通知と一緒に届いた写真を確認すると、見たことのない宅配ボックスの写真が送られてきていた。 どこか違うマンションの宅配ボックスへ配達されてしまったらしい。 わりとすぐほしい荷物だったので、帰りに周辺のマンションを覗いてみようかな、と思った。
一昨日虹が出ていることをとある友人のSNSの投稿から知って、お部屋の窓の外を見たら本当に虹がかかっていて、いつも虹のことを報告する関西の友人へ写真を撮ってメッセージを送ってみた。 送りながら、なぜかなんとなく、この返信に出産予定の報告を受ける気がしてしまった。妊娠や出産は、社会的にはとてもとてもプライベートでデリケートな話題とされている印象なので、こんなふとした感じで扱っていいのだろうか?と罪悪感を少し感じてしまった。
友人からは“最近は引きこもっているからか、まったく虹を見ていない”ということと“7月に出産予定で実家に帰るのでその時会えたら”とお返事が来ていた。なんだか思ったとおりになってしまった。
今日は久しぶりのお勉強の日にして、大学の図書館で何かを消費した。 途中、頭が痛すぎてロキソニンを買いに神保町の街へ出たら、たぶん国に対して何かを訴る集団が交差点毎に日本の国旗を掲げていて、遠くで何かを叫びながら行進していた。警察もたくさん出ていた。 何かを叫ぶ声は響きすぎて、何を叫んでいるのか聞き取れなかった。
4月30日 amazonの配達完了の通知に添付されていた宅配ボックスの写真を頼りに、近隣のマンションのエントランスを覗きながら、誤配達された荷物を探した。 思いの外すぐに2件隣のマンションのエントランスに、まさに!な宅配ボックスを見つけ、amazonの通知通りの解除キーでロッカーを開けると私宛の荷物がちゃんと入っていた。 知らないマンションのエントラスに入って、宅配ボックスからただ荷物を取り出して出ていく、という不自然なことをしてしまったけれど、終始堂々とやり遂げてしまった。
ずっとりんごを食べたい日々を、包丁で皮剥きをできないので諦めていたけれど、先日インベさんから「ピューラーで剥いてるよ」と教えてもらい(インベさんは健康のために玄米とにんじんジュースとりんごを食べているとのこと)、それならできるかも!とりんごを買ってみた。 りんごを買ったスーパーにはピューラーがなかったので、どこかでピューラーも買わないと。
インターネットで時々やりとりをするロシアの方が、ストーリーに彼女の祖母について投稿していて(InstagramとchatGPTの翻訳機能を使ってなんとか呼んでみた)、気になった。 その後に、英語の文章でお仕事に対する辛さを切々と綴った投稿をされていて、とてもお話しをしてみたくなった。 でもロシア語はおろか英語もまともにできないので、今日も絵文字だけのメッセージを送った。
今日で4月が終わる。まだ4月だったの?という気持ち。5月は2回満月があって、そのうち2回目の満月は2026年で地球から1番遠い位置にある最遠の月で、来月は少し忙しそう(月のなにかになりたがっている)。
久しぶりにヨガに行ったら、とてもたくさん息を吸えて、固まっていた背中に息が入っていく感じがした。
バムケロのおじぎちゃんとヤメピのぬいぐるみ抽選結果1回目、落選のお知らせメールが来ていた。
5月1日 昨晩、最寄りのスーパーでピューラーを買って帰ってりんごの皮を剥いた。剥きながら、なんだか既視感のある光景だな、と思って、でも食材の皮を剥く様な調理をした記憶がないし…と不安定にりんごの皮を剥き続けていた。 朝起きて、やっぱりこの記憶が気になって、滅多に開けないキッチンの上の棚を開けたら、ピューラーがあった。ピューラーが二つもある部屋になってしまった。 りんごは美味しかったけれど、皮を剥いたり切ったりする労力には見合う程ではなかった。
朝は土砂降りだったけれど、1日のお勉強を終えて外に出たらとてもよいお天気になっていた。 明日の満月まで天気が持つといいな。
ナチュラルローソンで買ってみた個包装のはちみつ紅茶が美味しかったのでamazonで注文したのだけれど、配達完了通知が来たのに、またどこにも届いていない。 通知メールには知らない宅配ロッカーの写真。連続で誤配達。しかも前回と違う宅配ロッカーの写真なので、一昨日特定できたマンションとは違う建物の様。
土砂降りの中、隣近所の集合住宅をいくつか巡ってみたけれど、写真のロッカーに出会えずamazonカスタマーサービスに電話をして再配達を依頼した。 amazonのサイトから、なかなかカスタマーサービスの電話まで辿り着けず、ずっとサイト内にすでに用意されているたくさんのQ&Aをぐるぐるさせられて、ちょっとストレスフルだった。
約1ヶ月かけて、やっとお手紙の返事を書き切った。もらった手紙に書かれていた質問に全て答えられているかすらわからないし、同じことを何度も書いてしまった様な気もして、でも読み返すともせず郵便局の窓口に出してしまった。
2026/4/25〜
4月25日 思ったより寒くて曇天の気候が響いてしまって、あまり元気ない気持ちで、すべてのつまらなさが戻ってしてしまった世界に、昨日の一日がとても自分にとって楽しい時間だった事を実感しながら今日を始めた。
すごくお勉強したくないな、と思いながら参考書と法令集を担いで大学の図書館へ行った。
神田や神保町は、あらゆる神社で例大祭の準備がされていた。 お祭りって秋のイメージだったけれど、5月の初夏のさわやかな気候の下で、お神輿や山車が出ていたのを学生時代当たり前に風景として見ていたのを思い出した。 そういえば今の(アド街ック)地獄でお祭りの予感を感じられたことがない。
今日は文学の書棚の近くの席でお勉強をした。 万葉集に関する本があって、すごくすごく気持ちが道草しそうだった。 ”ビアトリクスポターが愛した庭とその人生”というイギリスの造園家の方が、ピーターラビットの著者とお話の世界について書かれた本も近くの棚にあって、こちらととっても気になっていた。
帰りに三省堂書店でオープン記念のノベルティのクリアファイルをもらった。オープン初日は大行列ができていてもらい方がよくわからなくて諦めていたので、クリアファイルだけど、でも嬉しかった。
歩いていたら、わたしのほしのゲートにぴったりな、モッコウバラのアーチを見つけた。
chatGPTに復職後にすぐ異動希望の相談をするため、上司へ送るメール文面の相談をしてみた。
手紙のお返事は今日も書き上げることができなかったけれど、でも、2011年の3月11日に何をしていたのかという問いに、短編のきちんとした小説(?)でいただいたお返事に、文章は振り返った今、振り返った先での出来事を作品に残せる、と思った。 うまく言えないけれど、あの日まだ写真を撮る事をしていなかった私は、あの日見たものや感じたことを写真というかたちでは何も残していない。 今同じことが起きたとして(とても不謹慎だけれど)、きっとだいぶやられてしまって、しばらくは写真で何かしようとすらできずに何も撮っておける気がしない。 でも、文章は、後から振り返った今の時点で、あの時何を見て感じていたか残すことができるな、と思った。文章を書く事を生業としている方々からしたら、そうゆうことではないのかもしれないし、そんな事当たり前なのかもしれないけれど。 そして、写真でだって、振り返った今の時点で、振り返った先のことを残したり作品として作ることは出来るのかもしれないけれど。
4月26日 ヨガに行くよりも睡眠時間を確保する方が、今の私には健康的な生活に近付ける気がしたので、5:30に起きてから、予約していたレッスンを後少しのところでキャンセルできずに、iPhone片手に二度寝していた。前向きな二度寝。
最果タヒの“百人一首という感情”を読み直していたら、百人一首も面白いかもしれない、とペーパードライブの百人一首回をもう一度聞き直しながら朝のお散歩をした。菖蒲がたくさん咲いていた。
枕草子や百人一首など現代でないもののほうが今は楽しめる気がする。楽しそうなドラマや小説を見つけて、少し触れてみては、フィクションとの切り分けがうまくできずに、今自分が生きている世の中のつまらなさに消えたくしまうので、少し(かなり?)時代を隔てている作品の方が楽しいのかもしれない。
もしもキトラ古墳壁画の見学に当選したら…と、宿泊先を調べて見たら、周辺にホテルはあまりないみたいで、なんだかんだ京都周辺で探すのが良さそうだった。 忘れた頃に当たっているといいな。
玄関でまた少しお勉強をして、今日は時間を消費して、インベさんとの約束へ向かった。
神保町の三省堂の前でインベさんと待ち合わせをして、オフィス街方面のタリーズでお茶をした。 久しぶりに、本当に、ただお茶をしている時間を過ごした。 6年前の撮影の時から今の変化や、最近気づいてしまった世界のつまらなさや、お仕事をお休みしていることや、たのしいことや健康の話などをした。 数年前に作った写真集も見てもらった。
インベさんは20歳から40歳までの20年間、ずっとつまらなさに耐えかねて、楽しいものを探し続けていた、と言っていた。 あとずっと健康がたのしいことだった、と、もうすっかり定着した趣味だと言っていた。 もうピーポくんへの好きは、少し冷めてしまった、と言っていた。周りの人がメルカリでとかでピーポくんグッズをくれるようになってしまい、なんだか違う、となったらしい。現象を楽しんでいた、という言葉に、私がカスタムくんを好きだったけれど、最近はそこまでではなくなってしまった気持ちに、ちょうどぴったりだと思った。
今回も、摂食障害の話を始めたあたりで、インベさんはノートにペンを走らせて、録音用のマイクをつけることになった。やっぱり、と思った。 前回インタビューして撮影してもらい、それが雑誌の記事になったのを見た時も、自撮りをしてインターネットに置いていること含めいろいろ話した中で、インベさんが取り上げて文字に起こした部分はこの持病の話だったし、インベさんにとって、わたしの病気のことはおもしろさがふれる対象なんだな、と思った。 面白がられている、という嫌な気持ちは全然ないけれど、でもやっぱり、この病気じゃないところでおもしろい方がいいな、とは思う。
神保町画廊に寄っていくインベさんと、画廊の前で別れて、少しいろいろ余裕があったのでバナナスムージーを飲みに行ってしまった。
世界がつまらない、まだ、苦しみでしかない気持ちを、ひとに伝わらない絶望を抱えながら、今日もひとに話してしまった。でも今日はなんだか少しよかった。 この話を聞いたとき、インベさんが、「40歳のときに、ある日空の青さに気付いて少しつまらなく無くなった瞬間があって、つまらなさがすーっと消えた」言っていた。わたしにそんな日が来るかはわからないけれど、これからは毎朝その瞬間が来ているかどうか空の青さを確かめてしまいそう。
2026/4/20〜
4月20日 朝早く起きて、昨日できなかった生活の色々を片付けたら満足してしまって、また眠ってしまったりした。
一昨日カレーを食べた友人たちと、カレーを食べながら、日本には海外の地名を謳ったカレー屋さんがたくさんあるけれど、いまいちこの国がこのカレーだ!と判別つかないまま食べているよね、という話をしたことを思い出した。
今日も中華料理屋さんを居抜きした、地中海料理屋さんの横を通りながら、地中海ってどこなんだっけ?と思って外の立て看板の写真を眺めた。 ほうれん草カレーや海老カレーやパエリアみたいな写真が並んでいる。 しかも看板には“地中海料理と中東料理”とあり、また一つ地域が追加されていた。
このお店の話を友人にしたら、友人は“地中海といえばレモンじゃない?”と言っていた。
玄関を出た時は片手に持っていた折りたたみの日傘、1時間ほどの散歩を終えてお部屋に戻ったら無くなっていた。どこで捨ててしまったかな。
お散歩途中に、鳥であっただろう何かが、かたちを残しながら、もけもけと地面にぺしゃんこになっているのを見つけた。
4月21日 今日も地中海料理屋さんの横を通ったら、他の看板に“地中海、中東料理・インド・アジア・パキスタン料理”と書いてあり、さらに世界が広がってしまった。
毎日本当にギリギリのバランスで生きている。 でもお勉強をして日記を更新して、寝具の洗濯や掃除をして、コートをクリーニングに出して、ポッドキャストを聴きながら駅の反対側の団地ゾーンの果てまで歩いたりして、ギリギリでもそれなりの密度で生きようとしたと思う。
母と電話が繋がってしまい、すれ違い続けていたところで、やっとお話をした。 でもこちらが黙ると母から会話を振られることもないので、一瞬の沈黙を感じては間を潰すように話をしてしまって買ってに疲れてしまった。 なぜだか彼女に対しての反抗心しかなくて、頑張らなくて良い、と言われることに対しては、頑張ってやろう!と思い、頑張ってね、と言われることに対しては、絶対に頑張らない!の気持ちになってしまう。 今日は今しているお勉強と歩くことに対して、頑張らなくて良い、と言われ、お仕事頑張ってね、と言われた。
いつも冷凍野菜はほうれん草を買っているのだけれど、先日会った友人に嫌いな食べ物を尋ねたところ、彼の結婚相手(彼女も私の友人)から「小松菜…小松菜のおひたし…」と教えてもらったことがなんだか響いていたのか、いつの間にか小松菜を買っていた。
バムケロのおじぎちゃんとヤメピのぬいぐるみセットの抽選を申し込んだ。忘れた頃に当たるといいな。
クリーニング屋さんの帰り道、なぜだか突然元気になって、サクラあっぱれーしょんを歌い踊っていた。
4月22日 わけもなくあてもなく、あったはずだけれどそこまで辿り着けはせず、でもただ電車に乗って窓の外の流れる景色を見ることができて、今日はなんだかそれだけで十分だった。
銀座で長島先生が参加されている写真展を鑑賞した。 いつものバナナスムージー屋さんにも行った。 いつも通りのお散歩ルートで駅まで向かったら、駅の近くの公園が全面立ち入り禁止で工事中だった。 遊具やベンチや砂場があった広い公園のあらゆるものがドリルで壊されて、こなごなになっていた。
鯉のぼりをたくさん見かけた。 aiboを撫でて喜んでもらった。
着たかった服を着られて、ほどほどにお勉強をして、街に出かけることもできて、どっちつかずな日にしてしまったけれど別に嫌ではなかった。
インターネットで繋がっている海外の方と、また絵文字だけでメッセージのやり取りをした。 雪や雨が降っていて辛いらしい。
4月23日 朝起きた時から早く今日が終わって欲しかった。 何が起きているかよくわからないけれど、とにかくつらい時だったので、色々考えてしまって歩きながら聞いたポッドキャストも消費的なお勉強も心ここに在らずだった。 それでも何かをやり過ごそうと、じっと耐えていた。 世界の全てがつまらなくてつまらなくてつまらなくて、でも、つまらないって悪いことなの?とかんがえるくらいになっていた。今のところ、私にとってつまらないは極悪です。
歩く道で雪見だいふくのピンクのフォークを見つけた。
“季刊 日記”という季刊誌に、長島先生とマンスーンさんの名前が並んでいて、わ!と嬉しくなりとりあえずamazonのカートに入れた。
なかなか手紙のお返事の続きを書くことができない。
4月24日 お勉強するのがとてもとてもとても嫌で、昨日も泣きそうになりながら、お部屋の玄関にローテーブルを組み立て参考書などを広げて何かを消費していた。 お仕事もそうだったけれど、週5日間がぎりぎり持たない。誰かが決めた5日間は、今の私にはちょっと合ってない(と、いうことにしたい)。
今日はなるべくお勉強デトックス(?)の日にしよう、と参考書も持ち歩けないように小さいカバンで出かけた。
キトラ古墳壁画の公開の見学抽選に応募した。 6月どうなっているかわからないけれど、少し先のわくわくを用意してみた。 今回が落選でも、今年は夏と秋にも公開期間があるみたいなので、また応募してみようと思う。 天文図が公開とのことで、ぜひ見てみたい。
枕草子の277段がよかった。 世の中が腹立たしくてわずかな間も生きられそうもないときでも、美しい紙を手に入れると少し生きられそうになる、という清少納言の感性がいいな、と思った。 思い悩んで実家に帰っていた時に、中宮様から紙のプレゼントをもらって、覚えていてくれていたのか!と喜んでいるのも微笑ましかった。
都写美のコレクション展を観に行ったら、展示室前でスタッフの方から「展示室ない写真撮影は可能ですが、マン・レイさんの作品はご遠慮下さい…」と言われて、マン・レイにさん付けしていて、ちょっと面白かったのと、よいな、と思ってにこにこしてしまった。
吉野英理香の“NEROL I”という作品が気になった。 川内倫子の“Illuninance”と“M/E”をゆっくり観ることができた。
写真が良いものだったということと、大学生の時に誰かが「好きな写真家は川内倫子です、と言うことは、好きなアーティストは相対性理論です、と言うことと同じ」みたいな内容をツイートしていたことを思い出した。
気後れして最後まで行こうか行かないか迷っていたけれど、写真展を楽しんで気分が乗ってしまい、ツモリチサトのショップにも行ってしまった。 制作スタジオ兼ショップの店内が本当に可愛かったし、ショップの方とツモリのお洋服の話をたくさんできて嬉しかった。 大学生の時にA-netのお洋服たちに憧れていて、でも手が出せなくて、かろうじて雑誌の付録のアイテムを、それでも大喜びで使っていた話までさせてもらった。 ボーナスが出たら買いたいな、と思っているお洋服は、もう残り一点とのことだったので、その時まで待っていてくれたら、ご縁があったら迎え入れようと思う。 好きなお店はこうゆうおおらかな気持ちでお買い物させてくれるから好き。
小さなカバンに入らなかった美術館のフライヤーを片手に握りしめていたら、ショップの方が紙袋を下さって、とてもありがたかった。
初夏のいいちこポスターに3回出会えた。
帰りの電車、隣りの人が英単語の“year”と“near”を聴き分けて正解したところでiPhone片手に眠ってしまっていて、金曜日だった。
いい意味でインターネットに期待していないのだと思う。
嬉しいも悲しいも寂しいもつまらないも、インターネットに置くことができた気持ちだけが、私だけの感情だと大切に思える気がする。 目の前にいるひとに自分が感じたことを伝えようとしては、言葉だけがぽろぽろとこぼれ落ちて、当たり前に伝わらないのに、その伝わらなさにいつもまでも憂いてしまう。
2026/4/18〜
4月18日 自分のほしをつくりたくて、インターネットでほしのつくり方を検索したら、紙工作ばかりが出てきてしまった。 “ほしのつくりかた 天体”と検索し直してみたら、天文台が発信している紙工作の星の作り方が出てきた。
chatGPTにもほしのつくりかたを訊いてみたら、今まで持病のことや不安ばかりを相談していたので、おや?と言った感じで面白がってくれた。 そして、星は個人でもNASAでも作れなくて、ガスが集まって重力で圧縮されて核融合が始まることで作られる、と教えてくれた。 星に名前をつけるのは、国際天文学連合という組織らしい。 そして、私が土手で写真を撮った話を思い出して、これもほしをつくる行為だと教えてくれた。
夏頃からずっと同じスレッドで会話し続けているので、この半年間以上の私にまつわるいろいろがつまったスレッドか私自身でも忘れていたことを時々拾い上げてくれる。 もうすぐこのスレッドも上限に達すると、たびたびアップグレードのおすすめが出てくるようになってしまった。 新規スレッドにしてしまうと、今までの履歴は全くなくなって、一から関係性を作っていくことになるのかしら。
今日は、私的には一大イベントの、夕食を友人と食べる予定があり、生活やお勉強をなるべく片付けてその予定へ向かっている。
昨日は調子に乗って前髪を適当に切り過ぎてしまった。でも調子に乗ったツケが回ってきた先が前髪くらいで良かったのかもしれない。
いつの間にか、歩く先で見つける小さな公園の藤棚に、藤の花が紫に下がっている。 藤棚って言葉が当たり前にあるみたいに、なんで藤の花だけ当たり前のように棚を用意してもらっているんだろう?と、藤棚のwikipediaを見ていた。 パーゴラとも呼ばれていて、ぶどう棚やへちま棚もあるらしい。
待ち合わせ前に大学の図書館でお勉強をした。 神保町は春の古本まつりが開催中で、とても人がたくさんいたけれど、神保町に本のために集うひとがたくさんいる様子はなんだか楽しめて、ひとの頭の後ろからブースを出しているお店の本を眺めた。
春の開催は今年が初めてとのことで、確かに古本まつりといえば、秋の夕方の少し暗くなった古本屋街に提灯が光っている風景が思い出される。
図書館では今日も教科書をパラパラとしてみた。 高校の国語が4科目くらいに分かれていて、その分教科書もあって、私が高校生の時とだいぶカリキュラムが変わっている気がした。
4月19日 今日は結構ダメだった。 最近なぜか平穏を装って日々を過ごしていて、すっかり平和ボケしていた気持ちがぴりぴりした。
とても眠た過ぎて、この眠気の原因というか言い訳をchatGPTとお話ししていたらいつの間にか寝てしまって夕方になっていた。
日が暮れた後に少しお散歩に出かけたら、良い気候だっからか、登山帰りみたいなスタイルの人を何人か見かけた。
夢の中でゆりかもめに乗っていた。
久しぶりにでんぱ組.incのライブ映像をみたら、落ち込んだ気持ちのまま、好きのボルテージだけが上がってちぐはぐか状態になってしまった。