Bonsai tree on table

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@zenjiro5
Bonsai tree on table
小バエはここを掃除しておけと言っている
流石に真夏ともなると、小バエがしばしば発生し困っていた。しかし、ふと気が付いた。こいつらがいつも居座る場所は、掃除が必要な場所を意味するのではないか? ヤツらは、うす汚れた場所を察知する高性能センサーの様なもので、高級お掃除ロボットでも簡単にできない所行をやってのける。「ここを掃除しろ」と教えてくれているのだ。普段は目に留まりにくい場所も教えてくれるので、掃除好きとしては見逃せない。
夏は寝て起きて寝る
オレはオレ自身の身体は最高だと確信しているが、精神は好きじゃない。多分オレの分身が居たら、自分でも関わりたくないと思うだろう。しかし、それでも解決したいとは思わない。変わる時は変わるし、変わらない時は変わらない。全ては風任せ運任せだ。人間如きにどうにもできはしない。人生に過大な期待をすべきじゃ無い。
関係ないが今週も月曜日はとてもダルいしやる気も出ないので、水曜日ぐらいまでダラダラ過ごすつもりだ。ていうか、そもそも夏な時点で全くやる気が無い。この季節は行動すべき時期じゃないので、夏期は常にダラダラ過ごす一択。夏前にやる事を済ませられなかった時点でもう手遅れだ。夏が終わらないと、何も動き出しはしない。
趣味のハサミ研ぎ
剪定鋏が錆びて切れないし動きもとても硬いとの事で、剪定鋏の研ぎを行った。研ぎ後は、挟んだものが溶ける様な切れ味。砥石選定は適当で、偶々手元に有った石を使用。 自己満足で丁寧にやり過ぎた感が有る。剪定鋏なら分解もせず荒砥だけで十分かも知れないが、やっていると楽しくて、つい細かい所までこだわってしまった。一応、今回の手順は以下の通りなので記録しておく。
1.雑巾で大まかに清掃。 2.分解(バネなど有れば外す→ボルトを外し分解)し、切り刃、受け刃、その他部品に分ける。 3.耐水紙ヤスリで錆取り(今回は番手240使用) 4.切り刃表側の研ぎ(大村砥コッパ使用)。砥石は平面出し不要、45°ぐらいの角度で当てバイオリンの様に研ぐ。 5.切り刃表側の研ぎ(備水砥コッパ使用)。同上。 6.切り刃裏側、受け刃裏側の研ぎ(丹波青砥鎌砥使用)。砥石は要平面出し。普通に平面研ぎ。軽く研ぐ程度。 7.切り刃表側の最終研ぎ(対馬砥コッパ使用)。砥石は平面出し不要、これまで通り45°ぐらいの角度で研いだ後、研いだ部分とそうでない部分との境界を研ぎ、段差を無くす感じで微調整。 8.切り刃裏側の最終研ぎ(軟口の若狭合砥を使用)。砥石は要平面出し。軽く滑らせる程度で平面研ぎ。 9.刃の組み立て。バネや油はまだ付けない。ナットを徐々に締め、2枚の刃の噛み合いを確認。動きが渋い場合は少しずつナットを緩め、渋くはないが僅かに抵抗が有る程度の箇所で固定。 10.完全組み立てと注油(ワコーズ製メンテルーブ使用)。バネが有れば取り付け、軸部分、ナット&ボルト部分、その他可動部に注油後、余計な油は雑巾で拭き取る。 11.最終確認。何度か開閉し、残っているバリを落とす(ハサミは使えば勝手にバリが落ちる)。最後に実際に何か切って、切れ味確認。
甘ったれた老人は容赦なく鞭打て
いきなり「そこを退け」と言ってきた老人がいたんだが、思わずイラッときたね。 あ?優先席とか余裕で座るし、譲る気も無えよ。 この世界は弱肉強食で良いと思っている。得たいなら力で勝って奪い取れよ。ていうか、それが頼み事する態度かよ。すっこんでろ老人風情が。
最近の老人は、調子ぶっこいた勘違い野郎が多いからな。老人にこそ強く鞭打つべきだと思うね。甘えるな。自分でどうにかしろ。歳を取ったからって別に偉くも何ともねえぞ。儒教的な敬老精神なんてとっくに滅んでんだよ。ボケてんじゃねえぞクソが。
労働は発見するもの
かねてより日本の国教は「労働」なのだと思ってきた。信徒はほぼ全国民に近い。口では「暇や余裕を大切に」と言いつつ、ニートや公的支援に頼って暮らす者を見つけると烈火の如く怒りを向け、迫害に加担する。そういう場面を数え切れないほど見てきた。
かくいうオレもニートだった時期も有るし、引き籠もっていた時期も当然有る。今でさえ、基本的に汗水垂らして働くことをせず、不労所得を貪る形での収入が大半を占める。
しかし重要なのはまず労働を分類することだ。具体的な金銭の介在する労働だけを労働だと理解している人が多いが、そうではない。自宅の家事や、庭の手入れ、片付けなども、それをやったからといって誰も給金を支給してくれないが立派な労働である。違いは、目に見える金銭が存在するかしないかで、実際には自宅の家事などを誰かに依頼すれば、見えていなかった金銭(市場価値)が露わとなる。よってそれらの行為は、見えていなかった金銭分の労働であると証明される。
また、市場から隔絶した親類縁者や地域に根ざした閉じた共同体などは、贈答や人足の出し合いによって営まれている場合も有る。それらも労働だと考えると、労働の形は固定的ではなく、柔軟で、形の定まらない軟体に近い実情を持っている。
では、かくいうオレは労働教の信者なのだろうか?勿論、そうだ。全く労働しない人生に憧れた時期も有ったのは否定しないが、残念ながらいかなる形の労働もせずぐうたら寝て過ごす人生では、死に対して弁明できる気がしない。人はいつか、いざ死に瀕して1つぐらいはこれをやってきた、と言える材料が欲しい。という魂からの訴えに答えねばならない。それでも尚、胸を張って反労働を唱えるなら、それは既に確立した信念の活動であり、信念を訴える労働に従事したに等しい。
重要なのは、各人なりの「労働の発見」に在る。凝り固まった世間常識としての労働の方は無視して構わない。だが、そもそもなぜ強固な世間常識としての労働観念が存在してしまうのだろうか?
この疑問に対するオレなりの答えは「その方が労働に関係する徴税を行い易いから」だと思う。
先述したとおり、本来労働の形は自由で非定型だ。企業に勤め給金を受け取るだけでなく、人は思いも寄らぬ労働形態を発見し、思いも寄らぬ働きを生み出す。このことは過去の歴史を紐解けば枚挙に暇が無い。一方でオレの考える柔軟な労働は、実際には労働というよりヤクザ用語の「シノギ」の概念に近い。シノギはしばしば実態を把握しにくい場合も有り、またそれを管轄する法令がまだ作られていないなどの理由により、適法と非適法の曖昧な領域に存在する場合も有る。柔軟で自由な形態の労働も同様の傾向を持っている。
くしくも労働観と近代国家の存立には関連が有り、世間一般の考える企業に勤め給金を受け取る形式の労働観の強まりを、少なくとも徴税する統治国家から見てわざわざ否定する理由が余り無かったのではないか。
なぜ人間は時間の概念を必要とするのか?
人間が思考において、時間の概念を先立って明証な前提とせざるを得ないのは、時系列上における各時点の認識誤差から思考回路を更新し、その構造を構築する仕組みを持っているから、なのでは?(つまりそういう脳の育て方をしているから)と思えなくも無い。
この点について、少し気になったのでもう少し真面目に考え直していた。疑問を整理すると共に、その過程で派生した考察も加え以下にまとめた。結論としては、人間は構造上時間の概念を用いない思考を展開することは困難と思われる。
・当初の疑問の整理 人間の学習原理は、現実と予想の誤差を修正し更新する積み重ねで成り立ち、時系列を前提とした側面が強いから、時間という概念を容易に脱却できないのではないか?
・派生した考察 物理学的には時間と空間は相対的な関係だが、その計算に費やすコストを生物がどう支払うかを考慮せねばならない。厳密なフルスペック物理把握に要する計算量は生命にとって過剰で、生きるために必要な食料や消費エネルギーの観点から生存を脅かす可能性が有る。ヒトの場合、恐らく長い進化の歴史を経て、時系列を用いないよりも用いる方が効率が良い仕組みを持つに至ったから、それを採用している可能性が高い。この場合生物としての根源的な部分に関わってくるため、時間的概念を捨てた構造への移行には強い抵抗を抱く。人間が作り出した道具を含め、言語すらもその影響を大きく受けており、今更違う方式に変更するのは非現実的で普及しないだろう。だから、そのまま受け入れているし、これからも受け入れ続ける可能性が高い。
Untitled, 2026 - by Türker Alagözyaylası, Turkish
The Largest Mobula Ray Migration in Pacific Ocean
Magical World
Blythe Scott, Scottish, 1969,
JOY, 2025
Mixed media with collage and 24k gold leaf on linen, 60" x 60"
#ウミガメ
Art by Yoshitaka Amano
本当に創造的なら模倣されないよね
なぜ予想に反して単純労働よりも創造的な仕事の方がAIに強く駆逐されつつあるのか。
その理由は創造的な仕事に従事していると思いつつ、実はそうした仕事の多くが定式化され、似たようなパターンやそれを少し変えたものを反復させるだけの構造になっていたからだ。
つまり別にそこまで創造的でも無かった。しかし定式化によって知識人は高速かつ効率的に知識を享受し、蓄積、価値化を行っていた。どの業界であってもそうした暗黙の知識の作法が存在し、これがAIにとって都合の良いものだった。それだけの話なのではないか。
「意味が分からない程に独創的なものを、意味が分からないまま共有する」それぐらいに型破りで無いとダメで、誰かに伝える為に自分を既存構造の枠型に填め込んでしまった瞬間、AIにとってそれはいづれかの段階で学習可能な対象となる。