何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道
久々に訪れた富士吉田は街全体に金木犀の香りがしていた。
あの詩はほんとうにこの街の景色だったんだ、と改めて思うに至った。
目を閉じるたびにあの日の言葉が消えてゆく
(2019-09-28)
Peter Solarz

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何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道
久々に訪れた富士吉田は街全体に金木犀の香りがしていた。
あの詩はほんとうにこの街の景色だったんだ、と改めて思うに至った。
目を閉じるたびにあの日の言葉が消えてゆく
(2019-09-28)
“あらゆる想像に耐え得る心を養っとけ”と
誰かを励ましたりするときに故事成語やことわざを引用することは世間では往々にしてある。
明日の仕事や将来の不安を口にする者を見た私は居ても立っても居られず、励ますつもりでこう言った。
「ほら『我に返るスキマを埋めろ』っていうじゃん」
こういう場面でトモフスキーを引用して激励するのはそれは〜ちょっとどうだい西くん〜?
誰かの背を押す言葉をたくさん覚えてきたつもりであっても自分のものに出来ていないままで投げかけることはただの責任放棄である、と考えるときがある。どれだけ詩があっても自分の考え、自分の言葉にできない限りは投げつけてはいけないのでは無いかと。
かと言ってそうした借り物の言葉を使うことを忌避すれば我々は何も口ずさむことが出来なくなる。言葉と責任とは何なのか。
忌避と妥協の間で揺れている中、友人からの勧めで標題の曲を知る。車に乗って地元に帰って行く中、地元の風景を見ては過ぎ去った人の言葉が浮かんで消えて行く。
少し前、自分自身が地元に人を招き入れた時のことを思い出す。
どこかに就職した友人の家や母校、川沿い、通学路。
歩くたびに昔聞いた言葉も響いた詩も通過していく情景とともに思い出しては消えて行く。
誤魔化しきれない気持ちは宝物だろう?
学生時代の僕はといえば 何か辛いことや限界なことがあった時はとりあえず自転車を走らせて「その場所」へ行くことが多かった。
「その場所」とは複数ある。山頂、町外れ、郊外の巨大構造物。。。全てが誰もいない寂しい場所であるが同時に綺麗な場所であった。
そのうち一つが京都市西部に位置する広沢池である。
広沢池は嵐山の付近、田園が広がる地帯の一角に位置する自然池。観月の名所として有名である。観光地のはずれにあるため普段から人が少ないが、夕方になると夕景が水面に反射し鏡のような景色を見せる。
学生時代までの自分は事あるごとにこの時間の広沢池に来てインディーズ時代のレミオロメン(バンド)の暗い曲など寂寥感のあるバンドサウンドを聴いていた。
そうして夜を待つうちに自然と心は晴れていった。同調効果である。
そうした学生時代のことも忘れかけていた何もない三連休の中日、ふと思い立って久々に訪れてみた。
道中にあった古い建物や道が無くなっていたり未だに残っていたり、数年ぶりの再訪にもかかわらず道中の景色を覚えているものだな、と考えながら自転車を走らせ1時間。
夕景がギリギリ残る時間にたどり着いた広沢池は(当然といえば当然ながら)当時と変わらない景色を見せてくれた。
その日は月も綺麗で「良い日に来れたものだな」と思うと同時に「しばらくこの場所には来たくないな」とも思った。
この周辺一帯の光景は当時のまま過ぎるのだ。
ここに来て「じゃあ最近この場所に来なかったのは何故なのか?」と思い返していた。学生時代とは比にならない重苦に苛まされながらここまで来れていた気がしたがそれは苦痛を誤魔化し続けながら来たからではないか?という考えが頭を過ぎり続けていた。
そう考えながらこの場所に来ると「誤魔化すなよ」と誰かに肩を叩かれ突き落とされるような気がしてしまった。そんなことはなく無事家に帰ったのであるが。
https://youtube.com/watch?v=gP3avmXQPKo
レミオロメン(Remioromen) First Oneman Liveの映像です♪
「誤魔化しきれない気持ちは宝物だろう?」という詩はレミオロメン「フェスタ」からの引用である。
学生時代に聴き込んだと思い込んでいた詩に再び揺り動かされることが増えている。
ジョーストラマーは言った「月に手を伸ばせ例え届かなくても」
最近描いた漫画に「エモい!」とだけ言って帰っていった人を見て
「ああ この人にこの漫画は届かなかったんだな」と思ってようやく己の未熟さを思い知る一方です。ほんとにかなしい。
職場の研修で「分かち合えない人とは分かち合えないと割り切ると仕事がしやすい」という考え方を学んだ。最近インターネットで見た「メンタルが参っちゃう人は人間関係を“諦め”きれないから。」という言説を裏付けるようで非常に納得のいくものであった。打算的に動くことで仕事を上手くこなしていくのだなと。
今日は帰路の月があまりにも綺麗だったため最近加入したApple Musicで斉藤和義の「月光」を再生した。視聴率的に大失敗したドラマの主題歌であるが完璧なほどの一曲でとても気に入っている。けれどそういえば最近聴いていなかった。
もがきながら人混み縫ってた数年前の自分の方が良い絵は描けてたな、と家路につきながら思い返していた。
恋と退屈とインターネット
やあみなさん!インターネット楽しんでますか。俺はもう限界だ。
インターネットを通じて権威に気軽に絡めることが2010年代前後のSNSの利点として挙げられていたと思う。まあそんなことはどうでもいい。いきなり直前の文章が無に帰してしまった(こういう文章の展開もどこかで見た)。
同年代の友人たちが次々とインターネットで限界になっていくのを最近よく見る。今の時代はよっぽどインターネットに一定の「諦め」が無いと過ごせないと常々思っているので具体のアドバイスでもして生き残ってほしいと思っているが「諦め」の先にあるのは自己がその先にある「インターネット」に慣れきってしまうことでもあるのではなかろうかと思うと気軽に継続を勧めることもし辛くなる(悪く言えば一期一会のそっけなく簡易な関係性を可能としたのもインターネットの一種の利点ですが!俺は俺自身が暑苦しいので無理だ)。
なるべく人と会うようにしていたのはいつかインターネットに限界が来ると肌で感じていたのだな、と初めてインターネットの人(東京にいるサイコパス)と会った時の自身の判断を思い返す。
桜の季節
(Photo:2019-03-31 tokyo)
纏まった長文の遣り場もいつか必要になると思い急にブログを開設する。
京都に住んでいるのか東京に住んでいるのか境界が曖昧になってきている最近の近況を報告したり好きな音楽について深く考えたりする思考のログとして使っていきたい。今までのツイッターとどう違うと言うのだ、という自問は東京の空に葬る。
銀杏BOYZの東京終曲を聴いている。