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祝日 / Permanent Vacation

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@chienakane
國家電影及視聽文化中心
#matohu #展示会 「日本の眼 かさね」 1.8Wed 〜 22Wed
壮大な世界観と繊細なもの作り、時の流れに圧倒されました。 明日からなので、表参道界隈に機会がある方はぜひ!
(スパイラル SPIRAL) https://www.instagram.com/p/B7BGWMMjcM7/?igshid=ilbtw693ivvx
美への旅
一山越えたらゆっくり読み返そう
#matohu #matohu日本の眼展 #spiralgarden #青山スパイラル
https://www.instagram.com/p/B7JELfDg425/?igshid=6kp6bez6iu26
『民藝』6月号が発刊しています(最近、郵便自体が遅い上に第三種郵便の配送が軽んじられているのか、到着がますます遅くなっています。5/31に駒場で出して、6/6に福岡に着く…)。特集は日本民藝館での展示会に合わせ「復帰50年記念 沖縄の美」です。澤地久枝さんに執筆いただけたことも嬉しいですし、その文章も、復帰とは誰にとって、どこへの復帰なのかを地に立って問うもので、ありがたかったです。他執筆陣も充実ですし、坂本万七・白崎俊次による写真など、入れたかったものをだいたい詰め込めた嬉しい特集です。ご笑覧ください。
また昨日、赤木明登さんから冊子『禅と工藝』をお送りいただきました。まだ全てに目を通していませんが、原田住職による、「空」とはZEROである、「空」は存在しないが、欠けた存在であるが故にそれを基点として創造がはじまる、というお話がとてもよかったです。ゼロ記号として「空」は存在し、「安心」という「空」が「決定」という運動性を呼び込んでくる。「空」とは何か、を規定することは「空のZERO性」を毀損するだけでしかない。同じ意味において「民藝」もまたゼロ記号なのだと僕は考えています。柳がこう書いたように。
> (道元)禅師が支那から帰朝された最初の説法に「空手にして郷に還る」といわれたという。ある注釈書を見たら、伝教、弘法その他の宗祖は、皆万巻の経文や仏像等を携えて帰られた。しかるに道元禅師は、そんなものは後廻しにして、空手で帰って来られたのだという。こういう解釈にも、ある程度の意味はあろうが、おそらく真意はそんな外形的な事ではあるまい。「空手」を「如心」の意味にとる方が更によくはないか。ある人が禅師に、支那で何を学んで帰られたかと尋ねたら、「柔軟心」を学んで来たといわれたという。柔軟心は「やわらかい心」の意である。この「柔軟心」と「空手」とは、互に通じる内容があろう。それを易しく「素直な心」といってもよい。我執に囚われて、弾力性を失った「こわばる心」となっては、仏を見失い、法を見誤る。空手にしてのみ仏からの贈物がそのまま受けられる。「空手還郷」の言葉に続いて、「故に仏法なし」といわれたという。ここが素晴らしい見方で、同じく民藝を見つめて、「民藝なし」とまでいい切る程にならねばならぬ。(「改めて民藝について」)
また、matohuの堀畑さんによる、ヴィトゲンシュタインの「私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する」をひっくり返して、「私の言語をひとつひとつ掘り下げて行けば、世界はまだまだ拡がる」と捉えるお話しも腑に落ちるものでした。それをヴェイユは「わたしたちは、知性でとらえられないものの方が、知性でとらえられるものよりもずっと実在的であることを、知性のおかげで知っている」「信仰とは、知性が愛の光を受けるという体験である。ただ、知性は、知性に固有の手段を通じて、すなわち、確認し証明することによって、愛の優越を認めなければならない。知性は、その理由を、のこりなく確実に、明瞭に知った上で、はじめて服従しなければならない。そうでないと、知性の服従は誤りということになるし、その服従しているものも、どんなレッテルが貼られていようと、超自然的な愛とはちがうものである。たとえば、社会的な影響といったものである(『重力と恩寵』ちくま学芸文庫版)」という形で記したのだとも思います。
だからこそ僕は、「美しいというのは人それぞれじゃないですか」なんていう言葉がいつまでも信用できないんだな、とつくづく考えました。「美」を定義すること自体は確かに不可能でしょう。それは「ゼロ記号」であり、まさに河井寬次郎が言った通り「追えば逃げる美」なので。絶対的な美があるとも思わない。けれど、個別の事象については、それが手の届かない美、不可知なものであるかどうかは、徹底して吟味するべきだと僕は考えます。3手先も読めない人が、将棋を解り尽くすことはできないよね、と言うのと、藤井n冠が同じ言葉を使うのではだいぶ意味が違う。
柳宗悦にしても、例えば「美の標準」と題した文章を記した時に企図していたのは、これが美のスタンダードなんだ、これ以外は認めない、民藝ではない、といった意図ではなく、個別の品々を「美術的」と「工藝的」に分析することによって、当時主流であったものの見方が含んでいる、ヴェイユ言うところの「社会的な影響」、つまりは当時「美」とされたものが抱えている権力構造を明らかにする、ということであって、オルタナティブ(と、その二項対立の不毛さ)の提示だったはずです。そして、その当時、柳の言説は実に鮮やかなメス捌きであったし、有効性を持っていた。そこには、身を賭した決意表明があった。そういった身を捨てるような覚悟、自分自身の価値観の転換なしに、「肌が合う」程度の話を「美」なる概念、「民藝」なる用語にまで持ち込むこともないな、と思うのです。好きなものだけの王国に自分を閉じ込めてしまうのは、あまりにも幼いし、もったいないし、かえって「美」や「民藝」を軽んじてるよな、とも。民藝多子無し、ですよ。
いずれにしても、甘さの少ない、真摯な対話に接することができてとても嬉しかったです(生活工芸への言及は他が良かっただけに蛇足かなと思いましたが)。ありがとうございます。 (at 工藝風向) https://www.instagram.com/p/Ceh4Hc6v3_9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
Chen Chieh-jen
陳界仁
- 知識份子的無能症
1984
映画『うつろいの時をまとう』
2023年3月25日 公開
第五屆
意識不能條通音樂祭|你所不知道的「林森北」
2023/2/10-12
今の旬を楽しむこと。
それから
熟成、発酵させたり、 新しい味を継ぎ足したり、 時間や継続性、 心の新鮮な感じ方を 新たな楽しみとして 深めていくこと。
「ふきよせ」 奇跡のような美。 時間とともに集まった美、 それを愛でる心。
古え人からの思い、 楽しみ、歓び、悲しみ、 温もりを深く気づく。
長い歴史を通して、 洗練されたもの。
日々使いのたびに 「ふつふつ」湧いてくる 美しさ、親しみ、頼もしさ。
「言葉の服」 #堀畑裕之 #おしゃれと気づきの哲学 #matohu #志村ふくみ #切継 きりつぎ #ボロ #残糸織 #裂織 #立体裁断 https://www.instagram.com/p/CWo0ZG6hBWf/?utm_medium=tumblr
matohuのドキュメンタリー映画『うつろいの時をまとう』の公式サイト
映画「うつろいの時をまとう」
2023年3月25日
シアターイメージ・フォーラムにて公開
波
2023年,「意識不能」希望能持續在台北這座大城市的某個小角落,開拓自己獨一無二的出路、站穩腳步。
林森北路、酒店與獨立音樂
不管有沒有募資完成都會開辦的!
歡迎購票
2023/2/10-12