今週からこのブログを再開したいとおもっていたものの、週末かなり寝坊したことから予定が狂いまくり、こちらも投稿遅れ気味です。
でも今週のどこかで、最近掘り出した自分的にアツいものをひとつずつ100文字以内で紹介したいとおもいます。
乞うご期待!
ラインアップ:
●キム・ジュンミ
●YELLO
●Green Gold Grey
●イタリアからのピノさま
などなど予期せぬ変更の可能性あり
それではっ!
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今週からこのブログを再開したいとおもっていたものの、週末かなり寝坊したことから予定が狂いまくり、こちらも投稿遅れ気味です。
でも今週のどこかで、最近掘り出した自分的にアツいものをひとつずつ100文字以内で紹介したいとおもいます。
乞うご期待!
ラインアップ:
●キム・ジュンミ
●YELLO
●Green Gold Grey
●イタリアからのピノさま
などなど予期せぬ変更の可能性あり
それではっ!
最近は江森陽弘さんにゾッコンで、江森さんが書いたものばかり読み漁っています。
これはわたしが手をつけた江森さん作品、3作目。ヘンリーミラーもそうだけど、どうやら江森さんはラブレターや年の差カップルに興味をそそられるらしい。
「金子光晴のラブレター」は、詩人、金子光晴の愛人であり妻でもあった、大河内令子さんを語り手に迎えた実話。
幼い頃から金子光晴の詩に支えられてきた大河内令子が、ひょんなきっかけから金子光晴と出会い、ふたりはあっという間にまさかの愛人となる。金子光晴には森三千代さんという名の知れた作家の妻がいて、子供もいる身分なのである。このとき大河内令子さんは20代前半。金子光晴はたしか50代後半。そこから二人は、30年ほど関係を続けることとなる。
この実話に触れることで、浮気に対して持っていた考えが崩れ落ちるように覆された。
ひとつべりべり〜!っと破られた固定概念は、「浮気はいずれ終わる、束の間のもの」。会う頻度は年々減っていったものの、金子光晴と大河内令子の愛人関係は、金子光晴の死に至るまで続いた。
もうひとつガラスがパキーン!と飛び散るように壊された固定概念は、「浮気は不幸を呼ぶもの」。森三千代さんの思いは一切綴られないので、浮気されている側については何もいえないけど、、大河内さんは、金子光晴が亡くなるその日まで、好きで好きでどうしようもない少女のようだった。いっときは睡眠薬にすがりついて頭がおかしくなっていたようだけど、、金子光晴への愛情は、これっぽっちも薄れることがなかった。
一生をかけて趣味に没頭するひともいれば、一生をかけて愛に没頭する人もいる。大河内さんは紛れもなく後者なのである。決して公平とは呼べないような状況に置かれて耐えたりもがいたりしながらも、金子光晴に想われ続けるために、何十年もがんばっていたようにも映った。でも、それが大河内さんにとっての幸せなのだろう。体が弱り、精神が狂うまで精一杯に人を愛することが、どれだけの人にできるだろうか。あるいはそこまで自分を犠牲にできる人に出会うほうが稀なのか。
大河内さんと愛して、大河内さんと泣いて、大河内さんと狂ってしまいそうになる、そんな実話でありました。
特に印象に残ったシーン
• 大河内さんが金子光晴をケチと呼んだところ、金子光晴は大河内さんを銀座へ連れて行き、両手に抱え切れないほど、カバンやら洋服やらを買い占めたシーン
• ムルギーを探そうとしたところ、渋谷のラブホ街で迷子になった二人。しばらくして金子光晴は旅館を発見。人を呼び出そうと鳴らした赤いボタンは、惜しくも緊急ブザーだった。そのせいで真っ裸のカップルが急いで旅館から飛び出てくるシーン。
妄想旅行がたのしい昨今です。
江森陽弘さんがタヒチから入り、サモア、トンガと続き、フィジーまで旅をする!旅行で行けばノンビリぽっかり過ごして終わるかもしれないけど、江森さんの旅は濃密。ときは70年代。主要人物を次から次へと訪ねて、歴史を掘り起こす。日本のヤクザが船員としてサモアに送り込まれていたこと、盗みをしても日曜日にまとめてザンゲすればよし、のサモア的キリスト教の解釈、貧しい家庭のために強盗を繰り返し、お金を配布するフィジーのロビンフッド、ポリネシアの文化を守りたい精神がノンビリさに勝ったがための、西サモア共和国の誕生……旅行気分にあわせて過去を覗き込むような気分にもなれる。
さらにせかせか生きる東京からきた江森さんからしてみれば、ゆとりの持ち方がまるで違う島々。空気を読む文化ももちろん皆無。そのせいもあり、江森さん的”珍事件”が絶えない。たとえば泊まっていたホテルから突然追い出されて、「今晩は従業員の家で宿泊してください」と頼まれる。ちょっとした腹痛で医者に診てもらうと、強引に手術されそうになる。仕事はサボりまくりだけど、誰かがギターを弾き始めれば4時間近く踊り続けるサモア人労働者を目撃する、などなど。
お金との付き合い方にしても、変わりゆく生活に体を慣らすにしても、新しいことに取り組むにしても、ユッタリと挑む彼らをちょっぴり羨ましくも感じた。
束の間の妄想旅行にはぜひ。
毎日ひとつ新しいことを試してみようはじまります。
第一回目は韻松亭へやってきました。
「WAVES」から見る、親子間の会話のむずかしさ。
※ネタバレあり。
「全てはお前のためだ」高校最後の年を過ごす本作の一主人公、タイラーに向かって、父親のロンはそう話す。
「お前は俺が若いころ手に入れられなかったチャンスをたくさん持っている」
今まで経験してきた苦しみと子どもは、無縁であってほしい。親としてそう願うのは当然かもしれない。でもその意図をあまりにも自分のなかで強調しすぎてしまったばかりに、相手の受け取り方を知ろうとする姿勢をすっかり忘れてしまうことは、案外よくあることではないだろうか。悪気があるつもりもなく、むしろ相手の気持ちに気づけていないことにも、そこまで疑問を感じていないのかもしれない。
無知や偏見、社会システムの脆弱さから命を落とすことも稀ではないアフリカ系アメリカ人の家族であればなおさら、「自分の子どもをいかに守り抜くか」「いかに自立できるよう育てていくか」という課題は心のなかに重く居座るだろう。
タイラーがとある事件を理由に一生を刑務所で過ごすことが決まると、家族関係は少しずつ壊れていく。夫婦仲は険悪になり、タイラーの義理の母であるキャサリンは、「あなたが追い詰めたのよ」と泣きながらロンを責め立てる。タイラーの妹であり、娘のエミリーも殻に閉じこもり家族と会話をするシーンはほとんどない。
タイラーの判決からしばらく時が経ち、ロンとエミリーが一緒に釣りに行くシーンがある。
ロンは言う。「毎日タイラーのことを考えて、そのたびに、『あのとき違う接し方をしていれば……』と思い返す」。息子のためにと思いしてきたことが、予想だにしないほど息子の首を締めていたと、後戻りのできない時点で気づいたときの絶望感は計り知れない。
冒頭で紹介した会話で、タイラーは「いろいろ大変なことがあって……」と話を切り出すものの、ロンの「俺が大変な思いをしているとは思わないのか」という言葉に呆気なく遮られてしまう場面がある。「どうしたの?話してごらん」その一言だけで、タイラーの気持ちは楽になったかもしれない。
ロンが悪いとも言い切れない。でも、わかりあえないまま過ごした時間は溝となるのもたしかだろう。後戻りできないタイラーとロンをスクリーン越しで見つめながら、このようなことが誰かの現実と重なることが大いにありえることを想像し、胸を締め付けられた。
“sometimes even the greatest love can only last one week”
3月の間にかき集めたドキドキサウンドたち。
人間はだれしもとんでもない悪魔を抱えていたりする。幸い、その悪魔と向き合うことなく一生を過ごす人もいれば、その悪魔にどこまでも引き摺り落とされてしまう人もいる。この映画では、たまたまそれが平凡な男を狂わせる。ある線を超えてしまうと、悲しいけれど、戻れなくなってしまったりする。戻りにくくなる、というほうが正確かもしれない。それを残酷ととらえるか、挑戦としてとらえるかは、その人の裁量と身を置く環境にかかっているような気がする。
恐怖分子(1986)
家にいる時間が増えて、うまくなれたらな〜とぼんやり思っていた料理をする機会が増えた。レシピどおりにやってるものの口にするとあれれというものもあるけれど、野菜を刻んだりお湯が沸くのを待ったりしている間に不思議と心が和む。ラジオを聴きながらであれば大の苦手な食器洗いもあっという間に片付いている。むしろ洗い立ての食器をどう配置するかにウキウキしていたりもする。
ちなみに最近はまっているカルボナーラづくりは最後のステップで茹で汁を半分蒸発させるという簡単そうで簡単じゃないことをしなくちゃいけなくて(簡単なのか)、で、そのあとに卵とチーズを混ぜたソースをそろりそろりと注ぐ。このとき火を消しておかないと卵が固まっちゃうのだけれどはじめて作った時は見事に点火しっぱなしだった。混ぜるごとに固まっていく卵。あれれれれ。おいおいおい。最初の10秒ほどはねっとりとしたソースになっているような気がして早くも感動していたら、次の瞬間にはもう手遅れだった。卵がソースどころかぽろぽろしているじゃないか!!でもこんなのも楽しいのである。
というかんじで何事もそうだけれど料理は回数を重ねるごとに深みが増し、おもしろいのである😏
愛しのフランクを聴くと。
大学二年生のとき、ハワイに留学した。そのときに、「そろそろ飽きてくれないか」と突っ込まれそうなくらい聞いていたのがフランク・オーシャンの「ノスタルジア・ウルトラ」。今日、ずいぶんひさしぶりに流してみたらギンギラの太陽が肌に当たる感じとか、日焼け止めを適当に塗ったむちむちの体でどんと寝そべりぐーすか寝た浜辺とか、とにかくキラキラとした記憶がどばーっと蘇ってきた。
記憶に残っている会話がある。同じ寮で暮らしていたとびっきりキュートで元気ハツラツなズーイー・デシャネル似のオーストラリア人(女子)が、
「私、この前ね。何も考えず友達の誕生日パーティに向かっていたの。そしたら途中で、ケーキを取りに行くのを忘れていることに気が付いたの。はっ!どうしよう!戻らないと!ってすごく焦ってね。ちょっとストレスフルだった。でも、よくよく考えてみたらここ数週間でストレスを感じた出来事ってそれ以外思いつかなかったの。ハワイは楽園よね〜なんてみんな言うけど、あながち間違っていないわね」
とわたしに共有のお手洗いで話しかけてきた。
ここまでドンピシャのことを言ってくれてありがとう。わたしのハワイ生活はあなたのこの描写によってとてもうまくまとまりました。という感じで、悩みとか日々のうっぷんとか(そもそもないのだけれど)あったとすればそんなものはふわふわと体を離れていく、そんな不思議なパワーを持つ場所だった。
よくも悪くも未熟で、まだまだなんにも(今でも立派な人間とはまだまだいえないけれど)知らなかった。興味もなかったのかもしれない。目一杯遊んで笑い転げる毎日を十二分に楽しみたい!それしか頭になかった。大学二年生といえば高い志を持って勉強に勤しむ人もいるなか、わたしは今思えばずいぶんのんきな生活を送ってしまった。でも、それがそのときわたしの人生にはとても必要だった。ハワイで過ごした日々は生きる楽しさを教えてくれた、何にも変えられないときだった。運良く、このようなときを過ごすことができてわたしは本当に恵まれていました。
今ではパソコンに向かう生活が人生の8割。波が浜辺を打つ音をききながらサンセットを眺めている生活と比べると、今の生活をキラキラと呼ぶにはかなりの違和感がある。でも、そもそも比べる必要も意味もないのだし、今できることといえば今あるもので、キラキラさせていくことだろう。いってしまえばこの全てがずいぶん贅沢な話なのである。だからこそキラキラしているものを少しずつ集めていって、ギラギラさせていこう(なんだかクサイけど、まあいいか)。
海辺のキラキラとした生活がこの曲を聞くとどびしゃ〜〜〜っと波のようにわたしの脳裏を駆け巡る。
https://www.youtube.com/watch?v=G7wcRZWRDdw
ムーンライトが小さな奇跡である理由(FADERより)
ジェイソン・パーラム: 「黒人であるということがデフォルトだったら?」数ヶ月前、友人にこの質問を投げかけました。(省略)『ムーンライト』はこの質問をモダンシネマで初めて答えてくれた映画だと感じました。映画を観た数日後、「この作品には白人が一切登場しない」と批評家が綴ったレビューを読み、初めてそう気付いたのです。劇中、そんな考えは一度も脳裏をかすりませんでした。なぜなら作品に現れる一人一人が互いを愛し、争い、交わり合い、情けを露わにする姿があまりにも美しかったから、それが普通であるように見えてしまったのです。
この作品は決して傲慢ではありません。格好つけてもいません。大々的な格言も残しません(と私は思っていますが)。シャロンやフアン、ケヴィンがさまよう暗闇はー人生についてまわるあの暗闇こそがージェンキン監督の手により光となるのです。
(省略)
コード・ジェファーソン: 僕の心に焼きついているのは、最後のシーンです。中にはあっさりしすぎていて、そこまで感情が込み上げてこなかった人もいたかもしれません。
最後のシーンとは、大人になったケヴィンがシャロンを暗闇の中でそっと包み込むシーンです。何も口にせず、まるで離れていた間に積み上げられてきた傷や出来事をやさしく溶かしていくかのように。プラトニックであろうとそうでなかろうと、誰かを愛し、なくした人なら、きっと誰しもが「ああ抱かれたい」と思うのでは。一度愛し、傷つけたのか傷つけられたのかを理由にいまや他人となってしまった人に抱かれること。その人の温もりを恋しく感じるだなんて、再会するまで思いもしなかった人からの抱擁。すると急に笑い合ったときのこととか相手の歯の間にある隙間とか、話し方が次々と思い起こされる。
あの抱擁は、許すことを体現したものでした。いつ見ても美しいやりとりです。肩を寄せ合う二人の男性がスクリーンに映し出されていたところにも、とても心惹かれました。それは二人がゲイだからではなく、お互いに抱かれたいと思う相手に抱かれていたから。とても稀な出来事とも言えるでしょう。だからこそ革命的なのかもしれません。
(省略)
「黒人がどう人種差別に立ち向かうか」といった視点から語られていないドラマを目にすると、小さな勝利を手にしたような、そんな気持ちが芽生えます。こういった作品も、もちろん大切です。黒人に対する人種差別は、アメリカでは長期にわたり争われてきた問題で、未だ解決に至ることのできていない論点であるのも事実ですからね。ただその一方で、有色人種の人たちがただただ歩んできた道を描くことも大切だと思います。白人の言動をきっかけに動き出すだけでなくて、です。
https://www.thefader.com/2016/10/20/moonlight-barry-jenkins-film-roundtable
久しぶりに風邪をひいた。 さいしょは、ああ仕事できない。 あれもできない、これもできない、なんでこのタイミングに風邪引いちゃうんだ、なんてストレスに感じてたけど、 二日目のきょうになって、たまにはなんもしない日があってもいいな、って思うようになってた。 最初は頭が痛すぎて、本も読めなければテレビの音が流れてるだけでも気だるくて、とりあえずいろんなことに考えを巡らせた。日々いろいろ考えているつもりだったけど、改めて振り返るとなんかいろいろ煮詰まってたなぁって感じた。 自分をけちょんけちょんに否定しちゃうくせがあって、それをなんとか断とうと昔はがんばってたんだけど、さいきんはそんな努力も怠ってなとか。いろんな意味で感覚を麻痺させてたのかも。人生っていうものがあって、なかなかそれとリンクできないでいたり。そう感じ始めてもう結構な時間が経った気がする。たまーにピコンってつながるんだけど、大抵は心が浮遊している状態。 またあしたから忙しい日々がスタートして、どうやって自分が物事を感じるかなんてわからないけど、強く、ハッピーでいたいなぁと思う。自分でいいんだ、とあしたの自分にも言い聞かせたいです。
ビョーク全盛期の頃にはビョークを全く聴いていなかったし、興味も一切なかった。それ以前にその頃の私は3-4歳だったけれど。でも2000年に「ダンサー・イン・ザ・ダーク」が公開されて、彼女の存在を初めて知ったのかな。正直、自分が普段見慣れている光景とあまりにもかけ離れていたからか、見ていて心地が悪かった。あまりにも未知で怖かった。いまは「ビョーク、美しいなぁ」とか呟いているけど、当時は彼女の濃い眉毛と目の間隔の近さが自分にとってヴィジュアル的に物凄く恐ろしかった。4歳児の私が例えば当時この曲を聴いていたら「怖いものを全て封じ込めちゃおうBOX」に投げ捨てていても夢に出てきちゃうくらい呪われていたかも。
ただ究極な例えかもしれないけど、本当のアートとは恐怖と隣り合わせだと最近本当に思うのです。この曲で例えてみると曲中流れるブラス音が不気味だし、長調な掛け合わせではないのが冒頭からすぐわかると思うのだけれど。「Birthday」、と本来祝福すべき日であるにも関わらず曲調はなんだか少し寂しげだし、メロディを聞くとゾっとする。まあそれも個人的な感性なのかもしれないけど。ただ歌詞も、大の大人が、5歳であった頃の気持ちを必死に掘り起こそうとしているもののような気がする。
実はこの前ビョークのVRの展示に行ったのがきっかけで、彼女の音楽に初めてしっかりと触れることが出来た。展示は3つのパートに分かれていて、まず案内されるのはVRで彼女のミュージックビデオを3本ほど見れるスペース。VRのヘッドセットの扱い方にドギマギしながら、何もない空間であいた口をふさがず頭をぐるぐるさせたのち、彼女の過去のミュージックビデオを30本近くビッグスクリーンで上映(約2時間に渡る)しているスペースへと進む。そして最後のエリアでは、彼女が手掛けた教育プロジェクトであるBiophiliaがお試しできる構成となっている。VRも初体験だったしもちろん最高だったんだけど、(特にJesse Kandaが手がけたものにはどきゅん💘)私は彼女のミュージックビデオたちにかなり触発された。
どれも奇妙で、どれも不思議で、どれもやや理解に苦しむものばかり。特にこれの結末には頭を抱えた。
彼女の作品は頭にハテナが浮かぶものである傍ら、ゾっとするものばかりな気がした。でもアートってこれだから面白いんだと思う。本来は害を及ぼさないけれど、鼓動が早く打ち始めるある種”安全な”恐怖を体験させてくれる。(アートが害を及ぼすのは、アートを作る人に対してだけであって、観覧している側に害があることはほぼないのではないだろうか。)
アートというツールを使うだけで、人間はわざわざ自分を居心地の悪い空間に置いてみようという気になる。そして初見では「怖い」と感じたものが、次第に愛おしくなる瞬間を味わえる。そんなところが醍醐味でしょうか。
今夏はビョークの世界にさらに深入りしそうな予感。
get to know me meme: (one/ten) fav movies le fabuleux destin d'amélie poulain (2001)
I LOVE THE TRAVELING GNOME.
セリフをそのまま鵜呑みにせず、笑ってナンボな映画ナンバーワン。 ついこの前アメリをみて、彼女は悪さをしたら自分に跳ね返ってくるのだということを思い知らすべく、八百屋さんで働く意地悪なおじちゃんの家に入り込んで、陰でいたずらをいくつも仕掛けるんだけど、恋する惑星ではフェイという女の子が恋する警官663号(トニー・レオン)の家に盗み入り、シーツを替えたり、石鹸を置き換えたりする。そんなストーカー的行為をしていることが最終的にトニーにバレるんだけど、トニーはそれでもフェイに魅了され興味を示すから流石映画と言わざるを得ない。これはトニーが石鹸に話しかけている様子。
クサイという言葉が辞書で映像として現れるのなら、この映画をまるごと貼り付けたらぴったりというほどことごとくセリフがクサイ。個人的にこの猛烈なクサさこそがこの映画のミソだと信じ込んでいる。🐶 そういえばこの映画の663とフェイのパートは、サントラが移り変わることがほぼ皆無で、ほとんどがCalifornia Dreaming一色なんだけど、多すぎる再生回数が不思議といやにならないし(爆音で聴くと意外とノレる?)、中学の合唱部で粋な黒人のコーチのもと、これを歌ったときがまるっと蘇った。ある記事によるとトータルで38回流れたらしいけど、今度この映画を観るときはじぶんで数えてみたいと思う! おしまい
California Dreamin’ | Mamas & The Papas (1960)
Banksy’s “Better Out Than In”
Day 25 - Grim Reaper Bumper Car “Brace Yourself” (Houston & Bowery)
"Welcome to the fair, which life isn't,
...This sculpture perfectly represents death in that—it's a bit random. It’s often said that the role of art is to remind us of our mortality. Banksy's take on that seems to be mounting an art show that goes on for so long, we all wish we were dead already."
In the name of innovation. Hello anime cab 👋 https://motherboard.vice.com/read/japans-ultra-polite-taxi-drivers-are-worried-uber-will-undermine-their-traditio?utm_source=mbtwitter