朝、歯が痛い。明確な痛み。
カーテンをあけると、外では雪が降っていた。もりもりと積もっている。
夕方頃に散歩をした。
アスファルトの道の上の雪はほとんどがとけていた。
学校を終えた人々がサッカーボールを蹴って遊んでいる。
淡いグリーンを塗りつぶすように積もった雪。雪は白で、何も言わないから静か。
最近、詩を書いていない。
しばらく書けないでいる予感がする。
朝、何も始まらない。
私はここにいるけれど、いないみたいだ。
すべてを放棄している。私の意思とは無関係に。
ブロッコリーを蒸して、ドレッシングで和える。
冷凍ではないブロッコリーを初めて自分で調理して口に含んだときの感動を今も覚えている。今日も口の中で柔らかく花が開く。春だ、と思う。
新幹線に乗って移動する。
西へ。
過去のことばかりを思い出していた。
ことことと電車に乗って、宇部。ずっと会って、話をしたかった人に会いに行く。
凛としたひとだった。あかるくて、柔らかいのに、強い、みたいな。
たくさん話をしてみたかったはずなのに、疲れていて、私がたよりなかった。
お知り合いの本をつくる人を紹介してくれた。
あんまりにも笑顔で、私も笑顔にさせられてしまった。
人に会えて、うれしかった。
嬉しかったのは確かだけれど、感情が鈍い。
せっかく旅行できているのに、松屋でカレーを食べた。
朝、目が覚めた時間に起きる。
7時30分。昨日は何時にねたのだろう。
昨日会った人に聞いた喫茶店でオムライスを食べる。
少しこんがりなチキンライスがおいしい。上に乗ったグリンピースを口に入れて、噛んで、川から出る部分を不思議に感じた。あんこの舌触り。グリンピースってなんだったけ。
喫茶の裏には洋服が並んでいた。50年。ずっと作っているの、と教えてもらう。
私がカメラを入れている小さな手提げを見て、作ったの?と聞いてくれたけれど、私は裁縫に疎くて作っていない。作れない。やってみたら、できるものよ、と言う。
素敵な洋服を選ぶ時間がなくて残念だったけれど、端切れを買ってみる。「やってみたら、できるのよ。端切れだけど、財布とかに丁度いいの」
できるかわからないけど、やってみよう。きっと、なんでも、全部そう。
海をみに、電車に乗る。きれいなみかんいろの屋根の駅舎で降りる。
海に向かって歩く。山の麓を少し上がって、ゆるりと下って、いい坂道。遠くもなければ近くもない、中くらいのところに海がみえた。海だ。
写真を撮って、海まで歩く。表面がきらきらとしている。砂浜に足をとられながら歩いて、海のみえるカフェに入る。
季節のタルトをもらう。洋梨のタルト。洋梨の季節って春なんだっけ。
皿洗いをしているひとが話しかけてくれて、話をする。
「毎日みる海のなかで、いつの海がすきですか」ときくと「案外、曇りの日が好き」と教えてくれた。夕日はピンクで、雲の切れ間から光が降り注いで、きれい、と。
少しずつ雲が増えてきたそらを残念に思っていたけれど、そう思う必要もないんだ、とほっとした。
カフェをでたのは15時。日の入りは18時をすぎる頃。帰りの電車もそれまでないし、ずっと海を見ていた。飽きなかった。飽きることなく、写真を撮っていた。どの瞬間も、その一瞬で、見逃すことができなかった。風が強くて寒くて、ホッカイロを右手に、左手に、握りしめながら海を見つめ続けていた。
雲の切れ間から光がふりそそいで、まだピンクではなかったけれど、なかったから全て清廉で、鈍った感性がひらかれるみたいだった。
そして、いつのまにか雲も消えていき、太陽が沈んでいくのを見届けた。
太陽が沈むから、世界は暗くなり、夜がくるという当たり前を、みた。目撃した。
公園へいく。
幼い頃に行ったことのあるらしい公園。
そんなことは覚えておらず、行ってみたところで何かを思い出すこともなかった。
広い湖があって、その一周を歩き始めてみる。随分と歩いて、随分と歩きすぎている、と気づいたころには遅かった。湖の半分を歩いたところだった。引き合えしてもまた半分。同じ半分を歩くなら進むしかなく、とにかく歩いた。
もうすぐ一周というところに白い椅子が並んでいた。空を見上げるための椅子だった。
椅子に座って、空を見上げる。
空よりも、足が大地を踏みしめなくてよくなったことに安心した。
湖を一周したら、それだけで13000歩だった。
夜、父と母と合流して、一緒に晩御飯を食べる。
青高菜に包まれたおにぎりがおいしかった。