作品への解釈は作者に起因するのか?
子連れ句会宣言を読む。今後策定される「具体的なガイドライン」において、作品(ことば)とそれを発した人とそれへの解釈、この三つの関係について明確な判断が示されればこの宣言は作品解釈とハラスメント問題の動向にとり画期的な動きとなるだろう。
というのは難しい問題だからだ。
もしある句会にAから「昇降機しづかに雷の夜を昇る」という句が提出される。この句に対しBは①国情不安な世に階級闘争を激化させると解釈し、Cは②昇降機は男根の膨張で雷の夜は女性のオーガズムと解釈する。もちろんこれらの解釈にA本人の意図は関係ない。
策定されるガイドラインが、作者以外の解釈は作者本人の意図に関係なく作者に起因するという前提に立つならば、Cによる解釈②で作者Aのハラスメント行為を指摘できる。ガイドラインでハラスメント行為をした場合は出入り禁止と定められていれば作者Aは句会を出入り禁止となるだろう。何もおかしくはない。戦前は同じ前提により治安維持法が適用され新興俳句弾圧が行われた。
同時にCによる解釈②について、ほかの誰かDから「解釈②は性的な内容をふくみハラスメント行為となる」と解釈されればCも句会を出入り禁止となる。
また、この句会においてDから「甘草の芽のとびとびのひとならび」という句が提出される。DはBからこの句を評価されると期待していた。しかし句会でBはこの句を採らなかった。しかも作者が明かされてからもこの句についてBは一言も触れなかった。Dの性自認は「女」だった。DはBの無視を女性差別的なモラルハラスメントと解釈し、Bはハラスメント行為により句会を出入り禁止となる。
例では三人がハラスメント行為を指摘され、出入り禁止処分を受けた。もちろん現実はこんなに極端ではない。多くの句会や職場でもそう極端ではないだろう。なぜなら、まず指摘された人の意図を確認しようとするから。確認する方がバカである。なぜならこんなの証拠がなければ「そんな意図はなかった」と答えるに決まっているし、そもそも本人の意図は関係ないというハラスメント行為の理念に反している。次に指摘しようとする側の現状維持バイアスが働くから。最後に、知人の言動を、その人の意図とは関係ないと分かっている自分の解釈によってハラスメント行為だと指摘しにくいから。つまり自分の解釈で自分自身を傷つけていると多くの人は分かっている。
しかしその正気はハラスメント行為を助長するだけの甘えなのかもしれない。だから甘えを取りのぞくべきなのかもしれない。言動への解釈は作者に起因する、この基準がかつての治安維持法の適用のようであれば簡単にハラスメント行為をした人を場から追放することができる。
極端だろうか。
あきらかな犯罪行為と言えないハラスメント行為は難しい問題である。私は明確な答えを持たない。そして、答えにたどり着く知恵も知識も勇気もない。だからこそ作品(ことば)とそれを発した人とそれへの解釈、この三つの関係について。特に作品(ことば)への他人の解釈が作者に起因するのか否かについて、子連れ句会がどのような判断が下すのか、興味がある。












