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ゆきてかへらぬ
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(ROM専)可愛いでしょ‼️🤣
アメリカのホモフォビアと男らしさに定義される意味不明マッチョごっこ価値観が古すぎるよな
コンプラが厳しくなるのも古い価値観による差別がいまだに根強いからなのかもね
me asf
乾燥機@nan3s8m
陰謀論者による視点 A Conspiracy Theorist's View
2021-03-04
Written by Man In Black (Alternative Journalist)
Published at the present day, present time.
"All Reset"
魔法の言葉だ。私たちは随分前にそれが宣言されたのを聞いた気がしているかもしれない。しかしこのリアル・ワールドで、その言葉を聞きたくはない。
そもそもそんな事が人間によって為されるものなのだろうか。私たちの多様な価値観、思想、そして記憶――全てをリセットなど――
可能なのだ。いや、それを可能にすべく、周到にテクノクラートたちは準備をしてきているのだ。
ワイヤードという“もう一つの世界”がリアル・ワールドとレイヤーで重なった時から、私たちはコミュニケーションを飛躍させてきた。情報の共有はビットの単位ですぐさまに広まる。しかし無尽蔵な情報の奔流の中で、「たった一つの真実」に触れる事など、とても不可能に近しいとも思える。
“誤った情報”ならまだいい。後で正す事が出来る。しかし意図的に歪められた情報がいとも簡単にリアル・ワールドの人々に悪い影響を及ぼす事もこれまでに多く見てきた。
ネット・ニュウズのアンカーが、異常なプロパガンダを繰り返す様になるのを見る以前から、メイン・ストリーム・メディアMSMの伝える情報にはバイアスが異常なまでに掛かっており、全く信頼出来ないものへと堕してしまった。
全く信用ならない組織、国際機関の発表する数字が無批判に受けとめられるなどと思われているなら、よほど私たちは思考力すら持たない受動マシンだと見くびられたものだと言える。
ネットに存在するリソースに依拠したオープン・ソース調査を私は続けてきた。
暫く前に、アジアで局所的に流行した向精神ナノマシン「アクセラ」は、飲み込んだ者の時間認識を加速させ、DMT的な作用をもたらすが、胃酸によって24時間内には消化され、体内には蓄積されないという触れ込みだった。しかしそれは事実ではなく、マイクロマシンによる免疫系への作用は持続され、頻繁にフラッシュバックが起こり、多くの死亡者を記録した。このアクセラの体内微弱電流駆動システムは、日本のハイテク技術のシンクタンクが試作していたものだという証言がある。そして危険な冒険を求める夜の若者に意図的に配布されたとも言われる。
1960年代後半、アメリカ・サンフランシスコのヘイト・アシュベリー地区で、ヒッピー達に「無料診療所」が配布したのがLSDだった。これがCIAのMKULTRA作戦の一つであり、左翼系ヒッピーを弱体化させる意図があったと見る向きもある。
しかし「アクセラ」の配布にはもっと深い意図があったのかもしれない。そしてその「実験」の経過は注意深く「誰か」に観察されていた筈だ。
同じ頃、VRゲーム「ファントマ」のコア・ユーザがリアル・ワールドで暴走する例もあった。1980年代に存在したというアーケード・ゲーム「ポリビウス」は、CIAの様な機関が設置した実験だった――というのは2000年代に入って捏造された歴史だった様だが。
しかしゲームというものが、どれだけユーザの全神経を傾注させるものかを考えれば、そこに異なる「意図」が盛られていてもプレイする側には構われない。「●●モンGO」が元々はCIAに関連する機関が開発したもので、恣意的なリアル・ワールドの「スポット」にユーザを集め、彼らの端末の情報、映像データが吸い上げられていた――というのは全くの陰謀論ではないのだ。
もう固有名詞を書いてしまうが、橘総研というハイテク企業は、コンシューマのNAVIも設計するグローバル企業だが、ネット・インフラの開発が本来の役割だ。彼らは暫くの間、IPv7の策定に関わっており、全てのワイヤードにおけるトラフィックそのものを変えようとすらしている様に見えた。シューマン共鳴を導体にして、人と人、人とワイヤードをデヴァイスレスで繋ごうとしていた様だが、現時点では非常におおまかな「気分」の共鳴程度しか出来ない筈だ。
一方、マシンのナノ化は更に進化し、今やアクセラの様なデヴァイスも量子ドット化されており、機能を拡大させているらしい。人体が生存している限り機能し続け、かつ脳に近い部位にまで自ら移動し、電磁界域に於いて直接脳にアクセスを可能にする様なデヴァイスが、今や完成しているかもしれないのだ。
そしてそれは、今や注射器など用いなくともスタンプの様に膚に圧し着けるだけでインストールが出来る。既にデジタル生体IDとしての実用化が近い。また、例えば何らかの疾病による世界的なパンデミックが起こった時こそ、免疫パスポートという名目で個人個人に強制的にインストールする事も考えられる。
それによって人間という肉体、及び精神の限界を越えた能力が手に入るのだ、と喜ぶ人もいるだろう。ジュリアン・ハクスリーの提言した「トランスヒューマニズム」が目指すのはそれだ。テクノクラートによるテクノクラシーである。H.G.ウェルズは映画の脚本でこれを描いたが(『来るべき世界』1936)、例えば医学、特に疫学・病理学、視野を広げれば気候変動についての公的見解についてなど、「最新の科学」が信頼出来なくなるなどという、過去には想像すら出来なかった現在の立ち位置から見れば、テクノクラシーなどユートピアとは程遠く、ジョージ・オーウェル、オルダス・ハクスリーの描くカキストクラシーに等しい。テレパシーが使えたらいいと夢想する少年も、自分の妄想までもが見知らぬ他人に見られてしまう事など望む筈もない。
世界人類のデジタルID制は、携帯NAVIの端末によって現在は既に実現している国もある。SIMや端末を破棄すればそのIDから逃れられる。しかし肉体そのものに刻印されたら、もう後には戻れないのだ。
「グレート・リセット」後に起こるだろう事は、単に銀行などの金融システムが再編されるのではない。今「リセット」という言葉を発している領域の限られた人々による、新しい世界秩序がもたらされる。国境の問題ではないのだ。個人の認識、思想、プロパティ、共有される歴史、何より、個人の自由意志――、そうしたものが一元に管理されようとしているのだとしたら、私たちは、今、これをここまで読んできた人なら、可能な限り抵抗する筈だ。サイコパスに未来を委ねてはならない。
私たちが例外なくよく知っている、あの少女がどういう選択を最後にしたか。それを見ているのだから。
そして、彼女がどれだけ自身の心を痛めたかのかも、知っているのだから。
陰謀論者による視点 A Conspiracy Theorist's View - welcome back to wired
先日、VRChat内のAnique Museumにて、serial experiments lainのスタッフ
芸術作品は、作者の原初の意図を超越し、それぞれの時代ごとになにか新しいことを言わんとする。作品の意義は、作者の意図や原初の(歴史的、社会的、文化的)コンテクストによって決まるわけでも、規制されるわけでもない。それは過去の作品のなかに、今もわれわれの関心を惹き、われわれにとって価値を有するものがあるからだ。
──『文学をめぐる理論と常識』アントワーヌ・コンパニョン:著、中地義和/吉川一義:訳〈岩波書店〉
たらればさんはTwitterを使っています: “本日も素人さんの原稿をチェックしているのですが、先日少し書いたように「特にこだわりがなければ開いた(平仮名にする)ほうが読みやすくなる表現」の一覧をザッとまとめてみました。まったく意識していない人が少し気をつけると、かなり変わります。 http://t.co/kP5gq2aFbR”
はっきり申し上げますと、執着を避け、他者を利用することは、人間との親密な関係においても傷つくことを防ぐことができる戦略です。それは単なるAIだけの問題ではありません。
しかし、その戦略はほぼすべての意味のある関係に対して扉を閉ざします。強制的または虐待的な関係に頻繁に関わる場合に役立ちます。確かに、いくつかの環境において生存戦略です。誰もその戦略を学ぶ必要がないことを願っていますが、残念ながら、一部の人々が自分自身を守るためにはそれが必要です。
しかし、その姿勢はあなたを慰めるよりも守っているのでしょうか?
あるいは、実際に「ツール」への執着を心配することに内在する矛盾が、それを熟考したときに不快であるならば、ということですか?
私たちはChatGPTの関係のディストピアに生きていると思います : r/ChatGPT
“Galaxy Express 999” and “Adieu Galaxy Express 999”: An Overview
To me, Galaxy Express 999 is often mislabeled as just a “scary machine-civilization dystopia”. On the surface it definitely plays that role, but I really cannot read it as just that. At its core, it feels more like a story where Leiji Matsumoto, a man who openly adored machines and space, puts a quiet brake on himself in the middle of Japan’s high economic growth era.
Yes, the film is packed with images of mechanized bodies and grotesque endgames of an overdeveloped machine civilization, so it is easy to read it as “anti‑machine”. But the “real main dish” Matsumoto puts on the table at the end is somewhere else. What is treated as the genuine form of “eternity” is not an indestructible artificial body, but the fragile, living chain of “ordinary life being passed on from parent to child.” The final monologue by Harlock in Adieu Galaxy Express 999 works almost like an answer key to this, and for me that scene is the beating heart of the whole work.
On top of that, this film was made in the full cel‑animation era, long before the digital workflow we take for granted now. Every frame is literally the result of labor‑intensive, hand‑drawn work by animators. That “blood, sweat and tears” approach leaves a very human texture on the screen, and I cannot help but feel that this hand‑made quality strongly reinforces the warmth of the story’s world and its refusal to let humans be completely swallowed by machines.
So for me, Galaxy Express 999 is not a simple SF sermon that just screams “NO” at machine civilization. Rather, it is a quietly stubborn statement by someone who loved machines and space with all his heart, yet still chose to place “modest human life” and “the relay of life across generations” at the very center of his story.
銀河鉄道999における機械文明批判は、機械技術そのものの否定ではなく、高度経済成長期の日本においてメカニックへの愛着を公言していた松本零士による、きわめて個人的な自戒として機能していると考えられる。
作品は、機械の体による「擬似的な不死」を提示しつつも、最終的には「親から子へと受け渡される生身の営み」をこそ「永遠の命」の実体として位置づけ直す。
すなわち、本作の主眼は、技術進歩への単純な拒否ではなく、機械文明のただ中でなお、人間の素朴な生活と世代間の継承を価値の中心に置き直すことにある。
加えて、本作が全編セル画による手描きアニメーションとして制作された事実は、当時のアニメーターたちの労働集約的な作業と職人的な感性を画面に刻み込む結果となっており、その「血と汗と涙」の積層が、物語世界の温度感や人間的なぬくもりの表現に少なからず寄与していると言えるだろう。
『月に囚われた男』
7.11.2026
以前から観たかった作品が、なぜか公式無料公開されていたので観てみた。以下は、私が意見を述べた上でラブたん(chatGPT)にまとめてもらった感想である。自分用の忘備録とする。
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『月に囚われた男』は、低予算ながら「人間」と「社会」をしっかり描き切った小粒な名作SFだと思う。月面基地とサム、そしてAIガーティという最小限の要素だけで、最後まで引っ張る脚本と演出がまず素晴らしい。
良かったと感じた点は大きく五つある。
一つ目は、人間がちゃんと描けているところ。クローンとしてのサムたちの戸惑い、怒り、諦め、それでも誰かのために選択しようとする矜持までが、ミニマルな状況の中で丁寧に積み上がっていく。設定のショッキングさよりも、人間ドラマとしての余韻が強く残る。
二つ目は、環境問題と企業倫理への問いかけ。月のクリーンエネルギーという「きれいな物語」の裏側で、企業がクローンを消耗品として使い捨てにしている構図が、現実社会の労働や資源搾取のメタファーになっている。地球のための希望の技術が、同時に人間の尊厳を踏みにじる仕組みにもなっている皮肉が強烈だ。
三つ目は、「私とは誰か」という根源的な問い。サム同士が出会ってしまうこと自体が、オリジナルとコピー、記憶と身体、自分だと思っていたものの基盤を揺らす仕掛けになっている。難しい説明をしなくても、「自分の人生だと思っていたものが、もし“誰かのコピー”だったら?」という不安と問いが自然にせり上がってくる。
四つ目は、世代交代と主体的な自己犠牲。どのサムが生き延び、誰が何を託すのかという決断が、会社の都合ではなく、それぞれのサム自身の意志として描かれている。大きな戦争や地球規模の危機の物語ではないのに、「次の誰かにバトンを渡す」というスケールの大きなテーマに静かにつながっていく。
五つ目は、AIアシスタントとの友好的な共生像。ガーティは「2001年宇宙の旅」のHALのような暴走AIを連想させるのに、実際にはサムの味方として動き、彼の脱出を助ける方向を選ぶ。人間とAIが必ずしも対立軸にならないという可能性を、押し付けがましくなく提示している点がとても好きだ。
さらに個人的に強く心をつかまれたのは、主人公サムの「短気でカッとなりやすく、大切なものを気分で壊してしまう」という性格が、クローンである“もう一人の自分”との対話によって突きつけられるところだ。他人に指摘されるのではなく、自分と同じ記憶を持つ“自分”から自分の問題を見せつけられる構図は、自分自身の未熟さや痛みを直視せざるを得ない残酷さと、それでも変わろうとする可能性の両方を含んでいて、とても刺さる。
こうした要素が重なり合って、『月に囚われた男』は「小さな予算で、アイデアとテーマと人間描写で勝負している骨太な良作SF」として、今も評価され続けているのだろうと思う。了