なぜ「自民党」はスキャンダルで倒れないのか 政治学者が語る“日本を覆う空虚感”の正体(AERA DIGITAL 6月22日)
France G7 Summitでの高市早苗首相(c)AP/アフロ
スキャンダルが相次いでも揺るがない政権、盛り上がらない選挙。失われた「政局」の熱。いま日本政治を覆うのは、怒りや期待ではなく、どこか乾いた無力感ではないでしょうか。慶應義塾大学法学部教授・片山杜秀氏と気鋭の政治学者・田中駿介氏が対談し、この時代に広がる「空虚感」の正体と、その行き着く先を読み解きます。二人が語り合った最新刊『国家が戦争に向かうとき 昭和10年代に回帰する日本の現在地』(朝日新書)から、一部を抜粋・再編集してお届けします。
田中 片山先生は、今日の政治状況について、集団的自衛権が容認された頃から「全体主義化した昭和10年代に似ている」とおっしゃっていました。また、自民党政権はモリ・カケ・サクラ問題、旧統一教会問題、裏金問題など、いつ吹っ飛んでもおかしくないスキャンダルが目白押しです。しかし、自民党政権は続いている。こうした政治状況をどう見ていますか。
片山 昔なら政権が吹っ飛んでいるだろうときにも飛ばないで、ずっときている。それは与党が巧妙というよりも、与党にも野党にもギラギラした政治力がないからではないですか。エネルギーが足りない。あるいは、ここでエネルギーを使っても無駄だ、仮に頑張って政権を取っても何もいいことがないと、ニヒリスティックになっている印象です。一生懸命に政治をやってもどうせ良いことはあまりない。そうなると人材も薄くなる。その意味で政治家は衰退業種でしょう。
政治家に限らず、日本全体を覆うこうした空虚感というか無力感が恐ろしい。昭和10 年代の政党政治家もそういう無力感にとらわれて、大政翼賛会という大政党によって盛り返す夢にかけたのでしょう。でもあのときは議院内閣制ではないし、議会政治家のオルタナティヴとして軍人や官僚がいました。国民もそちらに支持対象を乗り換えてしまう手もあった。でも今は議院内閣制です。民主政治とはやはり国政選挙だ。でもそこにワクワク感がない。ワクワクできるのは正体の見えきらぬ新党くらいのものです。「政局」という言葉もワクワク感を失いました。
田中 小池百合子の希望の党に前原誠司の民進党が合流すると大騒ぎになり、民進党の一部が立憲民主党を結成した2017年のあと、「政局」らしい「政局」がなくなった時期が長く続きました。
片山 それからついに「政局」は帰ってきたけれど、日本の政治はもう新次元に突入した。第1章で触れた戦前の社会大衆党に相当するようにも思われる参政党も躍進して、何の前夜かはわからないけれど、これは何かの前夜でしょう。けれども市民に盛り上がりはない。参政党の集会はそうではないようですが。一応、政治とカネの問題で市民は怒っているともいうけれど、怒りが沸騰して欧州のようにデモが頻発するわけでもない。若い田中さんは今の日本の政治状況をどう見ているんですか。
田中 一昔前までの与党は自民党、野党第一党は社会党という55年体制の時代、社会党は解散総選挙のたびに「7条解散は違憲だ」と、ほとんど毎回のように、批判していました。しかし、あるときを境にほとんど言わなくなった。むしろ野党は、支持率低下のタイミングを見て「解散総選挙をやらないのか」という攻め方に転換していったわけです。
片山 同じ穴の狢(むじな)。党利党略。だから既成政党は見捨てられるというわけですね。
片山 では政党が見捨てられていった時代の昔話を少ししましょうか。日本で二大政党制が曲がりなりにも実現していたと言われるのは、まあ昭和初期ですね。普通選挙法が出来てからしばらくの間の、政友会と民政党で政権を獲り合った時代です。けれども、政権交代を繰り返してお互いが切磋琢磨してその実をあげて政党政治が確立していったのではなくて、むしろ逆でしたね。選挙をやって支持を集めて政権を獲るとすぐボロボロになる。それで両政党とも壊れてゆく。二大政党が内閣を交互に作る時代は僅か7年ほどで終わりました。
1925(大正14)年に普通選挙(満25歳以上の男子に選挙権を付与した)になってから、二大政党の政権交代は三度ほどありますが、7年後に政友会の犬養毅内閣がテロで倒れると、もう政党に内閣が戻ってこない。以後は挙国一致体制、つまり官僚や軍や財界や政党の有力者が呉越同舟する内閣になって、政党の優位は失われます。政友会と民政党(憲政会と政友本党が合同して成立)は二大政党と言っても保革二大政党ではない。二大保守政党ですね。政友会が地方重視で民政党は都会重視、政友会はアジア寄りで民政党は欧米との協調路線といったカラーの相違はあるけれども、思想が違うというほどのことはない。明治憲法体制を変革したいわけでもない。基本は現状に則るという意味で保守政党です。それでも権力獲得を目的に政治をしているから闘争本能は旺盛です。民主主義のためにはそこは大切なのですが、選挙のときは相手を貶めて、あと、普通選挙法よりも前の制限選挙の時代だと集票の基本は買収ですからね。議会政治は闘争的で汚らしくもあるというイメージは明治期からあるわけです。政党政治家は党利党略のためにカネをばら撒き、平気で嘘を言うんだと。ちょっとした濃淡の差を白黒はっきりついているように大げさに言い立てて、自分に値打ちをつけるんだと。それでお金をもってきて地元の有力者にへいこらする。それが代議士である。
しかし普通選挙になると有権者も増えて買収しきれなくなるから、やはり政策で勝負ということになる。デモクラシーの成熟が求められる。でもタイミングが悪かった。近代日本における普通選挙と二大政党制を組み合わせる試みは世界大恐慌と重なってしまった。日本は先ほど申したように第一次世界大戦後は基本的には不況です。その解決がままならぬうちに世界大恐慌に入る。29年からですね。そんな時期にもろかぶりしたのが普選時代ですよ。容易に抜け出せない暗い時代に入っているのに、良いことを言わないと当選できない。暗いからこそすぐ明るくなりますと言えないとね。代議士ではないですよ。そこで、候補者は空手形を連発する。危機の時代には出来もしない公約が乱れ飛ぶ。これは代議制民主政治の一種の宿痾ですが、するとどうなるか。切羽詰まった民衆の期待を裏切り続けるのだから、すぐ政党は見捨てられる。要するに、日本には二大保守政党が政権交代を続けて国をうまく回せた時代なんてなかったのです。
田中 政友会と民政党の時代には、有権者の階層やイデオロギーとは無関係に集落同士が選挙のたびにどっちに入れるかでもめていた。そういう話もあります。
片山 そうですね。そこが日本の浅さですよ。支持することへの深みがない。アメリカの二大政党が歴史的に持続しているのは、共和党なら共和党、民主党なら民主党のコアな支持層が、天地がひっくり返っても覆らないからでしょう。世界大恐慌は、共和党のフーバー大統領の時代に始まって、フーバー政権は対策として高関税政策で閉鎖的経済を作って、あとは国内経済の自律的回復に委ねようとするけれども、なかなか結果が出ない。ついに選挙で負ける。民主党が議会も大統領の椅子もとる。33年に民主党のルーズヴェルト大統領が誕生して、そのときは下院は民主党が約300で共和党が100くらいですね。これはもう歴史的大敗ですが、世界大恐慌という、アメリカはもう終わりかという事態を招いた責任を問われても、100人当選するのですよ。これがコアな支持層の力なんです。そのあとすぐ取り返していきます。第二次世界大戦の始まる39年の頃だと、民主党が270くらいで共和党は170くらいでしょう。太平洋戦争たけなわの頃にはもっと拮抗する。だいたいルーズヴェルトの政権には共和党も入っている。ふだんは喧嘩しているけれど国難のときは手を携える。喧嘩友達ですか。そのくらいツーカーでないと二大政党制が安定して長続きすることはない。
ところが日本の場合はそこまで二大政党を成熟させる歴史経過がなかった。大正から昭和の時期もそうだし、冷戦構造崩壊後に政界再編と言っていた時代もそうです。理屈で二大政党を考えた。小選挙区制にすればそうなるとか。制度は相応の実態に支えられてこそで、仏作って魂入れずではね。入れたくても入らない制度はあるんですよ。何か根本的に間違っている。日本人は熱しやすく冷めやすい。片方がダメとなったら片方にどうっと行く。そういう行動原理の国民に二大政党は向いていないと思うし、根付かないでしょう。だいたいそんな正当性が続いていると言えるのは、世界広しといえど、ほぼアメリカだけなのですから。ではアメリカは何なのかと言うと、世界で一番豊かで、ひどいひどいというときでも、餓死者が大勢出たなんてことのない国です。世界一うまく行ける国なのです。だからコアな支持層も保てるのです。そこでかろうじてうまく行っている制度が日本でもうまく行くと思えること自体、一種の狂気ではないですか。真似て良いものと悪いものがある。日本では二大政党制は実現しない。してもすぐ終わる。日本は基本は豊かになりきれぬ山国ですからあちこちで割れているのがちょうどいい。大政党も派閥無くして盛り上がらない。良くも悪くも割れていないと。大政翼賛会も強固な一枚岩には程遠かった。まったくそうなれなかった。それが日本の伝統です。それなのに、小選挙区制にしたらよいと言って二大保守政党を目指した。90年代からは本当に無駄な実験をして国を壊したと思いますよ。その果てに今日の昔とすっかり中身の変わった自民党やその他の政党があるわけですが。田中さんは今の保守と称する野党をどう見ていますか。
田中 確かに「イデオロギー」がありません。たとえば、安全保障政策でしたら「日米関係を機軸にする」というところは共産党を除けばほとんど変わりがない。つまり、いわゆるイデオロギーという部分では、与野党の間で、大きな違いは見えにくいわけです。もちろん、共産党だとかれいわ新選組とか社民党とかは違うでしょうが。
(朝日新書『国家が戦争に向かうとき 昭和10年代に回帰する日本の現在地』から抜粋・再編集)
■朝日新書『国家が戦争に向かうとき 昭和10年代に回帰する日本の現在地』
戦争・テロ・天皇・民主主義……戦後秩序が崩れつつある今、歴史からどのような教訓をくみとるべきか。右傾化は何を意味するのか。そして閉塞感を打開する策はあるのか。この国が陥っている過ちの元凶を、政治思想の大家と気鋭の政治学者が読み解いた一冊。