冷静になって、アレをしてきて、今までに「得たもの」と「失ったもの」を考えてみた。
そうしたら、失ったものの方が断然多く、そして、得たものよりもはるかに価値があったと気づいた。
きっと、これを読んでいるあなたも、同じではないだろうか。
失ったものの大きさや価値、そして、二度と取り戻せないものも数多くあることを理解しながら、アレを経験した以上は、わずかに残ったものと共に、生きていかなきゃならないことも、分かっているはずだ。
こうして生きていると、なんで自分はこんな厄介なものを経験し、一生を共にすることになったのだろうと考えてしまうものだ。
俗に、人生は自分が選択したもので造られていくものだというが、私はなぜ、あの時、アレを受け入れてしまったのだろうという「後悔」がずっと付いてまわってきた。これはきっと、人生が終わるまで付いてくるだろう。
と想像すら出来なかった「今」を嘆いて悲しんだことは何度でもある。
もう、終わらせるにはこれしかないと、自暴自棄になってしまったこともある。
人生を困難なものにしてしまったのは、自分だったんだなぁと過去を嘆き、今を悲しみ、そして、未来に絶望しながら、この厄介な毎日を、
しかし、そんなことを今までずっと考え、生きて来た中で、ようやく気づいたことがある。
こんな厄介なものと一生関わっていかなきゃならない自分であっても、未来は自分で決められるということだ。
未来を変えるということは、「今」、何を私が選択していくのかで未来が変わっていくということを意味する。
もう一つ付け加えるならば、こんな私であっても、(過去に描いたものとは違うかも知れないけれど)幸せな未来を夢見て、それを実現して良いのだ。
そして、私の本当の幸せはアレがあって成り立つものなのだろうか。
私が、今のままで生き続け、過去を懐かしみ、こんなはずじゃなかったと後悔して、一生を終えるために、この世に生きているのだとしたら、それは悲しすぎると思う。それこそ、本当の不幸と言えるのではないだろうか。
私にとっての幸せや生きる目標が、アレとは関係のないものであるならば、私が「今」することは、アレを使わないで生きていく、ということになる。
アレを使わないで生きるのは、気合いや根性だけで出来るはずがなく、言い換えるならば、これは闘いだ。
時には失敗や悔やむこともあることだろうが、しかし、賢く生きていかねばならない。
そして、この厄介なものになってしまった人生を生き抜いて、最後に勝つのは、私だという信念を心から失ってはいけない。
誰かに相談し難い状況の中で、孤独に耐えながら、出来得るならば、アレを使わずに生きていきたいと願いつつ、必死に試行錯誤を繰り返して生きているはずだ。
厄介なものと一生をかけて付き合っている、同じ境遇の人たちも決して少なくはないはずだ。
私も、孤独な闘いではあるけれど、あまた多くの「戦士」のひとりとして、これからも厄介な毎日を戦い抜いていきたいと思う。