stresstest
Rem Koolhaas
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ストレステスト
レム・コールハース
3年前、最初の『Al Manakh』に私が書いたイントロダクションを「Last Chance」と(メロドラマ風に?)名付けた時には、『Al Manakh 2』がいつ刊行されるか予期していなかった―あのクライシスのせいで最初に出した本での議論に対する真偽の把握が潜在的に厄介なものとなった―。しかし件のクライシスは起こり、そしてドバイとガルフにもおよんだ。いろいろとアジェンダが出てくる中で、最初の『Al Manakh』は、「アラブの地でシュペーアがディズニーに出会った(つまり権威主義と商業主義の合体)」という西洋のあまい批評に異議を唱えたのだった。これらと同様の批評は、ドバイの挫折に対する分かりやすい「人の不幸は蜜の味」とともに、今も見ることができる。クライシス以前のドバイは、アングロサクソン型の開発に対する止まらない降伏のために嘲笑され、クライシス以後はウォールストリートの毒毒しい不正に対する免疫の無さをアメリカとヨーロッパの批評家によって非難されている。「ドバイモデル」は地に落ちた、おそらく永遠に。しかし事実、そのような読みはいま私たちがよくやっている惰性的な非難を補強するだけだ。むしろドバイはまったく異なった構図にあると考えるべきなのだ。ローカルマイノリティの創意に富む人々は、つくられたコミュニティを成立させるために、そしてイスラムと近代との関係を試み/探究し/実践に移すために、どこからでも惜しみなく人的資源と専門家を招いてくる。西洋的な視座から見れば方向性の定まらない軽率な振る舞いでしかないのに対して、イランから見ればドバイは自由を体現しているだろうし、インドからだと好機と見えるだろう。アラブに対してその近代化が上手く機能するという希望が向けられている。こうした実験がどういうものであり、それが成功したか失敗したかということが、ドバイに対する批判の主題となるべきだった。スイスがイスラム寺院【註:の尖塔建設】を禁止し、EC封鎖政策は明らかに移民労働者の更なる受け入れに頼らずして老化の準備をしている。この点が見過ごされているのは奇妙なことだ。事実、グロテスクな開発業者の多幸症はガルフに多数の持続性の無いヴィジョンをつくり出し、そのうちのいくつかはかろうじて建設され、その他は幸いにも消えていった。悪夢のような極地として数年のみ存在した都市風景とともに、ドバイは、開発業者が抵抗組織に出くわすことのない世界において何が起こるかという実験場になっていた。
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驚くべきことは、具体的にはドバイではあるが一般的にはガルフが、いかに「新しい」ものとして、つまりひとつの静止画 ―時間のなかのある一瞬、ありがちだがあまりに短かすぎる滞在の引き伸ばし― として繰り返し議論され批評されてきたかということである。ここではドバイの近代化の歴史は ―70年代に始まり、90年代には石油が枯渇し、新しい存在理由としての開発が起こり、2000年代にはじまるコンサル主導の投機的炎が上がった― 無視されている…
ドバイは決して繰り返されることの無いプロトタイプだ。思い起こせば、その狂気は不確かな帰結に深く共鳴する試金石としての質を持っている。彼らにとっての純粋な美や、様々にある神秘的なポエトリーに心動かされることが無ければ、触毛状につくられたパームの向こう側に夜明けを目にすることはできない。ブルジュ・ハリファの足下からその尖塔まで視線を動かすなら、人類の歴史上これまでになかったような膨大な数の「パースペクティヴの」状態を横断しなければならない。建物は頂部と底部とで文字通り別の世界に属している。メトロは、ペイできてないにせよ、活気づかせる業績ではある… ドバイのビジョンは深いレベルでのリアリティを含んでいた。実際ドバイの気風は幸福感あふれる10年間のためにリアリティを宙づりにさせていた。その結果がパームの形状であり、ブルジュ・ハリファ、ビジネスベイ、ドバイマリーナである。それは今日では破錠の兆候として読み取られているとしても、よくも悪くも重要なプロトタイプであって、21世紀初頭を特徴付ける業績として認められることだろう…… そしてもうひとつ明らかなことは、ドバイのエネルギーと能力は、よりよい未来に到達するためには十分なものであるのに、使い尽くされていないということだ。アラビアのおしゃれな若者たちのインフォーマルなサマーパーティから、リヤドの王宮の奥の間、ドバイ・ワールド負債の構造改革を行なう崖っぷち国際会計専門家軍団、ドーハの活気溢れる国際主義、中国系のシンクタンクの私室まで、新しいアラブ世界は企みと計画の渦中にある。ガルフ全体は、―最もパブリックなものから最もプライベートなものまで―一見したところ変わらなさそうな規則、体制、法令、そして前提を、変化させ再発明しようとする構想に満ちており、おそらくその帰結として、サウジアラビア、クウェート、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦とオマーンは一定した強度でもってガルフ協力会議の中でより緊密に恊働している。私たちのシステムが持つ明らかな空虚さと腐敗とが私たちをとまどわせる、まさにその瞬間を目にするにつれ、こうした統合を極めて真剣に受け取らない理由などない。
しかし、湾岸諸国は過去を持ち、未来もある。その未来の輪郭は、現在の混乱の兆候のただ中でさえ読み取ることができる。『Al Manakh2』は140以上もの記事のモザイクとなっているが、それらは「現場で」記されている。超高速列車が砂漠の無表情な砂の間を通過していくようなガルフの現在を記録するそれは、希望的観測以上のものであるのだ。