[わたしのゴミゼロの世界 - my Zerowastism -] さつき:530 tumblr VOL.1
530はゼロウェイストなライフスタイルを様々なコラボレーターとともに作っていくコミュニティです。ゼロウェイストというテーマを今まで取り上げてこなかった様々な視点で書き残していきたい。物質的なゴミの減量にとどまらないゼロウェイストの奥深さを、読者の皆さんと一緒に探っていきたい。そんな想いのもと、2021年1月から隔週でニュースレターを配信していきます。上半期のテーマは、530メンバーの「わたしのゴミゼロの世界 - my Zerowastism -」。
はじめまして、530インターンのさつきです。国際基督教大学に通い、中高生の頃はどうしようもできないと諦めていた環境問題と向き合い、先輩との縁で530weekと出会いました。昨年、授業でSATOYAMAイニシアチブという国際的取り組みを知ったこと、宮城にて百(momo)というコミュニティに出会ったことで、今は里山の暮らしに興味あり。札幌出身/東京在住の都市・消費型だった自分の生活に、田舎・自給自足型の要素を組み込みたく、つい先日コンポストの実験を開始。初回のニュースレターでは、そんな私が考えたゴミゼロの世界を綴っていきます。
ゼロウェイストという言葉を聞いたことはあるだろうか?
ごみや、資源の無駄がない。とても素敵な考えに聞こえる。
しかし、そんなことって可能なの?
縄文時代くらいに遡れば、、、いや、そもそもごみがないってありえるの?人間が生きている限り、食べ物をつくるし、モノをつくるし、最後には捨てる。今の消費生活を続けるのなら、たしかに実現されないだろう。
今回の投稿では、私なりの現代版ゴミゼロの世界の青写真を書いてみたいと思う。
ゼロウェイストを語る時に、江戸時代の暮らしがよく引き合いに出される。ほとんどは自然に還る有機的な素材でモノが作られていて、何度も使用して壊れたものは修理する。修理できないものはリサイクルしたり、土に還す。土に還るのだから、ゴミという概念は存在しなかった。天然でコンポスタブルな資源の利用に加え、社会の静脈産業ともされるリユース/リサイクルショップ、修理職人、買取業が身近にいたことも重要なポイントだ。
特筆される当時の産業のひとつに、下肥買いがある。下肥というのは人の排泄物である。大消費都市である江戸で買い取られた下肥は、農村で肥料として使用された。そうして農作物を育む土は、肥えた状態に保たれ持続可能な生産を可能にしていた。特定の地区の下肥を選んで買うようなこだわりを持つ農人がいたり、収入源として下肥を利用する江戸っ子もいたらしい。庶民の食生活が下肥の栄養素に直結するんだろうな、面白い。この例からは、農村から都市への一方的な供給だけでなく、都市から農村への矢印もしっかりと存在したということがわかる。
モノだけでなく、暮らしの工夫もたくさんあったようだ。打ち水などの冷の取り方。居住空間にも、風の道をつくりだす設計、日射を遮るすだれなどの家具、調湿機能の優れた土壁や漆喰の施行など。また、道をわざと泥道にすることで天然の空調機として機能させていたり。目に見えない熱エネルギーや空気の流れも無駄なく利用していた。
いやぁぁ〜、感服!なんだか資源がとても美しく回っている感じがする!
自然資源の特性・循環を考慮したモノづくり。一度手に入れたら長く使うという当たり前の認識。そして回収したり直したりする人の手が加わることによって、作り手と使い手の距離を埋められ、循環の輪がいつまでも絶えない。
自然から資源を拝借して、いろんな工夫をしながら何遍も使い、最後まで使い切ってまた自然にとっての肥やしになるように還す。そんなふうにモノや自然と付き合えたのは、手にしたモノを大切に扱えるような知恵や技巧を持っていたり、どう自然資源が循環するかを身体を通して理解していたり、自然からの恩恵を受け取ろうとする暮らしがあったからではないだろうか。限られていた生活範囲だったかもしれないが、その中で作り手や修理の職人・買い取りにくる人・ご近所さんとの絶え間ないコミュニケーションが自然と生まれ、自分の生活を豊かに彩り、そのような生活を支えている社会の働きを持続させていたのだと思う。
江戸時代から時は経ち、いったい今のわたしたちの暮らしはどうなっただろう?
まず、質問をしたい。「あなたが最近お金を払って買ったモノはなんですか?」
食材、日用品、本、衣服、家電?外食をしたか?コンビニに行ったか?
ショッピング街で買い物?Amazonでぽちっかな?
欲しいモノは、なんだって購入できるようになった。生活必需品だって簡単に手に入る。とても便利だ。今では海・空・陸を介して世界各国が繋がり、まるで永遠に困らないかのように地球資源を使ってる。そして、無機物に囲まれ、修理もせず、壊れれば捨て、新しいモノを買うことができる。食物生産でも肥料は化学物質から生成し、排泄物はトイレに流してバイバイだ。
なんだかむずがゆい。次から次へと新しい資源を見出し、利用しているが、それは資源が枯渇するまで使うのだろうか?そんなに急いで地球資源を掘り出して、製品化して、捨てさせていいのだろうか?
経済活動の否定をしたい訳ではない。ただ、壊れてもすぐ買い換えられるように、安いモノを買う、流行が去れば捨てて新しく流行っている服を買うというのは、現状の産業構造では環境負荷が大きすぎる。それならば、長く使えるように大切に扱ったり、すぐに不要になるモノは選ばない心がけをするべきだと思う。
今の消費社会は、自然資源の貴重さ・社会の静脈部分の認識がごっそり抜け落ちてしまっているように思えて仕方がない。
「何かを手に入れて自分の生活を彩ることを止める必要はない。」
大事なのは、あなたが手にしたモノをどれほど大切にできるかだと思う。そのためにはモノの背景を知っていたり、愛着のわく繋がりがあったり、壊れてしまったときに修理できる方法を身につけていたり、といったモノとの付き合い方を思い出さないといけないだろう。
江戸時代に倣って、わたしの理想のゴミゼロな世界案を書き残しておく。
これらを実現するためには以下のことが必要だと考える。
モノづくりの過程に、不透明な情報・好ましくない製作背景がある商品にお金を払い、その商品やサービスを応援するのか。はたまた、いちユーザーとしてこれからの改善・将来世代まで残って欲しいという思いを持って対価を払うのか。わたしたちは購買力によって、社会を変えられる。
作り手がモノづくりをする際に、使い手に渡ったあとのことまで考えてデザインする。使い手に育ててもらうようにデザインするのか、再資源化しやすいデザインにするのか、あらゆる面でどんなインパクトを残しうるのか。作り手には、怠惰な方向に傾斜しがちなユーザーの「欲望のエデュケーション」をする役目があるはず。この言葉はデザイナーの原研哉が2003年刊行の『デザインのデザイン』の著書の中で語られたものだ。
現状の社会には、この静脈部分が圧倒的に足りていない。ごみ箱へ捨てれば、あなたとモノの縁が切れてしまう。作り手の顔も、届けてくれた人も、最終処分してくれている業者とも誰とも繋がることがないだろう。見落としがちな静脈部分にスポットライトを当てることで、誰かと繋がることのできる新しい、もしくは忘れてしまっているサービスを構築したい。
これらをどう進めていくことが必要なのだろうか。購買力については、個人の意識改革が行われないといけないと感じている。私自身は自分の持つお金が世界を動かしてる!ほどの勢いで、購買力を意識するようにしている。また、身の回りにあるモノのデザインを未知化して自分ならどう作るだろうと考えたりもする。昔からある職人技や生活の知恵から学ぶものは大いにあると思い、自分の身体で学びながら、530の活動や日々の生活でアウトプットしていきたい。一般社団法人530は、企業とコラボして、捨てられてしまうものをもう一度商品化するアップサイクルという事業があり、私はその活動の一端を担いたい思いで手伝ってる。
そうして、今の社会に埋もれている「もったいない」資源やシステムが、ひとつずつ変えていくことで、いつの日か私的なゴミゼロの世界が実現すると信じています。
宮崎駿監督が、作業中に口にした言葉。「あぁ、面倒臭い。面倒臭えぞ。」と何度も何度も嘆いているなかで、ぽろっと発した言葉だ。
楽で便利でなにも考えずにすむモノに飛びついてしまう気持ちもよーーくよーーくわかる。でも、よりよい生活、よりよいモノづくりが生まれる土壌は、今生きているわたしやあなたの日々の選択にかかっているのではないか?
一夜にして理想の世界に変わっていればいいのに、、、そう思うこともしばしば。でもそんなことは起こらない(笑)だから、面倒くさいかもしれないけど、意識する。そして、この面倒くささは、生きていく上で大事なことなんだと。それは案外楽しいもんですよ!
三井住友フィナンシャルグループ, 江戸の暮らしに学ぶ、新しい循環型社会の在り方, https://www.smfg.co.jp/sustainability/report/topics/detail086.html
IDEA FOR GOOD,「日本文化に学ぶサステナビリティ」江戸時代の循環型社会から学ぶサーキュラーエドノミー 【イベントレポート】https://ideasforgood.jp/2020/08/17/circular-edonomy-1-report/
ecotopia, 理想的なエコ社会!江戸時代のリサイクル技術が素晴らしい, https://ecotopia.earth/article-213/