ある時、上司のマネジャーと、こんな話をしたことがある。 「お客さんが何を考えてるか、どうしたらわかるんですか?」 すると彼は、こういった。 「何言ってんの、僕だってわかんないよ。」 私がぽかんとしていたのだろう。 マネジャーは補足してくれた。 「要するに「自分は相手の気持ちがわかっていない」と認識するのが、第一歩。そうすると、何をするかっていうと、相手に確認するでしょ?「どのくらいで宿題できますか?」って聞くのも、その一つ。」 つまり、こういうことだった。 相手の気持ちがわからない、かつ、相手に配慮が必要なシーン では、細かく相手の意向を確認することが、「察する」ことにつながるのだ、と。 私はマネジャーに言った。 「全然「察して」ないじゃないですか。」 マネジャーはにやりと笑った。 「そうだよ。今頃気づいた?」 (略) 所詮は、「察する」という行為は、状況から推測される「仮説の提出」にすぎない。 それを検証するのは、あくまでも「質問。」 つまり、「人の気持ちがわかる」とは、「観察」⇒「仮説(察する)」⇒「質問」というサイクルを、早く回せているだけ、ということになる。
他人の気持ちを察せない人は、何が苦手なのか。 | Books&Apps



















