V-Synthデモ動画:瓢箪から駒、パロディからリアル
2025年のこと.
本社移転の話が出た時、「ならば有志で放課後に本社でライヴしよう!」ということになった.
当時の本社には、研究開発用にサウンド・ラボ (Sound Lab) という名の小ホールがあり、キャパ100人弱くらい、壁面にびっしり装備された物理的に動くルーバーによって、反響時間を最長2.6秒のロングリバーブからほぼデッドにまで、リアルかつ連続可変できた.
しかしやがてラボはミーティングや講演のためにも使われるようになり、かつての私もそこで海外マーケティング担当として大変なリソースをかけながら毎年新製品発表英語プレゼンをやった. 皆さんイベントやらはった事がおありならご理解いただけると思うんですけど、イベントのスタッフも出演者もアヒルの水かきですよね笑.
でも、それも今や昔.
そしてひょっとしたら本社移転後に取り壊されてしまうのかもしれないラボを、せめて最後だけでも本来の用途たるコンサートホールとして使って差し上げることで花道を飾ってあげようという、そんな心にくい有志企画が持ち上がった次第. そんな有志たちの呼びかけに応えて多くの社内バンドや社内ユニットやソロが登場することとなり、7月から年末にかけて就業時間後に数回行うこととなった.
職場でのイベントとはいえ、とどのつまり有志による余興なのでPAも全て自分たちでやり、機材設置も転換も全て出演者が手分けしてやる. ちなみに別に弊社製品に限らず、他社製品でもなんでもどんどん使ってok!
そこで私も同僚エンジニアと一緒に出演し、今となっては二十年以上前の博物館級に化石機材たるRoland V-SynthとEDIROL CG-8とで、これまた博物館級に化石な二人で、これも二十年以上前のaudiovisual市場への殴り込みプレゼン・デモのパロディをやろう、それも無闇に茶化さず楽しいながらにもきっちりメッセージあるものをやろうという事になった.
V-Synthをローンチしたのは2003年1月のナム・ショー. CG-8をローンチしたのは2005年4月のフランクフルト・ムジークメッセ.
当時どちらも私が海外マーケ担当としてローンチにたずさわり、しかも日本よりも先に海外でデビューするゆえ、私は今で言うグローバル・マーケの先駆けでもあった. そして一緒に出演してくれる同僚エンジニアは、CG-8を作ってくれた一味の生き残りたるベテラン技術者であった.
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伝えたいコアとなるメッセージは直ちに定まり、それに即してざっくりと音色が出来上がり、デモのアウトラインもなんとなぁく出来上がってきて、クロージングのパフォーマンスも最初のデモテイクができ、さぁこれから詳細をぐんぐん詰めながら練習していくぞという時、かねてから闘病していた親父が急逝してしまった. いくらなんでももうちょっと長生きすると目されていた.喪主は私.
かてて加えて残されたオカンの記憶障害が一気に進み、まさかの介護. あんだけ「これからは老人も自立する時代や.うちらは好き勝手するさかい、あんたも好きにしたらええ」と言ぅて憚らんかったのに. しかも介護を必要としている本人が介護を拒む.ツッコミどころ満載すぎてプロに任せたくとも、それすらままならない.
認知症とは、パニクらないための天然のフェイルセーフシステムである。しかも自分がおかしいという記憶が無い。ゆえに自分はプロの介護なんて要らんというわけ。
皆が言ぅてるのは、こういうことか. 初めて知る介護の真相.
それに、日本の法律では喪主がせんならん事が色々ある. これってほんまに政教分離なのか?
挙句、捨てられないオトンと片付けられないオカンという最強の組合せが生んだ、膨大極まりない遺品整理.卒倒しそうなくらい果てしない整理と処分、いや卒倒して済むならどんだけ幸せだろう.
喪主、 オカン介護、 お役所参り、お役所詣での数々、 エンドレスお家の整理あれこれ、 などなど、 毎朝起きたらもう直面. 本業は実家からフルリモートで対処.
結果的に3ヶ月半ほどずっと実家に詰めっぱなし. 当然、24時間関係なくランダムに突発事態が降って湧いてくるがゆえ、仕事にならんことも多々.上司や同僚に救出してもらう事が多々. 最初、前線の塹壕で仮眠をとる気分. それがやがて野戦病院くらいにはマシになり、かなり最後の方でようやく下宿くらいには文明的な生活を送れるようになってきた. それでもハーフセンチュリーをとっくに超えた身には、余計こたえる. そしてその3ヶ月半が終わっても、ずっと実家と自宅とを毎月往復する二重生活.
実家は京都にあるので、「京都に暮らせていいですね」などと言われる事がある.
でも実家にいても全く気が休まらず、押しつぶされる思いで夜半の繁華街を泣きながら漂流し、しかもどこにも立ち寄らずただただひたすら徘徊する. いや、話にならなすぎて泣くことすらできず、気持ちが漆黒の闇へ突き抜けてしまい、こころは豪雨でも顔は鉛のように冷たく重たく沈んだ無表情のまま、きらびやかな光と影とが織りなす微細かつ広大なタペストリーの中に埋もれ、明るく照らされては暗黒へと沈み、おびただしい群衆と雑踏のざわめきにまみれ、まぎれ、ダークな素粒子となってさまよい歩く.
本当にどうしようもなくなったら、まず私が逃げようと覚悟した. 私が倒れたら、家族全員が共倒れになる.オカンどころか家庭崩壊だ.だから、どんだけ卑怯と言われようが、まずは私が自分で自分を守らなければならない.
だから実家から逃げ出したかった. そして出演も中止しようと思った.
でも踏みとどまった. これは単なる余興だけではない.後輩たちへのエール.子どもたちを未来に置き去りにしないための処方箋.彼らが知りたがる、役に立つエピソードあれこれ.
だから、これだけは出演しておかないと、というので目の前にぶら下げた人参として最後の最後まで粘った. どうしてもダメなら断念する.いつ何時、またイミフなパニックに陥ったオカンが私を出前のように呼び出すかもしれん.そうなったら、その時はいさぎよくドタキャンする.どんだけ迷惑かけようが私が泥をかぶってドタキャンする.
でもそうでないなら、どこまでも押して押して押して押して出演する.
人間だから何度でも逡巡する. だが逡巡しながらでも、いつも最後にはそう決めた. そしてそれが私にとって唯一希望の北極星となった.
それに私のラボでのライヴは、メッセージとしては後輩たちへのエールと処方箋だが、フォーマットとしては過去の仕事へのパロディでもあった.
日本が単一の市場とするならば、海外は複数の市場である.それらを一手に引き受けて相手にするのが、私たちの仕事であった. グローバル・ビジネスの戦場、その記憶という硝煙反応が立ち込めるステージに、敢えて今度は私が自分個人の事情からよじ登り、そのフロアを両足で踏み締め、笑いと骨太な話と実演とで自由かつ理想のプレゼンを一席ぶってデモ演奏までする. 長生きするもんですねぇ笑.
出演の前夜、弾丸で実家から自宅へ舞い戻り、翌日の夜ぶっつけ本番. そしてそのさらに翌日、とっとと自宅から実家へと出向いてゆき、しんどい日常へ再び頭からダイビング.
でもお蔭様で本当に大盛況、素晴らしく大好評となった. 特に新人や若手たちから口々に感動の言葉をいただいた. 未来の主役となる彼らから、そんなポジティヴな本音をいただけるなんて、やって良かった、ほんとうに良かった!
V-Synthは、とかく様式美へと収束したがる既存への、アンチテーゼであり異議申し立てであった. CG-8は映像を演奏する楽器という、新規の提案であった.
二十年以上前に、ここまで完成度の高いデモが提示できていれば良かったね.当時の海外マーケ担当マネージャー、不肖わたくし失格ですな. まぁ今だからこそ言えることではあり、火の玉のような議論を真紅に白熱させた日々も、今なら距離で持って冷静に振り返られる. それら全てが今、改めて語りかけてくる意味・意義とは何か? しっかり当時の担当として答を出し、余興なりにしっかり社内に向けて申し上げた.
それに、何もかも皆懐かしい、とは言わへんで. まだまだ. 言わない言えない言える段階にあらへん. まだまだこれから. まだまだ序の口. シンセも電子楽器もやり残していることだらけ. We Design the Futureに終わりはない. 未来を志すものは永遠に未完なのだ.
正直、京都には帰りたくなかった、っていうかこれも終わりなき実家のことさえ無ければ、京都は素晴らしいところなのに.
でも仕方ない.
しんどすぎて新幹線の中で、自宅へ向かっているのか実家へ向かっているのか、分からなくなって混乱すらしてしまう始末.
でも仕方ない. だから余興とはいえラボでライヴができたことは、そしてそこに後輩たちへの未来へのメッセージが出来たことは、そのことだけでも、とてつもない成果でもあった.
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そのころ、同時進行していた仕事に、日本国内ユーザー向けのメルマガ制作と編集とを側面支援するというのがあった. 菊本忠男氏へインタヴューして連載するにあたり、特別に支援してほしいというので、流石に私にも召集がかかったのである.
なんせレジェンダリー・エンジニア菊本忠男氏、仰ることが難解極まりなく読み解くのも苦労するので、私のような窓際の古参が卑弥呼の弟よろしく通訳しないといけないことが鬼のようにあるわけで.
そんな中、私が放課後にラボでやったライヴの記録動画を見られた菊本さんが、この演奏は素晴らしい出来栄えなので是非ともなんらかの形で広めてほしい、と仰った. それにどのみちV-Synth自体が前例ないくらいぶっ飛んだシンセゆえ、メルマガ連動企画として、読者用に簡潔かつ分かりやすくまとめたデモ動画を、新規に撮影することとなった.
しかも菊本さんに呼ばれるままにご自宅を訪問した時、菊本さんは私の私物V-Synthにサインをして下さったばかりか、さらにその場でのご自身の発案でObject Synthという言葉まで書いてくださった. かつて菊本さんとは色々と生意気にも激しい議論を幾度もしたこともあるだけに、これはもう無双の家宝.
V-Synthを生んだ技術パラダイム解説は、メルマガにおける菊本さんへのインタビュー記事に詳しい. だがマーケ含めたトータルな背景話は、それとはまた別に存在する. そんなことを色々さまざまに思い出しながら、社外向けの短い動画にぎゅっとまとまるよう考えて、デモを組み立ててみた.
これもまた実家の事があったのでなかなかスケジューリングできなかったのだが、皆さんに粘り強く待っていただいたお蔭でついに具現化できる運びとなったのが、2026年の春.
昨年旧本社のラボで社内向け余興として構築したデモが、年が明けて新本社の撮影室にて社外向けコンテンツへと生まれ変わって収録されたという点でも、いい感じに対をなす、ささやかながら歴史の節目を象徴するようなポイントであろう.
というわけで、瓢箪から駒とでもいうのか、パロディからリアルかつシリアスなお仕事へ、その成果が、これです↓
メルマガ「ローランドの楽屋にて」で紹介したV-Synthを当時のマーケティング担当に演奏してもらった動画です。▼V-Synth製品情報(販売完了)⏬https://www.roland.com/jp/products/v-synth/▼メルマガ登録⏬https://www.rol
おおきに、ありがとうございました. 僕の定年は近いけど、まだまだ未来に終わりはありません♬
*ところでnemosynthは、あくまで私の個人プロジェクトです.言うまでもなく、全て発信内容は私という個人の見解であり所属を代表しません. なので、このブログ記事に関する問合せは、所属先ではなく、私個人あてにして下さいますよう、お願いね.








