注目すべきは、科学者はたまたま自分の脳裡をよぎったものを次から次へと試してみるだけで発見に思い至る、という広く受け容れられた見解があることだ。こうした見解が出てくるのは、隠された真実の接近を予期する人間の能力を認識することができないからである。科学者の推測や虫の知らせは、探究するための拍車であり指針なのだ。その賭け金は高く、したがって勝ったときの見返りは魅力的だが、負けた場合のリスクも大きい。はずれた推測で失われる時間と金、威信と自信は、たちまち科学者の勇気と地位を枯渇させてしまうだろう。科学者の模索は気の重い決断なのである。
こうしたことが科学的探求の過程でなされる責任ある選択である。その選択は科学者によってなされる。つまりそれは科学者の行為なのである。しかし彼が追求するものは彼の創意によるものではない。彼の行為は、彼が発見しようとしている隠れた実在による影響を受けるのだ。科学者は問題を洞察し、それに囚われ続けて、ついには発見へと飛躍するのだが、それらはすべて、始まりから終わりまで、外界の対象からの恩義を被っているのだ。したがって、こうしたきわめて個人的な行為においては、我意が存在する余地はまったくない。独創性は、あらゆる段階で、人間精神内の真実を増進させるという責任感によって支配されている。その自由とは完全なる奉仕のことなのだ。