よく人の処理をせざるを得ないこの業界では"掃除"をする人間が余るほどいる。可燃塵の収集に追われる者は安月給で苦労するが、こちら側の人間はオレでも正直引くくらい高給取りが多い。平等とはなんなのか、世間に訴えかける気力はない。そういう仕組みで世界は狂いなく動いているのだから。そう、そのおかしな運動に沿ってすきなものだけ口に運び、きらいなものは他者へ譲った。欲する者が別にいたからだ。好物では得られない栄養の偏りについては別のすきなもので満たし、それでもだめならサプリメントへと手を伸ばす。咎められようと、へらへら笑っているだけでよかった。勿論食べ物に限った話ではなく、生活の軸がそこにある。こころの栄養が豊かになるものだけを摂取した。無理はしない、怒りや哀しみはすべて放棄した……筈、だったのに。
「全ッ然思いませーん」
「やっぱりさあ、セーリゲンショーの知識がないと生き辛いよね~」
「そんなことないもんネー」
「こうやってハチのこと見てるだけでさぁ、胸がきゅ~んってするんだよね」
「あれ?ねぇ、聞こえてますか~」
「今はこうして対面してるから五感を通じてハチを感じられるけどさぁ、家とかひとりでいるとき?まじでしんどい」
「もしもぉし」
「ハチも同じきもちだよね?ねっ?」
「なぁんも聞く気ないデショ」
それを良しとしない彼、セオドアは今日も下半身の管理棟が機能していなかった。理性スイッチが爆破されると翌日の朝まで野性的本能を振りかざし情事にもつれ込む彼は今宵も例の如く、何に盛るでもなく就寝直前のオレの上に跨り首元を緩め直下に熱いまなざしを向けていた。微かにハンドソープの香りがしたからきっと手洗いと嗽は済んでいるのだと思う。それならまだいい。以前は酷いもので血塗れのまま誰の目も気にせず部屋を汚した小学十七年生がここまでになるとは。
「テディ、返して。手袋がホームシックになってる」
「だーめっ!」
「アー助ケテ~!オ家ニ帰リタイノーだって」
「俺だってハチの言うこと聴いてちゃんと手洗ってるしうがいもしてるのになんでハチは俺の言うこと聴いてくれないの?あーあ、手洗うのやめちゃおっかなあ……」
「……これとそれとじゃ平等性がないじゃん」
「あるある!ハチは俺の手が綺麗だときもちいいでしょ?俺もハチにきもちよくして欲しいもん。ほらね?」
これで平等だよ。と現役の幼稚園児は得意ないたずらを仕掛けるこどもの様に顔いっぱい弧を描いた。爽快感と性的快感の区別もつけられない彼の知能は稚いだけでは済まされない。いくつだよ、言ってみろ。そう問いかけて返ってきた数字は二十三だった。世界は想像を超える惨事を招いている。かみさまの瞬きが長すぎるのかもしれない。ウェイクアップ、ジーザス。
「俺、今日はハチが何と言おうとヤるまで絶対帰らないから」
砦を前に攻めあぐねていると彼がおもむろに外套を放り投げバックルに手をかけていた。オレのこころの準備が整っていないのをいいことにちょっと待ってねと微笑んでいる。白い悪魔の返品先はアマゾンでいいのか。大いなる神よ、急ぎ目を開け給え。
「――わかったヨ、ハニー。ルールを創ろう」
「ルール?」
「最後までしない。がまんできなくなったら一ヶ月えっち禁止」
「なにそれ、あたらしい拷問?」
「それとも今日はおやすみなさいする?選んでいいヨ」
ひくりとセオドアの端正な眉が跳ねたのを目視して、オレはそれでもよければという意味で肩をすくませた。彼は普段の奔放さが仇となったか、がまんに滅法よわく、度々あの手この手を潜り抜けオレに牙を向けてきた。それを制するにはまず約束事をとりつける必要があったのだと気付いたのは彼がローション地獄風呂を作った翌日の昼間だった。あの惨劇は二度と繰り返してはならないと思っている。
「――いいよ、受けて立つ」
「うそって言って」
「おとこに二言はないって言うでしょ?その代わり、ハチこそ勝手に挿入ってきたらゆるさないから」
「んなことしないよばーか」
マスク越しのキスを合図にふざけたゲームがはじまった。上体を起こしたオレがサイドデスクのあかりを点けるとオレンジ色にひかる白銀が同じ色の睫毛を光らせていた。どんな教えが説かれるのか、不安で鼓動がはやくなった。考えを巡らせたのかセオドアはオレの手の血管一本一本を見定めるが如く視姦したあと、触って、と自身の右手を差し出した。
あたかも譲歩しているように言っているが、初手がミッションインポッシブルというやつだ。オレとしては彼の乳首をシャツ越しに触る方がずっとずっと気楽にやれただろうし、なんなら下着越しにふくらみに触れた方がもっともっとマシだった。まさかの指。いきなり王手をかけられた。素人相手に一発目からクイーンを獲るつもりなのかと怯える。傍からみたらポーンだろうが、オレにとってはポーンが化けた後のクイーン。
たかが指、されど指だ。
「……やっぱり、やだ」
「えー、一番表面積少ないとこなのに」
「だって、テディが汚れるの…やだ」
「汚れないよ。ハチの手は手袋なんかつけなくていいくらいきれいだよ」
「皮膚ガサガサしてるし……たくさんばいきんがついてる」
「いいよ、ガサガサしてても」
「よくない……」
「ねぇ――汚していいよ、ハチ」
ピアスの穴がセオドアの声でじくりと疼いた。色を孕んだしろくまの声は夜を渡るに相応しく、欲を押し殺した鈴音はオレのこころにストンと落ちた。いいのか?いいや、よくない、触れていい筈がない。普段から過剰に洗っている手はもう誰の目から見てもボロボロだった。橙色の燈火に照らされようが、美しくないのはありありと物語っている。動かす気のない手先が恥ずかしくて前を向きなおせなかった。すると月長石色の髪の毛が頬を撫ぜ、耳元に彼の口があることに気付いた。
透き通った声が鼓膜を通して脳を揺すったが早いか、オレは自分の意思とは遠いところでそっと指をを動かし、三寸先の彼の小指に触れた。
お世辞にもそれは女物のようだとは言えず、関節部分で強調される骨のカーブはどちらかと言うとオレのものに似ていた。しかしそれを細長く綺麗だと形容したくなるのは肌の白さとかたちの良さからだろうか。長い爪を覆う漆はあまりの美しさにその辺をうろついている女子供が挙って憧れの溜息を漏らすだろうと容易に想像できた。そんな羨望の眼差しを向けられるであろう象徴の先端にオレは今、さわっている。整えられた爪先のカーブがやわらかい肌と対比を成すように息衝いていた。肉と爪の間の薄い隙間から毒を流し込んでいる気分だった。
「やだ、テディもうやめる」
「上手にできてるよーけっこいイケんじゃん。そのまま握ってごらん」
「むり」
「ふふっ、できてるよ?」
俄かにも信じがたい光景だった。これ以上セオドアが汚れたらオレはきっと罪悪感でどうにかなってしまうだろうとさえ思った。これ以上は、というところであかちゃん指を解放しそのまま大罪を抱えた手はシーツを握り締めた。
「……っ」
「きもちわるくなっちゃった?」
「……ほそくてすべすべしてる、」
「うん」
「テディのゆび」
「……?」
「もっと、さわりたい」
言い切るより先にセオドアはオレを抱きしめて悪魔の様な甘い声で呟いた。
未だ知らぬ母親は、この男よりもオレを愛していただろうか。
頭を撫ぜながらオレの鼓膜いっぱいに蕩ける愛を注ぎ込むセオドアは器用な唇でオレのマスクの紐を外して見せた。そのまま頭を撫ぜていた手がゆっくりと頬に降り、肌蹴た繊維をベッドサイドに落とした。オレは興奮と緊張で上手く呼吸をすることができず、何度目かわからないセオドアからのキスで余計に頭の中が掻き乱された。上唇をやわらかく食み、下唇をすこし吸われた。その際すこし開いたオレの口に筋肉の突起物が侵入し、同じものを求めてちいさく暴れた。挨拶程度に舌先を泳がせたが最後、やさしく全体をなぞられた。繋がった口の中で絡み合う舌は目で見えない分、想像で補う他なかった為、真っ赤なハニーのものを想うと強い興奮を憶えた。
その糸を断ち切るかのようにセオドアはオレの手を包み、細長い指をオレのとゆっくり擦り合わせ、そのままやんわりと握った。不測の事態にからだが強張る。振り払おうとすると途端に縫い付けるようなつよい力で枕に沈められた。てのひらがかたく結ばれてセオドアの長い指がオレの手の甲をするりと滑った。
「ッ、セオドア!はなっ、」
「ねえ、どうしよ……がまんできないかも」
「冗談キッツイ」
「あはは、ハチも人のこと言えないよね」
「放してって言ってっしょや…ッ」
あろうことかセオドアはオレの股間に収まりの良い膝小僧をあててぐりぐりと息子に激励を与えはじめた。共犯者に仕立て上げるつもりなのだろうが、残念なことにセオドアの力借りずして、オレのものはすでに脹らみを主張していた。それに気分を好くした幼子はやっとの思いで手を解放したのも束の間、スラックスに手をかけ勢いよく引き抜いた。誰が脱がせと言った。唇を噛んだが、いつも愛らしいポメラニアンを想わせる彼が皐月を迎えたくまの様な表情で己のボトムスを薙ぎ払っていた。正常な呼吸を取り戻したオレはとんでもない駆け引きをしていることを自覚した。
「ほら、ね。苦しそうだよ、ハチ。俺も苦しいの……一緒だね」
「はっ、一緒にしないで」
「じゃあおそろいにしてあげる」
意地でも変えてやるものか。中指を立てて訴えたが、万全を整える為に覆っていた手はセオドアに奪われ、そのまま彼の口内へと誘われた。まさか、と抗議の声を上げるにはとても遅くガサガサのおかあさん指とおにいさん指が無色透明の液体でセオドアの色に染められていた。
歪な形を整えるように丹念に舐めあげられ、指の付け根からその先を往復する彼の唇はついさっきまでオレと深い口付けを交わしていた時のものと違って見えた。予測できない動きを繰り返す彼の荒淫でオレの利き腕は指先に留まらず、肩胛骨の辺りまで痙攣を起こした。
口から解放された頃には皮膚はしわくちゃになるほど、どろどろになっていた。
「きもちい?」
「……きもちくて、吐きそう」
「ほんと?じゃあ、俺にもシて」
エンジェルシリカが妖艶な吐息の影で鈍くひかって蜜柑色の灯に隠れた。存在感を消していたランプがちかちかと寿命を告白していたのがいけなかったか、一瞬の暗闇の中、オレは自ら彼の手を咥えたように感じた。正しくはとても乱暴な誰かの右手がぬるりと忍びこんできたのだと思いたい。
「せお、きた……っ!」
「汚くない。ハチのおくちは綺麗だよー。ね、だからいっぱい舐めて。いっぱい湿らせて。ね、ハニーからの一生のおねがい」
何度目の生涯を彼と共にしただろうか。百万回生きたねこでも遠慮を覚えるであろうに、目の前の白いうさぎときたら希う強行突破を目論んだのだろう。お義父さん指とお義母さん指でオレの舌を挟んで、そのまま指の腹で撫ぜあげた。人はこれを恐喝と言う。一生のおねがいを使う彼に背けば次に出るのはナイフか玩具なので大人しくサイコパスのてのひらを小さく舐めた。
そのままお義姉さん指を招き入れ、腹と背を交互に舐めていると堪え性のないお義兄さん指が粘膜を割って侵入を果たした。じゅぶり、水音がはしたない聲を響かせてセオドアの羞恥を煽った。味を占めたのか熱い吐息を漏らした彼は再びオレの手を口にし、同じようにしてみせた。
「はっ、あっ…ハチ……これ、やっばい」
「ん……」
「なんで、指じゃん…っ、ふぁ…やぁだ……ハチ、ねぇ……したいよ、ねぇっ」
「今日ヤるなら、イッカゲツ、がまんだよ……?」
「そんなの俺死んじゃ、あ!」
昼夜問わず人に紛れて人を殺すアサシンが余剰の裕をかなぐり捨て目元を滲ませる光景は最高だった。まっしろなかんばせが熱を帯び、こころよさ求める無様なままがいとおしかった。こうなるとオレはもうたまらなくなって、穢れだとかセオドアが汚れることだとかへの配慮のこころざしがぐちゃぐちゃに蹴散らかされてしまった。
加虐的な精神が突如芽生えて、いやいやと首を振るセオドアの下着に指をかけた。本当は自分で脱いで欲しいけれど、今はオレがこうしないといけない気がした。
「待ってハチ、そんな……がまんできなくなっちゃう」
「オレは別にいいヨ」
「人でなし!」
「どの口が仰せで」
セオドアの唾液に塗れたオレの手はセオドアの中心にそうっと触れた。可能な限りやさしくしたつもりだったのだが、びくりと背を反る彼は声にならない悲鳴を上げていた。ぬるり、と粘着質な手をゆっくり上下させると行き場を失った彼の腕がオレの首を周り、抱きしめるかたちで快楽の終着点を探し求めていた。
「~――っ、ハチ…!ゆっくりしないで…っ」
「……こう?」
「あっ、ぁ……あソレ、いいっ…きもち、あっ、すき…すきっ」
「ははっ……テディ、きもちよさそ」
「ハチも」
「やだ……オレ、セオドアのことまだずっとこうしてたい…」
「狡いっ…!」
「テオ、だめ?」
「っひ、ぁ」
「テオドール」
底無しの湖に溺れていくセオドアに無機質な呪いをかけた。神から与えられた宝玉が、どうか満足の行く最果てに辿り着けますように、と。あかずきんちゃんだって狼の腹に石を詰める御時世だ。これぐらいの悪ふざけはゆるされるだろう算段を踏んでいたがオレの背中はシャツ越しにかたいものを突き立てられた。それはなにか、漆を纏った彼の爪である。肉のえぐれる感触を味わい、追って唾液とは似ても似つかない染みを感じた。鉄の臭いもしないほど、ちいさな爪痕だった。
荒々しい呼吸を繰り返すセオドアはゆっくりとオレから離れると、御自慢の黒シャツに白濁を飾っていた。まさか。そのまさかだった。いやはや、名を呼んだだけで達するとは予想外。
「…はーっ……やってくれるよね、ほんっと……俺のダーリンはさあ」
「きもちヨくなかった?」
「ちがうってば、その逆――もっと、したくなっちゃった」
してやられたと憎んでいるのか、殺意がありありと浮かぶ笑顔でオレの唇に噛みつくうさぎは脅し文句とローションボトルを突き立てた。一ヶ月ルールを口にすると大道芸人よりキレのあるナイフ投げを見事にキメてみせた。おい、今それどこから出した。一瞬の破裂音と羽毛の舞いで気に入っていた枕が犠牲になってくれたことを知る。
オレの蟀谷のおとなりに引っ越してきたシェリーさんは猟奇的なイケメンナイフソムリエがいちばん切れ味の良い子だと絶賛していたのを覚えている。ねぇねぇちょっと、まじなやつじゃん。
「風呂入って寝」
「Excuse me?」
「………強いて言うなら、抱きたいデス」
「Nein! わんわんハチ公、にゃんにゃんにしてあげる」
「Are you kidding me?」
「I'm telling you the truth!」
殺してあげると笑う彼は暗殺者。耳の中に舌先を捻じ込まれ、鼓膜いっぱいの愛撫にオレは意識を失った。所詮、勝ち目などはないのだけれどそれでもまだ人権くらいは保ちたいと思う。
(Alles Gute zum Geburtstag, Theodore Edelstein)