マウンテンクリークハウスと開高健さんの”だった”ラパラ
4ヶ月以上ブログを書いていなかったんですね。去年は渓流のネタを結構貯めたのに、コロナ禍でステイホームな時間はあったはずなのに、途中まで書いてた記事がいくつかあるのに、”のにのに”でここまで来てしまいました。
先日ツイッターで「ラパラ解体新書」という本についてツイートしたんですが、付き合いは長いものの別にご存知の通り僕が根っからのラパラ狂かというとそうではなく、正直なところ日本のフィールドでは既にラパラではないチョイスで突き詰めたものが多かったりで出番は少なめ。しかし知れば知るほど「この釣りやあの釣りで違う出会い方をしていたら、ラパラの***を投げていただろうな」と思うのがラパラ。初めて行く場所、特に海外遠征なんかのある意味「ぶっつけ本番」なシチュエーションで自信を持って投げられるルアーとして外せないのが、何より信頼をおける証拠かもしれません。その理由とかはまた機会があるときにお話しするとして、前置きが長くなったけど今回書こうと思ったのは、そんな経緯があって思い出したあるスーパーシャッドラップの話。
2年ぐらい前だったかな?解禁間もなくの銀山湖(奥只見湖)へボートフィッシングへ出掛けたことがあって、結局この時の釣行以来銀山湖には行っていないのだけど、その時立ち寄った釣具屋さんがマウンテンクリークハウスというお店。たまたま寄ったのか、運転していた菅井さんがその店を知っていて連れていってくれたのか覚えていない。なぜかどれも安くなっていて興奮気味にミノーやスプーンを選びながら店内を歩くと、すぐにこの店とオーナーが開高健氏(以下開高さん)と縁があるのがすぐに分かった。タイメンの剥製や開高さんの写真がたくさん飾ってあったのだ。
オーナーの名前は五十嵐明朗さん。いろいろな釣りの話をしてくれた。そして開高さんの話から彼との釣行の話に、常見忠とスプーンの話。僕は勉強不足で常見さんについては存じ上げていなかったのだが、菅井さんは「へぇ!」とか「そうなんですか!」と嬉しそうに驚嘆の声をあげていた。そのうち僕たちはオーナーの体調が思わしくなく、お店を近々閉めるつもりでいることを聞かされた。すると菅井さんがダメ元で聞くんだけど、、、と前置いて、ラパラの大きなディスプレイを譲ってくれないかと聞くと五十嵐さんは深く考えることなくいいよと答えていた。いくらっだたか覚えてないけど、安かった。菅井さんは俺がずっと大事に飾るよと言いながら、なんか色々買っていた。
僕はその時あまりディスプレイとか開高さんの写真や色紙(?)にはあまり興味を示さず、この前の年に訪れたモンゴルに関係していそうなタイメンの剥製や写真、あとは飾ってあったナイフが気になっていて、それを譲ってもらった。刃にヤマメの絵が彫られていて一目惚れした、可愛くて良く切れるナイフ。その時レジ横に結構雑に飾ってあったシルアーが、先に説明したスーパーシャッドラップだった。アイルランドと書いてあるちょっと黄ばんだリップとなんか古そうだなと感じる渋めのカラー。あまり深く考えず、珍しいわけではないけど探すと意外とお気に入りが見つからないルアーなので「マスターこれもください」と聞くと、五十嵐さんは「それ開高さんのだったんだよね」と言った。だったって何?笑
昔、銀山の大イワナと言う言葉が釣り人に知られはじめた頃、五十嵐さんは開高さんと一緒にイワナ釣りに出掛けた。この頃開高さんや常見さんが新潟に来るという時には必ずと言っていいほど五十嵐さんに連絡が来たそうだ。その日はとにかく開高さんは釣れずにイライラしていて、それを横目に五十嵐さんが何本もイワナを釣り、後で食べるためにストリンガーに繋いでいたらしいのだけど、突然開高さんがそのイワナたちを全部放してしまったと言う。一緒に釣りをする友人の釣果に腹を立てて、しまいにはキレて魚を逃がす。なんてひどいエピソードだろうか。幸運なことに僕の周りにそんなひどい釣り仲間はいないのだが、その後の話が憎めない。開高さんはしょぼんとしながら五十嵐さんに「ごめんね、お詫びに好きなルアーを一つ選んでいいよ」と言ったらしい。なんじゃそりゃ(笑)でもなんだかその話を聞いた時、不思議と前より開高さんを好きになったというか、子供のような釣り好きな一面に惹かれた気がした。そして五十嵐さんが選んだシャッドラップは今は僕の机の上で、キラキラした目でこちらを見ている。当時はさぞ珍しかったろうなと思う。
ドンピシャの世代ではない僕は開高さんに先生はつけないし、彼の本も何冊かかじる程度だけれど、数少ない「本気で遊んだ釣り人」として認識している。キャンプに持って行くのはサントリーオールドだし、無意識に開高さんの名言みたいなのが結構よく浮かんでくる。”抱け、抱かれろ”とか、大体釣り関係ないんだけどね。
あの日、まるで今でいうところのディスるような口ぶりで偉大な故人達の話を楽しそうにする五十嵐さんから、なんだか寂しさとか愛情とか友情とか、色々な思いが感じられた気がした。確か去年にもなんとなくこのRapala SSR-14のことを書こうかなと思って少しネットで調べた時に、マウンテンクリークハウスは既に閉業していることを知り、実はその時に他の方のブログでこんな記事を見つけた。
開高さんは彼(五十嵐さん)に「今度は君をロシアに釣れて行くからな……常見君には黙っていろよ」と約束し、1989年12月9日に他界しましたが、五十嵐さんは翌夏の遠征に備えて何と「タイメン」と命名したスピニング・ロッドを特注で製造していたのです。
(釣りG(爺)メン千釣万魚より)
正直このシャッドラップの経緯そのものにそこまでこだわりはなかったし、むしろ今度タイメン釣る時に投げよ!ぐらいの気持ちでいたのだけど、もしかしたらもしかしたら2人のロシア釣行でこいつが投げられていたかもしれないと思うと、ちょっと投げるのが憚れる。ルアーは道具であり魚を釣ってナンボだけど一つぐらい、時々そんなストーリーを考えさせてくれるルアーがあってもいいじゃないか。そんな大切なルアーを初めてお店に遊びに行った僕なんかに譲ってくれたマスターには本当に感謝しかないです。
ありがとう、大切にします。
I hope three of you will go fishing together, to catch a big Taimen, one day.