はいはい、正しい正しい
自分の偏った見方で申し訳ないのですが、今の欧州のポピュラー音楽の音源制作では、どうも一部に “ちゃんと” させない美学があると言いますか、ワザと崩れた音にして仕上げる文化があるような気がするのです。例えば、2mix をマスターコンプに深く入れてしまうのは、それは良いとして、欧州の音源は無造作に、そのまま深く入れてしまったかのような音になっているケースは、意外と多い気がするのですけども。
世界のプロエンジニアたちのプライベート・スタジオの訪問動画などで紹介されているスタジオで制作された音を追ってみても、特に欧州のヴィンテージ卓を導入しているスタジオで制作されたアルバムの音は、自分が今、ヴィンテージの機材を使って作る音とはだいぶ違う印象の音が多いです。片やプロの仕事、片や素人のお遊びなので、そりゃ違って当たり前ですよ、という話で終わりそうなのですが、むしろ逆かもしれません。贅沢なヴィンテージ Neve 卓で制作された音源の、なんとモケモケした音で聞こえていることか、と言いますか。ただし、あれを技術不足の文脈で捉えるのは、やはり違うと思うのです。
色々考えると、もちろん穿った見方は百も承知で、これは世界が夢見たグローバリズムが失敗に終わった影響なんかがあるのではないのか?と。というか、そう考えると自分で腑に落ちるものが出てくるというだけなのですが。
その昔に「正しい」事を皆んなが守ったのは、それが弱い立場の人間を守ることを可能にしたからです。でも、「努力しなさい」「透明性を持ちなさい」「他者に配慮しなさい」などの一つ一つを全部うまく使えるのは、結局、文化資本、才能、学閥などのインナーサークル資本を環境として持てる人たちだけ、という現実を示したのが90年代以降のグローバリズムではあったでしょう。恵まれない人たちが努力、透明性、他者への配慮などを実現させても、何も起こらなかったばかりか、格差ばかりが開いていったのが、90年代以降の世界で起きていた現実ではあります。つまり、それが社会の実態として、音楽にもその影響を及ぼしていたとして、何ら不思議はないのではと。
英国を例に出してみると、元々英国は階級格差の社会でしたので、一般の間である種の「正しい」ことに対する忌避感が、深く根付いていたというのはあったと思います。なので、音楽ではエンジニアリングに限らず、内容そのものにおいてもそういう傾向が、昔から見られたと思います。Weather Report も Mahavishnu Orchestra、果ては英国出身の Brand X ですら、70年代当時でも一般からは「エリートの音楽」と見なされ、カルト的なコミュニティーでしか居場所がなかったと言われています。同じ時代に北米ではジャズフュージョン専用チャートがあり、そのマーケットが形成されていた頃に、英国はパンク、ニューウェイブで盛り上がったのですよね。
現在、英国のフュージョンシーンでは Moses Boyd というドラマーが大スターとして君臨しているそうですが、Moses Boyd は英国では技巧派で通っているそうです。日本で技巧派ドラマーと言えば、Mark Guiliana であったり Brian Blade のような人たちの名前が真っ先に上がったりするのでしょうが、その人たちの演奏と比べると Moses Boyd の演奏は、まあまあのカルチャーショックになるかもしれません。日本で技巧派と評価される軸とは、かなり別の軸で評価されていると見るべきだと思います。
Mark Guiliana や Brian Blade らの演奏を技巧派と認識してきた自分ら旧タイプの人間ができることは、英国社会の感情が出したジャズフュージョン文化への回答が Moses Boyd であると理解することくらいなのかもしれません。これは、英国の文化と深く関わる部分なので、安易な評価をするべきでないと思われますし、逆に、Moses Boyd こそが、崩れ行く20世紀の価値観の先にあるものを示しているのかもしれません。
結局、今見える景色を眺めていると、もはや「正しい」音楽なんてないんですよ、と言うのが良さそうなのです。社会にある善悪そのものが、今やコストや支持数のような “変数” の下に置かれるのがデフォルトです。その流れで、音楽機材の選び方、使い方一つでも、「ちゃんと」していることを追い求めて、例えばモケモケした音を「けしからん」というセンスのままやっていても、もう外の世界で共感してもらえることもなさそうという。世界の音楽制作は、とっくにそういう状況に適応していると思うのです。
少なくとも、今は社会の中で居場所を見つけられない音楽は無価値に等しい、というルールを人間に課してくる、厳しい厳しいネット環境で活動するしかなかったりします。自分も、それに適応するための変化と向き合うしかないのでしょう。ただ、自分は年老いた凡人ですから。若い頃の気分のまま、自分は “ショートカット” を決められる人間なのだ、という勘違いはナシにして、複雑な迷路を丁寧に読み解いていくことで突破を試みるのみであります。












