いつも以上にこのタイトルの文で書かなければならないと思い、パソコンを開きハイボールを飲みながら書いている。
なぜ、このタイトルで文章を書いているかというと昨日の夜の出来事をきっかけに私の記憶が正しければ人生で初めて20分以上の電話をした。
その出来事というのは、母親と喧嘩してもう一緒の空気も吸いたくないしここにいても私が辛いだけだと思い、脅し文句と同時に家を飛び出したのだ。
25歳の私が家を出てもそこまで大きい問題にならないかと思ったら、まさかの父親、実家を出ている兄、そしてその兄と暮らしている3〜4コ下の兄の彼女からとんでもない量の連絡が来ていた。
でも私は誰とも連絡したくなかったし、充電がギリギリだったため電源を切っていたからその夜中に誰とも連絡を取らず私は夜を酔っ払いながらどうにか過ごしていた。結果朝の3時くらいには家に着き、家の鍵をある場所に隠されてることを知らずに開けてもらうまで家の前まで半袖で寝た。もういい加減風邪を引きそうだと思ったタイミングでインターホンを押し、鍵の場所を教えてもらい家に入ることができた。今日はテレワークでよかった。始業時間ギリギリまで寝てどうにか仕事は行うことができた。
そしてさっき、兄から電話がかかってきて、からかって私の昨日の話を言って来るのかなと思ったらまさかの兄ならではの目線でのアドバイスと共に、しっかり”心配した”、”お前がそうしたいならお前の援護射撃はするから”と自分の予想を上回る反応が返ってきた。兄から私のことを心配したなんて嘘でも出て来るなんて本当に思わなかった。びっくりしたし、その一言で少し涙出そうになった。
それは、兄と私は10歳離れている。歳の差があるからこそ喧嘩も一度もしたことないし、世の中の兄妹のような2人でお出かけしたり、なんでも言い合える関係性ではないから。しかも昭和と平成の間の年代に生まれ、キラキラした平成初期に過ごし、親から厳しく、自分の意思とは反したような教育方針の下で生きてきた兄と一家の”長女”として、妹として、少し両親的に方向性が変わった私への教育方針や育て方の違いがすごく見える私の生き方の差があった。それがあったからかお互いの気持ちを持ってちゃんと話すようになったのは20歳を超えてお酒が飲めるようになり話す内容に私が追いつけてきてから。
今でもだし、私が兄と話す内容に追いつく年齢になるまで互いで干渉しない関係性だった。ただ、お酒を飲みながらいろんな話ができるようになって、主に映画や音楽というお互いの好きなものに関して、同じような見方、感想、好きなジャンルやアーティストでお互いバイトから帰ってきた11時くらいから朝の3時くらいまで話をして、なぜ同い年でこういう男友達がいないんだろうと思うくらい楽しくなった。だからと言って、互いの問題に関して干渉しないし頼まれたらどうにか助けるみたいな関係性だった。
過去にも、親と喧嘩して家を飛び出し誰とも連絡を取らずどうにか過ごしてきた夜はあった。だから、私自身ここまで大きい問題になると思わなかった。そしたら昨日の夜、25歳にして両親、兄、兄の彼女からの怒涛の着信、どこにいるんだというような内容の鬼のライン。そして今日の兄からの電話。本当にびっくりした。
「どうしたの、何をしてたの、心配したんだよ」と、兄から言われる日が来るとは本当に思わなかった。今までは干渉してこなかったのに、特に互いのパーソナルな話に深入りしない関係性だったのに私の答えを聞くために電話をかけてくれた。30分くらい話した電話は切り方もぎこちなく、変な感じだったけど兄目線で出してくれるアドバイス、家に来るなり頼ってくれるなりしてくれてもいいんだよというような言葉。こんな改めてちゃんと「ありがとう」と言ったのは何年振りなんだろうと思うような気持ち。いろんなことを考えながら電話した30分だった。
ひいてたけど病院に行ったら自分が診断の結果、「インフル」だと診断され逆に気持ちが沈んだり、診断さえてからの私が悪い方に動いてしまう気がして病院には行けなかった。(かといって、人が精神科に行くことに対して悪いことなんて何も思わないしそれで救われる人がいるならみんな行くべきだと思っているけど私自身で行くか行かないかとなった時には私がとんでもない動きをする想像ができたので病院には行けなかった、診断されたくなかった)
朝が起きれない、気持ち悪くなる、鬱屈した状態が続き、ほぼ毎日「死にたい」気持ちが生まれる、ともはや鬱の初期症状が出ているけどお医者さんにその病気ですと言われるのと、自分が調べて自分が今その状態だと思う時の気持ちのカロリーは全然違う。
こう言った兄の行動で私は驚きと共に、自分の気持ちの落ち方とかもわかってくれてるかのような発言と話聞いてくれる感じ。嬉しかった。
兄もいろんなことがありながら自分の考えと想いとともに人生を歩んで行って、その中に私という妹の存在が彼の人生設計にあることにも驚いた。
私は兄が私の兄として存在してくれてることは嬉しかった。